閉ざされた部屋だった。カーテンの向こうでは月明かりが差しているはずだけど、この場所までそのやわらかな明かりが届くことはない。
 代わりに、オレンジの室内灯が部屋をうすぼんやり照らしていた。
「渚さん」
 ベッドの上で風南が呼びかける。風呂上がりで上気した頬には健康的な赤みが差している。あどけない笑みと相まって、実年齢より彼女を幼く見せていた。
 髪の毛、まだしずくの乾ききらない房を一房掬って口づける。それから、頬に、額に、鼻に、唇に。順繰りに唇を落としてゆく。
 くすぐったいのか微かな笑声をあげる風南は抵抗する風情もない。鼻の頭をかるく噛んでやれば、それさえ驚いた風もなく受け入れた。
 スキンシップと称して、彼女の身体に幾度触れただろう。
 噛みついて、呑みこんで、腹の中に収めてしまいたい。すべてを手中に収めて、丸め込んで、いいようにしたい。
 その欲を知らない筈もないだろうに、風南は触れられることに怖じない。口づけを教えたのは、舌を受け入れる様に教えたのは、動きに応える様に教えたのは、渚だった。
 やわらかな肌触りをしたシャツをそっと肩からずらして脱がせる。
 きょとんとした視線が渚の手元を見て、それから、瞳は渚の顔に注がれる。
「どうしたの?」
 お風呂にはもう入ったよと、不思議そうな口調で風南は言った。はだけられた肩は、艶やかに室内灯の明かりに照っていた。
 手が伸ばされる。頬に触れる。温かな温度が肌に触れて、風南と渚の差異を余計際立たせるようだった。
 風南は温かくて、渚は冷たい。それぞれべつの生き物として、一人と一人として、生きている。
 それがどうしたって耐えられなかった。
「さむい、から……暖めて」
 風南のシャツをすべて剥がしてしまう。自身も纏っていた上着を脱いで、身一つになる。何も纏わない自身はなんだか平坦で、いつだっておかしな気分になる。
 やわらかな肌に触れて、心臓の鼓動を聞く。平時より少し早いような、やっぱりいつも通りのような、規則正しい心音。
「いいよ。ぎゅってすればいいの?」
 頬に伸びていた手が渚を抱きしめる。渚の背中あたりでゆるく絡められた腕は、やわらかく細い。
 独占欲。支配欲。抑えられないさまざまな欲望が、彼女を所有したいと叫んでいる。
「それよりもっと、いいことをしよう」
 抱きしめて、引き寄せた。胸の内に抱いたまま押し倒す。彼女の呼吸ごとに、胸同士がくっついて離れる。自身のうちに荒れる嵐に、渚は抗わなかった。そうすべきとも思わなかった。
「いいこと?」
 風南の瞳はいつだってまっすぐに渚に届く。どこか盲目的なまでの愛。とっとっとっとっと。心臓の音が聞こえる。自分のものかもしれなかった。それくらい、二人の心臓は近くにあった。
「そう、いいこと」
 一人と一人じゃなくって、ひとつになるんだ
 そう耳元でささやく。くすぐったいのか風南がみじろぎしようとして、でも、させない。
 あえかな笑声だけを抵抗として、風南は渚に身を任せた。耳に、首筋に、肩に、鎖骨に、胸に、渚は愛を施してゆく。
 花弁のように赤い印を全身に刻まれて、風南は息つく暇も無かった。
「風南さんも、してくれる?」
 チョーカーを外して、渚は自身の首を晒す。風南の手であっても折り取ることは可能だろうと思わせるほどに白くて華奢なそこを指さして、渚は口元だけで笑った。
「いいよ。一緒にする」
 見よう見まねで、風南も渚に吸い付いた。へたくそなキスマークが、首に、腹に、二の腕に、太ももに、全身に刻まれていく。
 たどたどしい仕草。渚がそれを「はじめて」教えたのだと、何より如実に語っている。それは渚を随分と満足させた。はじめてで、唯一で、絶対だと、彼女の行動が教えてくる。口の周りを涎でべたべたにしながら、風南は一心に渚の動作を真似ていた。そのすべてが愛おしかった。
「おそろい、だね」
 下手な吸い跡を指して、渚は笑った。もういいよ、とつま先に口づけようとする動作を留めて抱き寄せる。すっかりとのぼせた風情の彼女の唇にキスをして、深く吸い付いて、舌と舌を絡めて、このまま食べてしまえたらいいのに、と夢想する。
 オレンジの室内灯が随分と邪魔くさかった。照らすものはもう必要ないと思った。
 彼女を見るものは、月でさえ要らない。太陽の下が似合うと知っていても、この狭い部屋で一緒に閉じこもっていたかった。だから。
 明かりを落とす。暗闇の中で風南を抱きしめる。
「もっと、どろどろになろう。何も考えられないくらい。……私のこと以外感じないで」
 意味を知っているのか、知らないだろうに、風南は笑い返した。そんな気配がした。見えないけれど、いつもの笑顔がそこにあると、渚は確信できた。
「いいよ。ひとつになるんでしょ? あたしも、渚さんと一緒がいい」
 やわらかな肌が、ぬるい温度が、滴る汗が、不規則な心音が、甘い吐息が、まざりあって一つになる。溶け合って全てになる。
 二人を見るものは、何もなかった。
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雨とカプチーノ
初公開日: 2021年09月07日
最終更新日: 2021年09月07日
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