現パロたぬかせ
ビーチコーミングが趣味の歌仙を、海へと迎えにくる同田貫
もぞもぞ推敲作業
 足の指のあいだを波がかすめた。
 ざざざ、と海へ戻る動きに合わせて、細かく舞い上がっていた砂がくるくると円を描く。ひととき砂浜に取り残された足を持ち上げると、くっきりと足跡が残っている。すぐに波に均され消えていくものだが、今のところはそこに留まっている。
 歌仙兼定は一度だけ顔をあげた。
 すっきりと晴れ渡った青空は、徐々に黄色のオブラートに覆われはじめていた。岩場の灰褐色と海底の縹色とが混じりあった海岸線が、ゆるく曲線を描いて視界の奥へと吸いこまれるようにして続いている。波打ち際はほんのりと空色を映し、涼やかな風が髪を揺らす。
 美しい海岸線の景色からすぐに視線を逸らし、歌仙は自らの足元へ目線を落とす。彼はこの海岸に来てからずっと砂浜ばかりを注視して歩いていた。ビーチコーミングが趣味なのだ。片手に持った風呂敷袋は底を湿らせ、その中では彼の拾った貝殻や木切れ、陶片といったものがわずかな重りとなり布地を引っ張っている。
 ハイシーズンを終えた海岸は、幾人かのサーフィンを楽しむ人影がちらほらといるばかりで、あとは静かなものだった。打ち寄せる波の音だけが周囲に轟いている。
 まくり上げていた長袖から覗く腕を無意識に擦る。足が冷えてきた。今日はこの辺で上がろうか。そんな考えが歌仙の頭をよぎったときだった。
 ふいに鳴り響いたクラクションの音に、歌仙は顔をあげた。
 見ると、海岸線沿いの道路に一台の軽トラックがハザードを点灯させて止まっていた。
 同田貫正国である。
 彼は運転席から顔を出し、歌仙が気付いたと知ると、一度だけ軽く手を挙げた。
「早いね」
 同田貫の運転する軽トラックの助手席に乗り込み、歌仙がそう声をかけた。
 同田貫はいわゆる『鳶』だった。現場が近いとき、彼はこうして時折、歌仙を拾いに海へとやってくる。
「今日は上司の機嫌がよかったからな。偶には早めに解散するかって」
「君の仕事はいつだって時間通りだろう」
「おめえの浜歩きもな」
 歌仙は笑った。
 サンダルの中で微かに砂のついた足をすり合わせる。
 彼とこんな風に気の置けない様子で笑い合うようになるなど、出会った頃は考えらなかった。
 開けたままの窓から通りぬける風が前髪を揺らす。ごつごつとした岩場の向こう、コバルトブルーの海が広がっている。背後で傾きはじめた太陽が、海面を細かくメノウ色に染めていた。海岸線沿いの道路はしばらくすると住宅地の只中へとその景色を変えた。
 ほとんど人気の感じられない長閑な海沿いの町だった。スーパーマーケットやコンビニエンスストアへだって歩いてはとても行かれない。そんな不便さを愛せる土地だった。
 住宅地からさらに進み、山間の細い道をのぼった先に、古い平屋が見えてくる。
 元々は同田貫の曾祖母が住まう家だったそこは、縁側と小さな庭のある昔ながらの日本家屋だった。低い垣根の先にかすかに海を望むことができる。
 大学時代にはじめたルームシェアがそのまま続いて五年。すっかりと馴染んだ家の門扉をくぐり、土間を叩きあげてタイル敷にした玄関へと入る。今更、歌仙の砂だらけの足を咎めるような同田貫ではない。歌仙がていねいに自らの足を拭っているあいだ、同田貫はさっさと居間にあがり、一直線に風呂場へと向かった。
 同田貫はあれでいて案外長湯好きだ。
 彼が外仕事の汗と汚れを流している間、歌仙は台所で浜辺から拾ってきたものを綺麗に洗い、それらをざるに上げた。縁側の定位置にそれらを並べて干すころには、すっかりとあたりは暗くなっていた。夜目が利くのでついつい灯りをつけるのを後回しにして、歌仙は夢中になって戦利品を眺めた。
 ふいに、隣室の居間の電灯がつく。
 溢れ出でたひかりが歌仙をすっぽりと覆い、その影を斜めに伸ばした。
「灯りぐらいつけろや」
 すっきりとした面持ちの同田貫が、濡れた髪にタオルをあてがいながらやってきた。彼は片手に缶ビールを持っていた。プルトップを開ける軽やかな音が響く。同時にテレビから賑やかな人びとの声が聞こえてくる。
 彼は、歌仙の蒐集物に関してまったく興味がない。ガラクタだとさえ言う。けれど、それでよいと歌仙は思っている。ガラクタが歌仙にとって大切なものならば、彼はけしてそれを捨てたり否定したりしない。縁側の一角にそれらの蒐集物が並ぶように。そこにあるのを許してくれる。
「夕飯、どうする?」
 尋ねたのは歌仙が当番だからだ。
「冷蔵庫の中身をみると、麻婆豆腐かなす炒りが作れそうだけど」
「魚はあったか」
「冷凍してある干物なら」
「なら、それとなす炒り」
 わかった、と短く応じ、歌仙は縁側から立ち上がる。
