渺渺
あたし万理に抱かれたかった。
と彼女が言うので、俺は砂浜へ置き去りにした。
高校時代の元カレと、いい大人になってから再会とか、笑えないっしょ。
くさくさしながら代々木の夜を歩いていたら、聞き覚えのある朗々とした男声を聞きとめた。振り向けば、記憶よりもずいぶんと伸びた髪が、記憶よりも少し伸びた背にひとすじ。「万理!」と呼び止め、意外にもすんなりと居酒屋に連れ立った。万理は二軒目だと言い、すでに好い加減なのか、「おまえもこの辺なんだ」と、ふにゃり、笑った。
夜の砂浜っていうのは、あたしたちにとって――というかあたしだけかもしれないんだけど――特別な意味を持つ。そこは万理があたしにキスした場所で、あたしが万理を拒んだ場所だったから。
オトナになってタバコを吸うのはあたしだけだった。環境破壊だと笑いながら吸い口を噛む。そう考えると、高校生の自分は、過剰に純真すぎたのかもしれない。なにもしらない身体をあげるのが怖かっただけ、それで盛りのついた万理を振った。
今のあたしは知ってる。男の身体も男を誘う手管も、いま、こうやって吹きかける煙の意味も。
「ばんり」
歯を見せてへらへら笑う。万理が煙の向こうで振り返り、「煙たい」と顔をしかめた。
「俺いま吸わないんだけど」
匂いつけるなよ、――渋い表情でスーツを脱ぐ。「マーキングしたげるわ」、さらに吹きかける。大人みたいな肩の造りが気に食わない。青い夜に、真っ白いワイシャツは不釣り合いだ。
むしょうにいら立って、苛立って、それが八つ当たりだとわかっていても、汚したくなる。同い年のくせに、自分だけ綺麗みたいなフリをさせるものか。酔っぱらうと考えるのは、いつだって、十年前のあの砂浜であたしの手首を掴んだ大神万理の手のひらだった。
大人になる過程であたしはそれを何回反芻して、欲望して、自涜しただろう。
やだな、と思った。あたしは汚くなったのに万理はなんで。
「……こっち来てよ」
短くなったタバコを砂浜に落とす。赤い光はすぐにいなくなる。空いた右手で、先をゆく広い手のひらを引いた。無防備な腕に強く体重をかける。傾く。
――ほら。簡単に倒せる。ざまあみろ。
「…………なんのつもり?」
鬱陶しい紺の長髪が、灰色の砂を含んで散らばった。馬乗りになる。質問には答えずワイシャツの合わせ目に指をかけた。恥骨の下で男が焦り始める。でもこうやって胸板に乗っていれば、絶対に逃げられないでしょう。
男もののボタンは脱がせにくい。相手の抵抗があればなおさら。
二人で暴れるほど、量産品の生地の隙間に砂が潜り込む。あたしのストッキングは少し破けた。
「――いまから、万理に、抱かせてあげる」
三つ目のボタンを外した。そこでようやく、酔っているから不器用なんだと思い至った。
「抱くって、おまえを?」
「それ以外に誰がいんの、」
鼻でせせら笑う。遠くの海がざあざあ鳴っていた。
「無理だろ。こんなとこで勃たない」
ハン、と嘲笑った。全部が苛立って全部が不愉快で全部がわらえる。
「あの時あんなに勃たせてたくせに、よく言う」
「どけって。俺もう二十七なんだよ。十七のガキと一緒にするな」
あたしの下で捩られる硬い肋骨。
「あたしももう二十七だよ」
だから青姦だってちゃんと濡れるんだよ。
ギターを弾かなくなった、さっきそう知った指先をつかんで、ショーツの中へ拐かす。
雌の潤みに触れたって、無調法な右手は愛戯も抵抗さえしない。
ただ、大掛かりな抵抗をあきらめた顔で、重たそうな呼吸ばかり、している。
あたしを押しのけられないくせに。髪だって服だって汚れてるくせに。
「女の子がさあ、アオカンとか言うなよ。そんなこと言うキャラだっけ」
嗜虐的に見上げられた。この顔は、変わってお兄さんの振りをするようになった万理の中で、知っているものだった。演技の顔。
「十七のガキだって、萎えるよ」
「……」
あたしは、すこし脱力した。
大げさな嘆息が万理の口へ張り付いていた髪を弾く。
「いくらそっちがその気だって、男が使えなきゃ、無理だろ」
お尻の下で骨盤がずり上がる。さらにあたしは怯む。万理は邪魔だと全身で訴えながら、上に乗るあたしを押し退けて立ち上がった。長いスラックスの脚が視界に伸びる。砂まみれのスーツをはたき、振り返る痩躯。
「あ~、もう、シワがすごいな」
乗るものもなく砂浜にへたり込んだあたしを見下して、万理は残りのボタンをぷちぷちと外した。
「な、な……なにしてんの」
男が女を抱く前の必須動作、それにすごく、近い。浅ましい期待が無機質な砂に染みた。脱いだシャツを、無造作にあたしへ投げつける。芝居がかった、ヘンな動作だ、と思う。
「――捨てといて」
そういって素肌の上にジャケットを羽織る。
「こんなに汚されると、洗う方が面倒なんだよ」
「なにもしないの」
「え?」
使用済みの白い布を、はだけてもいない胸に抱き寄せた。タバコっぽい匂いがしたけれど、これはあたしの銘柄で、つまり、マーキングなんかできていない。
「捨てといてくれると助かる」
万理は繰り返すと背を向けた。どこ行くのとは聞けない。十七歳の思春期でもない、二十七歳の優面でもない、どこかの安っぽいホストみたいな恰好をして、汚したかった白い背中は、明るいネオンの闇にまぎれた。
【了】
よくわかんなくなってよくわかんないままおわった