ふたり
私はそのひとをコーチと呼んだ。
コーチと生徒はたぶん、ふつういっしょには暮らさないな。理凰はコーチと暮らしてるけど、あれはお父さんだし。でも私のコーチは私とちょっぴり同じ血が流れているそうだ。たしかに写真のなかのパパとコーチはどことなく似ている。髪の毛と目の色が黒猫みたいで。だからこないだも親子にまちがえられたんだと思う。
はじめてコーチの家におそるおそる足を踏み入れたとき、ここにはなんてなにもないんだろうって愕然とした。椅子も机も時計さえもない。ちいさな冷蔵庫とベッドがあるだけの空間が、薄暗い闇にぼうっと浮かんでいた。部屋の明かりをつけた本人は平然と、どうぞとでも言いたげに顎でなかを指し示す。
「テレビとかないんですか」
私が慣れない敬語でそう聞いてみたのは、1ヶ月経ったくらいのころだったと思う。
「昔はあったな」
「どうして今はないんですか」
「壊れたから」
「」
だってあまりにも楽しくなさそうだもん。
て聞いたことがあるんだけど、「二十歳のときに蹴って壊してから置かなくなった」て言われた
「テレビってけってこわせるんですか」「壊せたよ」「そうなんだ。どうしてものをこわしちゃうんですか?」「さあ……僕にも分からないな……」「ものはこわしたらいけませんって学校の先生いってましたよ」「…………」
「タバコもあぶないんですよね」「……僕は大人だからもういいんだ」「ずるい! あと理凰にこないだひどいこと言ったって」「そう?」「しらなかったんですか? もう……リンクがガッコーだったらコーチ先生にいっぱいおこられてますよ。わたしじゃなくてコーチが行ったほうがいいです」「そう……」
「コーチはどうしておこられないんですか」「昔はよく怒られてたよ……」「へー! 学校で?」「うん。リンクでも」「コーチくらいスケートじょうずでもおこられたのにまだわるいことするんだ」「大人になると怒られなくなるからね……」「じゃあわたしがおとなになったらコーチをおこってあげますね」
こっちの学校にも慣れて、友だちもできたけど、私はあんまり仲良くなっちゃいけないらしい。コーチは有名人だから、
あのひとは歩くのが速くて、いつもは私に合わせてゆっくりにしてくれるんだけど、いろいろ買わなきゃいけないからってどこかに行っちゃったんだった。「どうしたの? 迷子? さっきあなたとよく似た男のひとが探してたよ」って親切なひとが教えてくれた。それでリンクについてバッジテストを受けられたんだった。
景観があんまりさみしいからミニトマトをおいた。
あの日がくるまで、みんなが光さまは今日からしばらくこの家にはいられないかもしれませんね、ヨダカサマがお引き取りになられたら、なんて騒ぐから、私はもうヨダカサマがどんなオバケなのか童話で読んだ魔物を順繰りに思い出してどきどきしながら屋根のうえで見てたけど、ふつうのひとだった。
あの日私は、車窓から見える光景が変わっていったのをおぼえている。春みたい。
小学一年生の光と同居してる夜鷹、光が学校行ってるあいだに家に男招いてセックスしてたら邪悪 たまに男とバッティングするから「あのひとコーチのなんなの?」て聞いてくる光に「……お友だち……?」「なんでぎもんけーなの?」てごまかす夜鷹おじさん
「……光は学校とリンクどっちが好き?」「どっちも! コーチのおかげです!」「? なんで……」「スケートはたのしいし、学校はともだちできてー、パパとかママのはなしみんなしてるとまえはやだったけどー、コーチのことパパだとおもってしゃべったらみんなにいいなーっていわれた!」「!?」
「光、僕のこと友だちになんてお話ししたの」「スケートのことはナイショでしょ? わかってます。だからすごいおしごとしててわかくてカッコよくてやさしくていろんなことおしえてくれるんだーっていいました! これならバッチリかなって」「…………」「え、だめでしたか? コーチ?」「…………」
光と同居してるあいだも破壊的な行動がやめられずタバコワンカートン近く空けてずっとベランダで吸って酒(下戸だけど気を失うのにうってつけだから買ってる)を飲むのを繰り返し、とつぜん床にぶっ倒れたコーチの手をずっとちっちゃい手で握っててあげた光ちゃん小学一年生 水入れたコップもあげる
光(死んでる……)
※死にかかってます
夜鷹と同居してたときの光、何度か「鴗鳥さんたすけてくださいコーチがねてておきないです」「学校からかえってきたらおさけとかタバコとかいっぱいちらばってて」「しんぞうがバクバクいってすごくくるしそうですたすけてください」て電話かけたりしてそう 鴗鳥家に移住したのこれのせいだろ 嘘つけ
慎一郎と夜鷹が話し合って鴗鳥家に光を引き取ることになったが、光が「わたしがいなくなってひとりになっちゃったらコーチはどうするの? またわるいことしてこんどはしんじゃったらどうするの!? だれがコーチのことたすけてくれるの!?」てわんわん泣くからさあ……
「大丈夫だよ。僕は死なないしちゃんと光をオリンピックに連れていくから……」「こないだタバコすってフラフラしてたときもそういってたじゃん! もうしんじない」「今度こそ止めるよ……約束する」「いっかげつまえもそういってたのきいたよ」「慎一郎くん助けて……」「光、大丈夫だから……な?」
見かねて「コーチ……いっしょにやりましょう! 私実は学校のアジサイもトマトもけっこう上手に育てた方なんですよ!」て言ってくれる光ほんとにいい子だな。ふたりでトマト作って収穫したのを「光が手伝ってくれたんだ……」て夫にあげる夜鷹おじさんは和んじゃうよね。