くにちょぎ現パロ
推敲だったり草稿だったり。
誤字脱字なんてものは未来のわたしが何とかします。
全年齢部分だけ。
「まずい!」
 コーヒーゼリーを一口食んだ長義が声をあげて笑った。同じように国広も思わず眉根を寄せる。なんていうことはない。砂糖を入れ忘れたのだ。
 国広の顔を見て、長義がにんまりと唇をいやらしく持ち上げる。
「さて、前言を撤回してもらおうか?」
 思わず言葉に詰まる。
 そんな国広を長義は実に楽しげに眺めていた。
 シンクにもたれるようにして。ボクサーパンツに、シャツを一枚羽織ったすがたのまま。いたずらに交差したふくらはぎが、真夏の日差しを受けてきらめいている。
 くらりと脳天が揺れた。
 声が聞こえる。
 ひどく楽しげな若い男の声だ。
 その声に引きずられるようにして目を開けた。
 覚醒は唐突で、明るさに目が眩む。
 目に入ったのは、向かいに座る青年のすがただった。先程から聞こえる声はどうやらその青年のものらしい。耳にあてた端末から、同じように明るい声が響いている。
「××××」
 目の前のローテーブルには食べかけのカレーライスと麦茶。青年の背後には大きな窓ガラスがあり、そこには群青の空が広がっていた。
(なんだ、これは)
 目覚めてすぐに飛び込んできた景色の突飛さに、思わず頭を振る。フローリングに胡坐をかいて座っている己は一体何者なのだろう。
「国広」
 ふいに、そう呼びかけられた。
 弾かれたように顔をあげると、目の前の青年が笑顔でこちらを見ていた。
 くにひろ。
 まるで知らない言葉だ。
 だが、まるでそう呼ぶのが当たり前だと言わんばかりに、青年はその目を向けてくる。青色の双眸。その青さに、一瞬恐怖する。何故なら、その青年が誰なのか自分にはわからなかったからだ。
 いっきに血の気が引く。
 そんな己の様子を見てか、青年はぱちりと目を瞬かせた。
「おい、だいじょう、」
「誰だ?」
 思わず硬質な声が出た。
 ありありと浮かんだ拒絶と困惑に、目の前の青年は大きく目を見開いた後、そろりと詰めていた息を逃した。
 青年の背後で入道雲がそのかたちをゆっくりと変えていく。
「国広」
 やがて、青年はそう呟いた。優しい声音だった。目線をまっすぐに合わせて、青年は繰り返し、その言葉を紡いだ。
 国広、と。
 それはまるで魂の深いところへ呼び掛けるようだった。その声を聞いているうちに、ある光景がフラッシュバックする。
「……長義?」
 蘇った記憶の断片を引き寄せて、そう呟く。
 それに青年は安堵したように息を吐いた。冷たい印象のひとみが、ゆるやかにたわむ。
「大丈夫か? まだ混乱してる?」
 その声に詰めていた息を吐き出した。改めて手元に視線を落とす。そうだ、カレーライス。長義がレトルトのパウチを温めてくれたものだ。混濁する意識を丁寧にひとつずつ遡り、ようやく長い息を吐く。
 ゆるくかぶりを振る。
「大丈夫だ」
 国広ははっきりとそう告げた。
 明確に言葉にすることで、自身を落ち着かせようとしたのかもしれない。
 改めて長義を見る。
「驚かせてすまない」
 それに、長義はおどけてみせた。
「まあ……無理もない、かな」
 つられて苦笑いを浮かべる。
 国広と呼ばれた記憶喪失の男は、そこでようやく瞳に血を通わせた。
 山姥切国広。21歳。男性。
 仕事は××で、今は夏季休暇の真っ最中らしい。
 それが、目の前の青年――山姥切長義が、国広に与えてくれた自身の情報の全てであった。
 病院へ行って診断してもらったところ、記憶喪失らしく、日常生活には問題なしと判断され、長義とともにアパートに戻り、遅い昼餉をとっていたところであった。
 普段どおりに生活することで、徐々に記憶を取り戻すかもしれない。あまり気負わずに過ごすことだよ、という優しい口調がよみがえる。
 記憶喪失になってみてわかったことは、自身というものが確立しない世界は、こんなにも不安定であやふやなものなのかという愕きであった。己のからだが張りぼてで出来ているような。芯の通っていないからだはぐにゃりと歪み、足元が覚束ない。まるで世界から爪はじきに遭ったような、そんなどうしようもない疎外感。
 かしゃん、と音が鳴る。
