「ギャーッ!?」
「ッ!?」
二人はほぼ同時にがばりと身を起こした。
知らぬ場所だった。そこは果ての見えない白い石造りの広間だった。壁は高く、天井はない。見上げれば、夜とも昼ともつかぬ静かな空がどこまでも広がっている。左右には無数の石柱が整然と並び、その一本一本には、古代文字にも似た見慣れぬ文様がびっしりと深く刻まれている。一つひとつが古より続く契約を刻んだ碑文のように見えた。
広間の最奥。
数段高くなった壇上には三つの玉座。
その玉座から、フードを目深に被った三人の存在が、静かに二人を見下ろしている。
「肉のレガリアを打ち鳴らせし者よ。古の契約は成った。ゆえに神は汝らへ応じる。──願いを述べよ」
ただ対峙するだけでも並々ならぬ存在感と威圧感を放つ三柱は、明らかに只者ではない。
そのうちの一人から、ソルジャーマンは知った気配を感じてハッと顔を上げた。
「あ、あいつ…!」
傍のアタルが頷く。その気配は、彼にも馴染み深いものだった。
「一人は残虐の神、というわけか」
「フハハ、久しいなぁ。よもや再び、こうした形でお前たちと見えることになるとは思わなかったぞ」
フードを目深に被った、超人の形をしたそれが、耳馴染みのある声で邪悪に笑う。忘れようはずもない、それは戦場で瀕死だったソルジャーマンを運命の王子へと導き、ソルジャーマン亡き後もアタルへ神の力を与えんとした超人の神の一柱、すなわち残虐の神!
本当に、そこに居るのは神なのだ。ソルジャーマンはようやく状況を理解し、改めて緊張にごくりと生唾を呑んだ。
ということは、残る二人も……。
その視線を受け、中央の玉座に座る存在が静かに答えた。
「いかにも。我こそは洞察の神。そして傍に連なるは戒律の神。我ら三柱を以て、お前たちの嘆願を聞き届けん」
冷たい声だった。こちらのことを見定めているようにも、路傍の石を眺めているようにも聞こえる声だ。こちらを見ているはずなのに、自分という個人を見られている感覚がまるでない。ただそこにある事象の一つとして観察されているような、冷静を通り越した温度のない視線だけを感じる。
紹介を受けた、戒律の神と呼ばれた存在が皮肉げに肩を揺らし、茶化すように囁く。
「テトテト、律儀に自己紹介をしてやるとは汝らしからぬ行いだ。思うところでもあるか、洞察の」
「古の契約に従っているまでよ」
洞察の神は鬱陶しげに片手を上げ、その軽口を制した。応じるように戒律の神が口を閉ざし、残虐の神もまた邪悪な笑みだけを残して沈黙する。
洞察の神の冷徹な声は、それ以上の無意味な沈黙を許さず、二人のソルジャーへと本題を告げた。
「──さあ、願いを述べよ」
突然そんなことを言われても困る。
「ね、願いったって、別に……」
困惑しながら口篭るソルジャーマンの前に、アタルの手がサッと差し出されて続く言葉を止められる。迂闊なことを言うな、と緊張を帯びた横顔が語っている。ソルジャーマンは無言で自分の口に両手を当てて、これ以上何も言いませんのポーズを取った。状況を悪化させたくはない。
ソルジャーマンが身を引いたのを確認し、アタルは言葉を選ぶように、ゆっくりと神々へと問いかけた。
「その願いを伝えれば、我々の魂はどうなる」
「テトテト、妙なことを。レガリアを起動し、この地に魂が運ばれた時点で、お前たちは死者だ。超人預言書を焼かれた者が下界に存在できぬように、お前たちもまた、もはや下界からは消滅している」
「な、なにぃー!?」
衝撃の事実にソルジャーマンの手の間から悲鳴が漏れた。アタルがじとりとした目でソルジャーマンを睨んだ。ソルジャーマンはハンズアップするともういちど自分の口を両手でふさいだ。いやでも今のは流石に仕方なくねえか!?
アタルの側はといえば、薄々と状況を予想していたのだろう。漏らした溜息は呆れを払う為か、それとも落ち着きを取り戻す為か。少なくとも続けて神へと放たれた言葉は、常通りの冷静沈着な声だった。
「それは困るな。これは我々にとっても本意ではない、いわば事故だ」
「本意ではない、か」
しかしそれ以上に、洞察の神の声は冷ややかだった。
「それは本当にそうか、キン肉アタル」
「なんだと?」
「神を謀れると思うな。お前は迷っていたはずだ」
洞察の神は無言で玉座から立ち上がり、壇上から二人を──否、キン肉アタルだけを見下ろした。
その視線と言葉に、アタルの米神を汗が伝うのをソルジャーマンは見る。ああ、くそ、嫌な予感がする!
