夕暮れ時。曇り空の向こうで、遠雷が鳴った。その方角へ目を向けると、その空には濃い灰色の雨雲が浮かんでいた。
 私はため息をついて、それから逃げるように走る。けれど、初めて訪れた田舎道。辺りには建物らしきものは何一つなく、ただただ青い青い田園風景が広がっているばかりだった。やはり、大学時代に自動車免許を取っておくべきだった、と何度目になるか分からない後悔を渇いた喉奥へ飲み込んだ。
 大学時代から新社会人時代までは都内で一人暮らしをしていた。小中高と住んでいた地元も栄えている方ではなかったけれど、交通の便もよく都心部にもすぐに出られた。
 けれど、職場で出会った彼と付き合い、籍を入れ、ここに引っ越してきた。両方の親にも挨拶をし、式を残すだけとなっている。が、新しい土地での職探しとなる私のために転職を待って式を挙げることになった。だからこうして、私にとっての慣れない土地での転職活動が始まっている。
 ふと足元の地面を見ると、ぽつぽつと黒い水玉が現れ始めた。もう降ってきた。そう思った途端に雨足が一気に加速する。あっという間に私は濡れ鼠になってしまった。それでも、雨宿りが出来るところはないか、と思いながら辺りを見回して走る。すると、前方の田んぼの脇に古びた小屋のようなものが見えた。どうやらお地蔵様を祀る少し大きな祠のようだ。申し訳ないが、しばしお邪魔させてもらおう。滑り込むようにその小さな屋根の下に入る。
 その祠には、赤い布を首元に巻き優しい顔つきで手を合わせるお地蔵様があった。というより元々あったその像に後付けで木造の屋根と柱が付け加えられて祠になったような造りだった。大きさは私が少し屈めば入れるくらい。少し狭いが、それでもこの屋根は有難かった。ほっと一息ついた私はまずそのお地蔵様に手を合わせ、雨宿りをさせていただくことに感謝した。
 土がむき出しになった地面からは雨の匂いと冷気が立ち上り、強い隙間風がひゅーひゅーと入ってくる。濡れた服が肌に張り付き、私から容赦なく体温を奪う。ストールでも持ってくればよかったなぁ、いやそれよりも折り畳み傘か。私は持ち物について後悔しながらぼんやりと雨に打たれ続ける稲を眺めた。そして、鼻歌で歌えるような明るい曲を探した。
 私はいつも暗い気持ちになりそうになると、鼻歌を歌う癖がある。というより私の亡くなった母がそうだった。母がそうやっていたから私が真似たのだ。母は病気で亡くなるまで明るかった。そんなところまで私は真似をしていたい。でも私はどんくさいし、暗いしで到底母の様になれそうになかった。私は自分が嫌いだ。けれど、彼は……。
 そういえば、と私は思った。私に告白して付き合い、婚約してくれた彼は、私のどこに惹かれたのだろう。彼と付き合うことが嬉しくて、この関係を無くしたくなくて、必死だった。そういえばちゃんと聞いたことがない。私のどこが良かったのか。あまり良くない答えだったらどうしよう。恐ろしい質問だ。
 突然、一際強い風が吹く。古い祠の屋根や柱がキイキイと音を立てて軋んだ。寒さと湿気が不安を掻き立てるように私を襲う。思わず自分の両腕を抱きしめた。寒さに耐える。それでも私のか細い鼻歌はどこかへ飛んでいく。辺りは、激しい雨音と強風にあおられる稲のざわめきだけに支配されていた。寂しいなぁ。ふとそう思ったら、ますます寂しくなる。しまったなぁ、と思い、さらに自分を抱きしめる力を強くする。
 その時、向こうから車のクラクションの音が聞こえた。すぐにメタリックブルーの小さな車体が私のいる祠の隣に停まる。彼の車だ。そう分かった途端、ぽかんと口を開けてしまった。安堵もあるが驚きの方が強かった。出てきた彼は雨に焦りながら私の名を呼んだ。返答の代わりに質問をする。
「なんで、まだ仕事じゃ……」
「早く終わった。通りかかったらいるからびっくりしたよ。さぁ乗って」
 一緒に帰ろう。そう言われるとずぶ濡れで惨めな気持ちも相まって、泣きそうになる。それでも頑張って小さく頷くと、彼の開ける助手席に滑り込んだ。彼の持っていた上着も貸してもらう。
 そうだ。優しさで溶けそうになりながら私は強く信じた。信じることが出来た。この人なら。ちゃんと私の気持ちを分かってもらえる。訊こう。私は優しいこの人の妻なのだから。なぜ私と一緒にいることを選んだのか。他の人に対しては恐ろしい質問でもこの人には訊くことが出来る。
「ありがとう」
 私は彼に笑いかけた。隣の運転席に座った彼も笑い返して、ハンドルを握る。
 雨の中走り出した車内は、ようやく暖房が効き始めた。
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あかいこんくり
あけましておめでとうございますワードパレットから「寂しい」「鼻歌」「遠雷」で書く
00:54
あかいこんくり
あけましておめでとうございますワードパレットから「寂しい」「鼻歌」「遠雷」で書く
01:57
あかいこんくり
コメントやハート? いいね? も観れるのでリアルタイムの反応もよろです結構嬉しいので
21:00
あかいこんくり
ごはんよばれたので中断~
22:39
あかいこんくり
再開 さんがにちすぎたね
124:49
あかいこんくり
ハートありがとうございます
134:03
あかいこんくり
とりまおわった 推敲はいります
155:56
あかいこんくり
できた
156:04
あかいこんくり
これでいくわ
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冷たい孤独と暖かい車
初公開日: 2022年01月01日
最終更新日: 2022年01月10日
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あけましておめでとうございます
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