 むかしの台所らしく、奇妙なほどに大きな段差のある入口を一段下りて、歌仙は電灯の紐を引っ張った。テーブルにはふたりの好みにあわせた調味料がそれぞれ並び、食器棚には歌仙が好きで買い足したものが一緒に収められている。もうすっかりとふたりの家なのだ。
 換気扇がからころと回るなか、歌仙は手早く夕餉を整えた。炊飯器から白米の炊ける芳香が立ちのぼる。同田貫には握り飯、自分にはただの盛飯をと思ったが、すこしの逡巡の後、歌仙は自らの飯碗に盛った白米を手のひらにあけた。
 湯気の立ちのぼる夕餉を盆にのせて居間へ戻ると、同田貫は立ち上がり、居間を出ていこうとする。すこしむっとして歌仙が引き留めた。
「夕餉が運ばれてきた途端に出ていくとはどういう了見なんだい?」
 同田貫は悪びれた様子もなく笑い、すれ違いざまに空の缶ビールを揺らした。
「うまい肴が来たのに、酒がないんじゃ失礼だろ」
 そのまま軽い足取りで廊下を鳴らして出ていく。
 歌仙は溜息をついたが、どことなく甘さを伴うことになったそれに自ら辟易した。煌々とした電灯のあかりが、縁側のガラス戸を通り抜け、庭を照らしていた。
「飲むだろ?」
 彼はそう言って小さなコップを歌仙に差し出した。
 同田貫が新しく冷蔵庫から取り出してきたばかりのビール缶は細かな汗が拭きだし、歌仙が逡巡している間にもその温度をすこしずつ上昇させていることは確かだった。
 ちいさく溜息を落とし、歌仙はコップを受け取った。斜めに傾けてみせれば、それにあわせてビールが注がれる。歌仙は普段ビールを飲まない。それでも、年に一度のこの日だけは好まないビールに口を付ける。
 同田貫はそのことをよく知っていた。
 重なった視線に、ひととき宵闇が映りこむ。
 同田貫は魚をきれいに食べて、残った頭と皮の部分を無造作に庭に放った。
 歌仙がその動作を目で追い、不思議そうに首を傾げると、彼は一言、「猫」と言った。
「赤トラの。最近、この辺に住み着いたらしくてな」
 歌仙はすこし呆れた。知らぬうちにすっかり野良猫と親しくなっていたらしい。
「君ねえ……、」
 言いかけた言葉を途中で吞みこむ。あるいは、ただ単に言葉を繋げられなかっただけかもしれない。歌仙はなんとも言えない表情で、庭に落とされた魚の頭を見ていた。
 結局、歌仙はなにも言わずにビールをささやかに嚥下した。
 互いの皿の中身がだいたい空になるころ、同田貫が無言で席を立った。
 歌仙のグラスにはまだ半分ほどビールが残っていた。すっかりぬるくなり、当然泡も消えて久しい。歌仙はろくすっぽ頭に入ってこないテレビのバレエティ番組をがらんどうの瞳に映していた。同田貫がなぜこのタイミングで席を立ったのか、彼はよくよくわかっていたからだ。
 庭には電灯のあかりとは別に、月明りがしずかに降り注いでいた。満月なのだ。もっというのならば、仲秋の名月というやつだ。
 歌仙は、グラスに残ったビールをむりやり流し込み、席を立った。縁側に腰を下ろし、あらためて軒の真上にぽっかりと浮かぶ満月をその目に映す。
「ほら」
 同田貫は間もなくして戻ってきた。
 片手に線香と蝋燭を持って。
 送り火とも違う。彼はそもそも死者の魂を迎えになんて行かない。けれども、このささやかなふたりだけの儀式を何と呼ぶのかと聞かれたら、やはり送り火と答えるのがいちばん適切な気がしていた。
 思うだけだ。
 誰に聞かれたこともないので、結局のところ、ふたりはこの行為に名前をつけられないままでいる。
 沓脱石の上に並べられたサンダルに足を通し、ふたりは蝋燭に火をつけた。ライターだけで事足りるだろうに、同田貫は妙なところで律儀だ。わざわざ蝋燭の炎から線香に火をつける。
 赤く染まった先端に微細な炎の揺らぎをみる。
 線香を無造作に庭に置き、立ちのぼる煙を前に手を合わせる。
 同田貫の祈りはいつも静謐だ。
 それに比べて、自分はどうだろうなと歌仙は思う。未だに自発的にこの行為をできず、かと言って何もしないでもいられない。夏のはじめに決まって塞ぎこむ歌仙に、彼がこの行為を提案したのは意図的だったが、その日が十五夜だったのはただの偶然だ。けれども、その偶然をふたりは良しとした。夏には感傷的になりすぎる死者への弔いを、ふたりはそれ以降、十五夜の夜に執り行うこととした。
 白煙が月へ向かってのびていく。
 祈りの言葉も、別れの言葉も、いまだに歌仙の口からは出ない。ふと、生垣の揺れる気配がして背後を振り向くと、赤トラの猫が魚を口にくわえて去っていくところだった。
「トラ」
 同田貫が猫を呼ばうこえが夜に響いた。
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現パロたぬかせ
初公開日: 2021年09月23日
最終更新日: 2021年09月26日
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