今日は久しぶりに第七藝術劇場に行ってきました。
見てきたのはこの作品!
こないだからやってる「チェコ映画傑作選」もこれで通算3作品目。
今回見たのは、ナチス占領下のプラハを舞台とした作品、「第五の騎士は恐怖」。
プラハに住む闇医者であるブラウン医師は、担ぎ込まれたレジスタンスを治療するためにモルヒネを探すことになります。ナチスによるプロパガンダが叫ばれ、特高警察による調査が迫る中、ブラウン医師が辿る運命とは――?
本作はなんというか、面白い・つまらないという評価軸で見られる作品ではないなあという感想です。そもそもエンターテイメントでもないしなこれ。作られた時代背景を考えるとエンターテイメントでもなかろうし、どちらかというとドキュメンタリーに近いんじゃなかろうか。
これまで見てきたチェコ映画がそうであったように、本作も現実と幻覚がないまぜになったかのような、一種のドラッグ・ムービーとも言えるような幻覚的な映像が繰り広げられます。
特に印象的だったのが、作品冒頭と最後にリフレインされる大量の通報者の張り紙。これは、本作で描かれたような事件はここに張り出された大量の通報のうちのひとつでしかないし、毎日のように積み重なる書類の中に埋もれるものでしかないってことかな、と感じました。
また、同じく本作で繰り返される要素のひとつが「覗き込む」ですよね。本作では要所要所でこの「覗き込む」という動作が取られています。監視社会のイメージであることは言うまでもないでしょう。
そしてまた、本作の主人公であるブラウン医師、ひいてはナチス占領下のプラハを拘束しているのがこの相互監視の目ともうひとつ、喧伝されるプロパガンダです。
ラジオから「勇気と無私の義務による通報」を繰り返し唱えるプロパガンダは、確実に人々から思考力を奪い、この相互監視の状況を強化しています。
そんな中で、危険を犯してモルヒネを手に入れて患者を治療し、最終的には捕まるのを良しとせずに青酸カリを服用して自害するブラウン医師の姿は高潔かというと……。
これ、ブラウン医師もまた、別の形での「勇気と無私の義務」に行動を強制され最終的には殺されたんじゃなかろうか。その別の形での「勇気と無私の義務」とはなにかというと、「医師という立場」だと思います。
冒頭でけが人の治療を依頼されたブラウン医師は手術をためらっていますし、よりリスクの高いモルヒネの入手についてはさらに強く拒絶しています。そして担ぎ込まれた患者は別に市民を守って傷ついたとかではなく、ふざけて銃で遊んでいたら暴発して怪我をしたという実にくだらない理由で負傷しています。要は別に助ける価値もなければ義理もないんですよね。そしておそらくブラウン医師は報酬も得てないんじゃなかろうか。
にも関わらずブラウン医師は高いリスクを犯してモルヒネを手に入れようとする。では、その行動はブラウン医師の高潔な善性によるものかというとそうは思えない。
前述の監視の目とプロパガンダが外側からの拘束であるなら、「医師である以上おのれを殺してでも人を助けなければならない」という内側からの拘束なんじゃなかろうか。
本作のタイトルは、明らかにヨハネの黙示録の四騎士を意識したものでしょう。そして「第五の騎士」である「恐怖」は、第四の騎士たる「死」の後に来る。
では本作における、「死」の後に来る「恐怖」の正体とはなにかというと……「変わらないこと」なんじゃなかろうか。本作では前述のとおり、ラストはもうこの世界の日常となっているであろう他利用の通報者の張り紙と、通報を奨励するプロパガンダで終わる。
闇医者が一人モルヒネを手に入れて患者をひとり救ったところで社会は何も変わらないし、そんな事件もやがてうすっぺらい1枚の書類に埋もれてしまう。
そんな深い諦観を、本作のラストには感じました。