来たりましたるはバレンタイン商戦。そう、戦である。どこかの企業がバレンタインをチョコレートの祭典にしたお陰で、2/14は乙女のXデーとなっている。こないだの初詣で今年こそは関係性を進展させてみせますと神様相手に大見栄を切った直後、今やらないでいつ仕掛けるのか。そう、今年がはじめてのバレンタインなのだ。彼との付き合いが半年とちょっとなことに驚きつつ、はじめて、なんだから、やっぱり、びっくりとどっきりと嬉しいに溢れたものにしたい、と画策する。
 百貨店のバレンタイン催事場に一歩足を踏み入れれば、人、人、人の山。平日の昼間だというのに、すれ違う人と肩がぶつかるほどの人ごみだ。
「おひとついかがですか?」
 にこやかな愛想笑いとともに四方八方から差し出される試食の数々。あ、これおいしい。塩味の効いたそれを自分用にお買い上げしつつ、肝心の本命チョコが見つからない。どれもこれもピンとこないのだ。
 大人だし、ウイスキーとか好きだし、ウイスキーボンボン? あまったるいのは苦手そうだから、高カカオチョコレート? チョコのビールなんてものもあったが、未成年の自分には買えないからと却下して。
 売り場を何周しただろうか。目が回った。そそくさとその場を退場して、これは敗戦ではない。戦略的撤退だ、と自分に言い聞かせる。それにしても、どれも美味しかったな。自分用にと買ってしまったショッパーたちを両手に抱えただけの満足感と徒労感を等分に、その場を後にした。
 次に向かったのは、大型スーパーの製菓コーナー。ピンとくるものがなければ、作ればいいのだ。
 すでにめぼしいレシピはピックアップしてある。白川菫はデキる女なのだ。初心者にもやさしく、それでいてちょっと捻ねたあの人の味覚に合うはずのもの。
 生クリームと、ビターチョコ、それから、インスタントコーヒーに無塩バターを手にし、いそいそとレジに向かう。ココアパウダーだって新調して。余った分は、自分で使えばいいのだ。なんて、こんな風に西洋の行事に浮かれることを自分に許すだなんて、一年前の自分が想像しただろうか。
 しなかったなぁ、なんてため息をついて。それは冬の風にふるりと消えた。凍える冷たさは、一筋の郷愁だってくみ取ってくれやしない。
 冬は、妹がよく体調を崩すから……あの子はいつだって万全の調子ではいないけれど、余計と弱るから……いつも気を張っていた。LI〇Eの上の彼女は、この冬は元気そうだ。
 ぱちん、と両頬を叩く。もう、離れた家のことだ。できる以上の仕送りはしているし、これ以上できることはない。
 気を切り替えよう。Xデー当日までに、何度か試作はしておくべきだから。がさがさと音を立てるエコバックの中に僅か笑いかけて、歩を進める。
―――***
 クリスマスもお正月もない職場に、バレンタインのあろうはずもない。女性警官から、とまとめて机の真ん中に置かれたキットカットの山が、かろうじての季節ものとして意地を張っている。
 その山々からミルクチョコを選んで一つ取っている監督官を背に、ずんずんと進む。いまだに紙の書類に溢れた彼のデスクは今は空で、肩透かしを食った気分だ。どうせなら直接渡したい、という気持ちと、あまり押しすぎても、という思いで二分される乙女心。葛藤は渦を巻いて、視野を狭くする。
「菫さん?」
 だから、気付かなかったのだ。この男は、ずんぐりでっかい癖に、夜の匂いに紛れることだけは上手で。それは煌々とオフィスライトの光るデスクのキマでもおなじことで、背後に立たれる不覚を許してしまう。
 見上げれば、黒髪をくしゃりとかきまぜた羽風さんが立っている。
「羽風さん」
 目線をまともに合わせられなくて、俯く。今更、こんなに恥ずかしい。これなら、既製品を机の上に置いておくだけで良かったのに。なんで手作りしようとか、中学生じゃあるまいし。ほんとうに今更だ。
「どしたん」
 屈んで、のぞき込まれる。待って、顔、赤いから。背なに隠したチョコレートの包装が、今にも爆発しそうな爆弾のように思える。
「なんでもありません」
 嘘。嘘をついた。恥ずかしくて、隠したくて、逃げ出したくて、そのどれもできないで、ただ、無理やり胸元に持っていた包装ごと押し付けて、逃げ出した。
 なんて醜態! もっとクールにかっこよく、あるいはさりげなく渡したかったのに、これじゃまるで、好きみたいじゃないか。いや、好きですけど。好きになるのはこの人しかいないと思ってますけど。そうじゃなくて。乙女じみた仕草は自分に似合わな過ぎて涙さえ滲んでくる。顔が赤い。
 追いかけてくる足音はしなかった。代わりに、ピロン、という無機質な着信音。あのひとだと分かるように、だけど意味はないように設定した音。
『ありがとね、いただきます』
 お巡りさんこの人です。この人捕まえてください。恋泥棒とかの容疑で逮捕してください。お願いします!
 端末を人差し指で操作している姿が目に浮かんでしまって、その瞬間に胸が痛んで。切ないほど。
『お返しは三倍ですよ』
 何でもない風に返信しながら、指先が震えている。心臓がばくばくと音を立てて、やけに早まった脈をこめかみで聞いていた。
 さぁ、一か月後に何をくれるのだろうか。任せきりにしていたら、また、えらいものを渡されてしまいそうだから。今のうちに手綱を握っておかないと。なんて思考を彼方へ飛ばしながら、脳内で快哉を叫ぶ。
 やった、やった、無事に渡せた。自分の挙動不審も、あの鈍ちんには伝わらなかったようだし、これは完全勝利ではないか?
 本命ですよ、と伝え忘れたことや、颯爽とは言い難い仕草を思い出してベッドに転がって足をばたばたさせたのは、その日の晩のことだった。
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初公開日: 2024年02月05日
最終更新日: 2024年02月05日
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