「お前は肉のレガリアを破壊したかったのだろう。他ならぬ、お前自身の望みとして」
「…………」
「お前は超人の未来など見ていない。王を守りたいのではない。ただ弟を守りたいという、身勝手な欲に身を任せただけだ。神に偽りが通用すると思うな」
洞察の神の言葉は剃刀のように冷たく、容赦がなかった。アタルの焦りの理由をソルジャーマンはここにきて理解した。なるほどこの神の言葉は、アタルにとって図星なのだ。
「いずれ超人が神から脱する日がくるべきだという考えを持っていることは事実だ」
「建前に過ぎん」
「……流石は洞察の神、か」
それを受け入れるように、アタルが苦い顔で応じる。アタルもまた立ち上がり、真っ向から迎え打つように洞察の神を見据えた。
「そうだ。俺はスグルを守りたい。そのためにも、肉のレガリアを破壊したいと考えていた」
「何故レガリアを壊す必要がある。お前の弟は信用に足りないか」
「信用している」
「矛盾している」
アタルが堂々と言い返す言葉の数々に、洞察の神は一歩も怯む様子を見せない。全て予想通りの言葉であると言わんばかりに、洞察の神は淡々と言葉を打ち返す。
「真に信用するならば、神の再審判を恐れる理由はないはずだ」
「俺が信用していないのは弟ではない。お前たち神だ」
「その弟を王と認めたのもまた神だ」
「総意ではなかろう」
「否、そこに如何なる思想の違いがあったとしても、108の神の総意によって第58代キン肉星大王が任命されたことは事実。神の裁定によって生まれた王を信じるとお前は言う。だがそうした事実を顧みず、裁定を下した神を信じぬとお前は言う。それを矛盾と呼ばずして何と呼ぶ」
「お前たち神を信用していない」
「ならばその神が信任した王をも疑うのが道理だろう」
「ぐ、グム……」
おいおいおいおい。ソルジャーマンは両掌の下で呻きを飲み込みながら、一連の問答をはらはらとした心地で眺めていた。アタルが真っ向から言い負かされている光景など、ソルジャーマンは初めて見た。
洞察の神は言葉の刃を収めない。
「お前が信じているのは神に信任された王ではない。数多の戦いを乗り越えてきた、キン肉スグルというお前の弟をこそ、お前は信じている。だからこそ、この矛盾を成立させ得ているのであろう」
その言葉に、アタルがハッとした。同時に表情に困惑が滲む──それをマスクの下に覆い隠しながら、アタルは再び仕切り直すように言葉を選んだ。
「……その通りだ。俺は、弟が正しい道を進んでいると信じている。だがそれと同じだけ、これ以上苦しんでほしくないとも思っている。あいつはもう十分に戦った。これ以上、争いの火種を残したくない」
「それはお前自身も含めてか?」
「そうだ」
「再び矛盾だ。お前を失えば弟は悲しみ苦しもう」
「……」
どうした、なんとか言えよ、このままだと俺もお前も死んじまうんだぞ! ソルジャーマンは両掌の下で祈るような気持ちでアタルを見た。洞察の神の舌鋒に打ちのめされ、アタルは静かに俯いている。その様子は言葉を探しているようには見えない──まさか、諦めたのだろうか?
どうする、どうする。ソルジャーマンは何か言い返せる言葉はないかと言葉を探す。しかし何一つ思い浮かぶものがない。どうしたらいい、どうしたら……。
「洞察のは冷たいなぁ、キン肉アタル? ただ一人の弟を守りたいと思う兄心、なんともいじらしいものではないか」
議論の続きは意外なところからもたらされた。一連の様子を見守っていた残虐の神が、なんとも楽しげな声音で声をかけてくる。俯いていたアタルの目に反骨の光が灯り、キッと壇上の玉座に座る神を睨み返す。
「黙れ」
「いいや、黙るものか! ここは神の審判場、我らが黙って何となる。貴様とて、本心ではそう思っているはずだ。弟が救えればそれでよい、だからレガリアを破壊したい、その美しい情に何の罪がある? お前は正しいことをしているとも、だからお前はただ願えばいいだけだ。『未来永劫、肉のレガリアを使えないようにしたい』とな」
「黙れ!」
「お、おい、落ち着けよ!」
あからさまな挑発だ。普段のアタルならばそれに応じることなどあるまい。洞察の神によって追い詰められた精神に、残虐の神の挑発が必要以上に効果を及ぼしているのだと、側から見ていれば明白だった。
ソルジャーマンの言葉に、アタルはハタと我を取り戻したようだった。あるいはそこでようやく、ここにソルジャーマンがいたと言うことを思い出したのかもしれない。それはそれで戦力外通告をされているようでなんとも複雑な心地ではあったが……ソルジャーマンを振り返ったアタルの視線に、ソルジャーマンは気まずさを払拭するように、沈黙の殻を破った。
「あいつらの言葉に乗せられるなんざ、アンタらしくないぜ。一回頭冷やせよ」
「……すまん」
謝罪は気まずげで短かった。けれどそれでも、アタルが心を仕切り直すのには十分だったようだ。
アタルは一度口を閉ざし、ゆっくりと息を吐いた。洞察の神の糾弾、残虐の神の誘惑。それらを思い返し、その上でそのどちらをも振り払うように、一度きつく目を閉ざす。
再び目が開かれる。
その視線が向けられた先は、壇上の神々ではなかった。
「──ソルジャーマン、お前はどう思う」
「えっ」
俺!?