 はっとして顔をあげると、長義が食べ終えた皿をシンクへ移しているところだった。
 蛇口をひねる音と水音が響く。
 国広は席を立った。
「俺にやらせてくれ」
 背後から声をかけると、長義はすこし驚いたようだ。手にしたスポンジから泡がぽたりと落ちた。
「その、体を動かしていたほうが落ち着く」
 やや目線を逸らしながら国広が言う。
 長義はなんのてらいもない様子で「そう」と短く応じた。「じゃあ、お言葉に甘えようかな」とも。
 泡立てたスポンジをバトンのように受け渡し、長義は軽く手をすすぐと、リビングへと戻っていく。
 長義の気配が遠ざかり、国広はそろりと息を吐いた。改めてカレーの痕が残された食器を見る。どこにでもあるような真っ白な楕円の皿だ。グラスだって無地のもので、国広はひっそりと溜息を吐く。こんな無機質なものでは、己の痕跡を見つけ出すことも困難だ。流れる水はどこか温かった。
01
 目覚めて最初の光景はまっさらな天井だった。
 見慣れない天井に戸惑い、からだを横たえていたベッドから身を起こす。あたりを見渡すと、そこは1LDKの狭いアパートの一室だった。あまり物がないためか、すっきりと片付いており、どこか清潔感がある。
 部屋にある唯一の窓からさんさんとした日差しが入りこんできていた。紺青の空に入道雲が浮かんでいる。フローリングに下りて、ベランダへと続く窓を開ける。
 とたん、喧しい蝉の声が押し寄せてくる。
 熱風が前髪を揺らし、日差しが遠慮なく襲い掛かる。
 はたして、ここはどこなのだろうか。
 青年は頭を振り、目をすがめた。
 ゆるやかな丘のうえにあるらしいそのアパートの窓からは、なだらかな坂道と、ひしめく住宅地とが見えた。その奥には、細かく光を照り返す海。
 どうにも頭に靄が掛かったかのように、思い出せるものがない。
 そこに来て、青年は果たして自分がなにものなのかもわからないという事実に気付いた。
 室内へ戻り、洗面所と思わしきドアを開ける。
 どうやら、こういう記憶はあるようだ。
 鏡をのぞきこむ。
 そこにいたのは金髪に碧眼の若い男のすがただった。
「――国広?」
 ふいに知らない男の声が響いた。
 青年が驚いて振り向くと、中途半端に開けられた玄関ドアの向こう――外界との明暗のあわいに若い男がひとり立っていた。
 目を剥く。
 ちょっとお目にかからないような美人だったのだ。誰だろうと思う間もなく、その男はずかずかと歩み寄り、青年の腕を掴んだ。
「目が覚めたのか」
 どこか上擦った声だった。
 男の青いひとみが不安と焦燥に揺れている。
 どうやらこちらを案じているらしい様子に、青年は無意識のうちに逆立てていた警戒心をすこしだけ解く。
「すまない」
 掴まれた腕をそっと振り解き、青年は一歩後退した。
「あんた、誰だ?」
 刹那、男の目がこれでもかというほど見開かれる。あまりに大きく開くものだから、その中に、先ほど鏡でみたのと同じ顔が映りこむ様子まで伝わったほどだ。
「国広……?」
 男が、ふたたびその名を繰り返す。
「それはもしかして、俺の名か?」
 今から俺の質問にイエスかノーで答えてくれ。
 男はぞんがい冷静だった。
「自分の名前を憶えているか?」
「ノー」
「この場所のことは?」
「ノー」
「これの名前を言えるか?」
「イエス」
「使いかたを知っている?」
「イエス」
 一通りの質問をして、男は神妙そうな顔ですこし目を伏せた。
「俺のことは……、覚えていなんだったな」
 質問の締めくくりに、溜息のように落とされた声が妙に悩ましげに聞こえ、青年はどきりとした。
 改めて、目の前の男を観察する。
 背丈はだいたい自分と同じくらいか。細身だが、しっかりと男らしい骨格をしている。銀色の髪が俯いた拍子にひかりを反射した。とにかく非常に整った顔立ちをした美しい男だった。伏せた藍色のひとみに繊細な睫毛の影が落ちる。
「今度は俺からも質問していいか?」
 男は顔を上げ、すこし目を見開いたが、すぐに「どうぞ」と目を細めた。
「あんたは俺を知っているのか?」
「もちろん」
「その、俺の名前はくにひろというのか?」
「そうだよ」
「あんたの名前を聞いても?」
「長義」
「ちょうぎ……その、ここはどこだ?」
