「館内お静かにお願いいたします」
 カウンターにいる司書さんが、館内で走り回る子供たちに注意をしている。僕はそれを横目に見ながら、返却する本をドサドサと下ろした。途端に目の前で対応をしてくれている女の司書さんが、むっとした顔をした。僕が本を雑に扱ったからだろう。それでもすぐに返却処理をしてくれた。僕はそれに礼も言えず、目線すら合わせず、カウンターを後にする。すぐに本棚の間に入ると、少し安心した。さて、今日からの二週間で読む本はどれにしようか。そして、『あの本』には出会えるだろうか。僕は、静かに本棚の間を縫うように進み始める。
 今日は、六月らしいじめじめとした雨の日だった。図書館に入る前にあるアジサイの葉には小さなカタツムリが乗っていた。遠くの田園からはカエルの鳴き声も聞こえてきている。これは経験則だが、雨の日に図書館にくる人は少ない。雨の中重い本を持って帰るのをめんどくさがる人が多いからか、湿気や水滴で本が傷むのを恐れる人が多いからか。まぁ、どちらもいるだろう。だからこそ、有難くその傾向を利用している。人がいない図書館ほど落ち着けるところはない。
 僕は、高校に行けていない。つまり不登校ということだ。行けない理由は、自分でも分からない。誰かにいじめられているわけでも、何かに反抗しているわけでもない。ただ、高二、つまり今年の春、急に行けなくなった。どうしてもイヤというわけではない。だからこそ、行ける時は行くし、成績は下がっていくばっかりだけれど出席数はまだギリギリ大丈夫だ。それでも、一生懸命勉強して受かった第一志望の進学校での生活をこうして無下にしていることに対して、親や周りに背徳感があるし、余裕があるわけではない。だからこそまた普通に行けるようになりたい。けれど、そこまで思っていてもなぜか学校に行けないのだ。だからますます読書に逃げてしまう。
 この市営図書館がある僕の地元からは、通っている高校に行っている人は少ない。路線と距離の問題で行き辛いのだ。平日で雨の図書館で知っている人に出会う可能性は低い。僕は学校に行けなかった雨の日は、この小さな図書館に来ることにしている。それで、現実から逃げるように本を読み、借りて家でも読み込むのだ。
 本棚をすみずみまで探す。けれど、僕がさがしている『あの本』はどこにもなかった。またあの本に巡り合えなかった。ハードカバーにしては少し小さな本で装丁が鮮やかな赤色なのだ。そして、遠目で見る限り題名もなく作者名も書かれていない不思議な本。
 僕がそれを見たのは春先、初めて学校を理由なく休み、この図書館に訪れたときだった。本棚の間に設置された読書スペースに座る男の人がそれを読んでいたのだ。遠目から見えたその装丁の色のせいで目に留まったのだが、そのときは、変な本だな、としか思わず、特に何も考えずに他の本を借りて帰った。けれど、時間が経つにつれてなぜか気になってきたのだ。タイトルも作者名も書かれていない本なんておかしい。あるとするならどんな本なんだろう。どんなことが書かれているのだろう。そしていつしか、図書館に行く度にその本を探すようになった。司書さんに頼んで探してもらったこともある。けれど、タイトルも作者名も表記されていない赤い本なら珍しくて覚えていそうなのに誰も見たことがないと言い、検索しようとしてみても情報が少なすぎて不可能だったのだ。たくさんの人に探してもらっておいて見つけられなかったその過程は、人との関係が苦手な僕から根気を失うのに十分だった。そのため、それ以来探してもらっていない。もしかしたら、僕の見間違いかもしれない、そういう考えもあったからだ。
 そういえば、と僕はふと思い出した。初めに見た日も今日みたいに雨が降っていた。僕はなんとなくあの日行った読書スペースに足を運んだ。
 そこには大きな机に六人程が座れる椅子が常設されており、その周りには禁帯出の分厚い辞書や事典が並べられた棚が囲むようにぐるりと取り巻いている。そういえばここで本を読んだことが無かったな、と一つの席に座ってみる。すると、机のすぐ下には引き出しがあることを発見した。何気なくそれを開ける。
 あった。真っ赤な本。ハードカバーにしては少し小さく、そして題名、著者名、それどころか図書館の本には必ずあるはずの請求記号のシールすら貼られていない。僕は自分の心臓の音が少しずつ大きくなっていくのを感じていた。
 手に取ってみる。やはり、あの日見た『あの本』だ。今触っている間も現実感がない。それでも僕はその本のページを開く。一体、何が書かれているんだろう。
「……え?」
 数分後。僕は面食らった。何も面白くないのだ。
 内容としては小説で、一人の少年がごく普通の家庭で生まれ、育っていくだけの話。事件もあることにはあるが、平凡すぎてドキドキもわくわくもしない。
 なんだか、拍子抜けだ。僕はじっくり読むのをやめ、その先をパラパラめくった。すると、奇妙なことが分かった。途中から文字が書かれていない。僕はあわててどこから文章が書かれなくなっているかを確認する。すると、スピンが挟まっているページにたどり着いた。そこには、こんな一文が書かれていた。
「彼は、ようやくその本に再度巡り合えた。自分の人生が記されたその本に」
 ざわざわと心が波立つ。僕が読んでいたのは主人公の少年が幼少期のころまで。確認するようにその後を読んでみると、その少年は勉強を頑張り、僕の通う高校に進学し、しかし理由なく不登校になっていることが書かれていた。僕のこれまでとまるっきり一緒だった。幼少期のころは覚えていないから気付けなかった。これは、僕の人生が書かれた本……。そう思うと何か締め付けられるような気持がした。
 そこでようやくわかった。僕はこの本に『答え』を無意識に求めていたのだ。こんなにも焦がれるものなら、僕がなぜ不登校になって本を読むだけの生活になってしまっているのか、その答えが分かるんじゃないのか、と。僕はこの本になぜか求めていたのだ。けれどそれは書かれていなかった。書かれていたのはその過程。自分のつまらないこれまで。
 でも、僕はそのつまらなさはもうどうでもよかった。面白くない、ということは踏みはずしていない、ということだろう。そしてそれは、三人称で書かれた小説では表しきれない面白かったこと楽しかったことも含んでいる。頑張る、という言葉に詰められたたくさんの努力も、自分だから知っている。答えはいつも僕の中にあった。僕はそうやって生きてきたんだった。
 だから、もう答えを求めない。探そう。僕はこの本に励まされたのだ。
 本を閉じて元の引き出しにしまう。椅子から立ち上がり、前を向く。
 ふと本棚の方から、誰かの視線を感じた。 
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あかいこんくり
「6月」「読書」「背徳感」がテーマです
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あかいこんくり
「6月」「読書」「背徳感」がテーマです
25:19
あかいこんくり
無碍と無下 意味が違った あぶなーい
47:32
あかいこんくり
こっからどうしよう
112:38
あかいこんくり
難産だったし長くなっちまった
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ストーリーブック
初公開日: 2021年09月26日
最終更新日: 2021年09月26日
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コメント
鬼滅の刃見てたから遅れたぜ
今日もやっていくね~
「6月」「読書」「背徳感」がテーマ
冷たい孤独と暖かい車
あけましておめでとうございますワードパレットから「寂しい」「鼻歌」「遠雷」で書く
あかいこんくり
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あかいこんくり
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