ソルジャーマンは声がひっくり返るほど驚いた。動揺するソルジャーマンをまっすぐに見据えながら、アタルは神々ではなくソルジャーマンへと問いかける。
「言葉を封じて悪かった。率直に教えてくれ。お前には、今の俺はどう見えている」
「どう、ってお前、そりゃア……」
意見を求められた上に、謝罪までされた。なんということだ。信じられないことがあまりにも立て続けに起きて、ソルジャーマンはポカンと呆けた。本当にこれはあの傍若無人で傲岸不遜で自信満々なキン肉アタルの姿か?
喜びよりも先に困惑が先に立つ。え、なんて答えるのが正解なんだ、これは。そもそも何で、今になって俺の意見を求め始めたんだ、こいつは。
考えを巡らせれども、答えなど出てこようはずもない。うーんうーんと頭を捻った末に、ソルジャーマンは深読みも邪推も止めることにした──すなわち、問われたことに素直に答えることにした。
今のキン肉アタルがどう見えているか、だって?
そんなもの、決まっている。
「すげーカッコ悪ぃ」
ぽつりと、しかしはっきりと返した言葉に、アタルは沈黙し動きを止めた。
あれ、間違えたか? ソルジャーマンはにわかに焦り、正解を求めるようにカウンセラーにでもなったような気持ちで無理矢理に言葉を捻り出した。
「あー、えー、たしか前にも言ったよな、アメリカで。そりゃ自己満足だぞって。そもそもさ、何でそんなにあの豚を頼るのが嫌なんだよ? 別にいいじゃん、上手く使えば」
「……すでに散々、俺と言う存在がいたせいで、スグルには迷惑をかけてきた。俺がこうした人生を選ばなければ、あいつはもっと苦しみのない人生を歩めたはずだ」
「ンなもん、誰にも保証できねえだろ。……え、できないよな?」
思わず壇上の神々を仰ぐ。神々は何も言わない。
ソルジャーマンは困った。何で俺はこいつの脳内当てクイズみたいなことに付き合わされてるんだ。考えるのが億劫になってきて、ただただ脳内の言葉を考えなしに率直に口にだす。
「あー、はいはい、なるほどね……まあ理屈は分かった。分かったぜ。……え、じゃあ率直に言うぞ? 良いか? 後でキレんなよ?」
「頼む」
「そりゃ、自己満足ですらねえ。ただの逃げだろ」
沈黙が痛い。突然キレてナパームストレッチとか仕掛けられませんように。ソルジャーマンは内心でハラハラとしながらアタルの出方を伺った。
アタルは静かに目を伏せ、沈黙していた。しかしその肩が少しずつ震え、吐息のようにマスク越しの口から音が漏れる。
「……フ」
フハハハハハハ!!
小さな吐息はやがて、空気を震わせるほどの大きな笑い声に変わった。どこか憑き物が落ちたような、スッキリとした笑い声だった。
ソルジャーマンは慄いた。こいつ、気でも狂ったか?
しかしそうした心配を他所に、笑いを抑えたアタルはソルジャーマンの背中をバシッと一度叩いた。力強い腕だった。
「え!? なに!?」
「お前がいて良かった」
アタルはそれだけを言うと、壇上の玉座からこちらを見下ろす残虐の神へと向き直った。その横顔に、先までの思い詰めた様子はなかった。
「そして感謝しよう、残虐の神よ。貴様の拙い誘惑の言葉が故に、俺の迷いはようやく晴れた」
「……なんだと?」
「そうとも。俺はただ、かつてと同じように逃げていただけだ。俺という男の存在故に、俺の大事な者たちが傷つくという苦しみから逃れたかっただけだ。その逃避にもっともらしい理由をつけ、対話を拒み、安易な手段へと飛びついた。それが先までの俺だ。──だが、今は違う」
その眼差しには今度こそ、迷いはなかった。
「今度こそ、俺はスグルを信じよう。──嘆願は不要、レガリアも捨て置く。我々を現世へと帰せ、超人の神々よ」