「お前のアパートだよ」
 そこで青年あらため国広は、改めて部屋の中を見渡した。
 先述したとおりの簡素な部屋だ。
 シングルサイズのパイプベッドに、ローテーブルとソファ。そうして今、ふたりでむかいあって腰かけているちいさなダイニングテーブルが部屋にある家具のすべてといっても過言ではなかった。寝具はグレーの落ち着いたトーンでまとめられ、ソファも同色の布張り。部屋の壁紙は白く、クローゼットなどの備え付けの家具はシンプルな木目調だ。
 おおよそ、部屋の主の色がほとんど感じられない。
「俺の部屋……」
 まったく実感が湧かず、国広は困惑する。
 その様子を見ていた長義がまたちいさく溜息を吐いた。
 組んだ両手のうえに顎をのせ、じっと国広を見つめてくる。
「他には?」
 なにかある、質問と。
 その目はじっと訴えかけるようだった。
「……あんたと俺の関係は?」
 それに男はうっそりと笑った。
 まるで待ってましたと言わんばかりに、うれしそうな仕草で。
「恋人」
 その瞬間、喧しい蝉のこえがひときわ大きく耳に鳴り響いた。
 レンジでチンをした白飯にレトルトカレー。
 はじめてふたりで食べた昼飯はそれだった。
 外見の繊細さとは異なり、長義の食べっぷりは見ていて気持ちのよいものがあった。ローテーブルにあぐらをかき、大きく口を開けてスプーンを運ぶ。時折、長い前髪が邪魔なのか、何度かそれを耳に掛け直していた。
 部屋にはずっとエアコンが利いていたが、それでも食べ終わるころには額に汗が滲んでいた。
 国広が食器を洗い終え、リビングに戻ると、長義から声が掛かった。
「ありがとう。久しぶりに食べると美味いよな、レトルトカレー」
 そう言って、長義はうううんと伸びをした。ソファに凭れかかり、首を逸らす。そのくつろいだ様子に、国広はふっと肩の力を抜いた。
 恋人だと言われて驚いたが、遠慮のない長義のすがたは寄る辺の無い不安定な心を不思議と支えてくれた。彼が堂々と振る舞ってくれるおかげで、どことなく安心するのも事実だ。
「長義」
 名を呼べば、すこし驚いたように男が顔をあげた。
「その、ありがとう。あんたのこと、まるで思い出せないままには違いないが、不思議と初めて会ったという感じはしない。恋人……は、すぐには戻れないかもしれないが、その、よろしく頼む」
 長義は笑った。
 そのままずいっと国広に顔を寄せる。
 その距離の近さに、またすこし驚く。
「そう。じゃあひとまずよろしく」
 にっこりと音がしそうなほど綺麗に笑うと、長義はまた伸びをしておもむろに立ち上がった。彼がベランダへと続く窓を開けると、蝉の声が押し寄せてくる。長義は熱風のなかに立ち、しばし眼下の住宅地を眺めるように手摺りにもたれていた。そよそよと銀色の髪がなびくなかで、ふと、彼の足元にちいさなサボテンの鉢と、苗の植わったプランターが並んで置かれていることに気付く。
 自分が植えたのだろうか。
 ここは国広のアパートなのだから、当然そうなのだろう。けれども記憶にないそれらの苗は、まるで異邦人のように目に映り、透明なガラスそのままの隔たりを自分との間に感じさせた。
 席を立つ。
「その苗は、俺が植えたのか?」
 ふいに真後ろから響いた声に、長義が弾けるように振り返った。
 すぐにプランターのことだと気付き、足元の苗と国広の顔を交互に見る。
「ああ。そうだよ」
「なんの苗なんだ?」
「なんの……」そこで長義はじいっとプランターの苗を観察する。「見たところ、獅子唐の苗じゃないかな」
「ししとう……」
 ぼんやりと繰り返し呟く。
 真っ青な実と、それを植えたであろう自分のすがたを想像する。
「好きだったのか、ししとう」
「さあね。それはそれが実ったとき、自分で確かめなよ」
 さらりとそう返され、国広は膝を折り曲げ、真っ白な花をつけた苗の葉にそっと触れた。
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くにちょぎ現パロ
初公開日: 2023年06月15日
最終更新日: 2023年06月16日
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