「君、ひとりなの」
彼女は空き地にぽつりと置かれている錆びた遊具を前にしてそうつぶやいた。
否、何も感じ取れぬ者にはそう見えたのだ。
彼女を見かけた者は一瞬目を見やる。遊具しかない、誰もいない空間に声をかけている姿はその者には異様に映ったことだろう。しかし、数秒もたたずその者は止めかけた歩みを再開する。彼女のつけている”いやほん”なるものを見て電話をしているのかもしれないと勝手に結論をつけたのかもしれないし、単に興味を失ったのかもしれない。
でも僕には都合がよかった。探し回ってようやく振り向いてもらえたんだ。僕らの逢瀬を邪魔されたくはなかった。
さあ、僕の名前を呼んでくれ。きっとそれだけで、それだけで僕はお前の知る姿に戻れるんだ。
「もしかして私にしか見えてないのかな。君のこと」
ああそうだ、お前が教えてくれたのだろう。お前のいるこの世界にはドラゴンが居ないのだと。僕を認識できるのは今この世界にはお前くらいなものだろう。僕がお前だけに心を許しているからだ。
さあ早く、僕の名前を呼んでくれ。この姿では僕は言葉を発することはかなわない。
彼女のいるこの世界に来るために大きな制約が課された。
人の身を保つための、そして魔法を行使するための魔力、体力が著しく減少、抑圧される制約。
これによってドラゴンの幼体とも呼べる力ない姿でしかこの世界に顕現することが叶わなかった。魔力、体力が共に回復すればいずれは成体へと変化することも可能ではあろう。しかし、それでもヒト型へと変身することはできない。この姿では、口から言葉と呼べるものを発することもかなわない。
肉体の成長は許されていたが、制約の解除には条件があった。
それはは僕の名前を他者に呼んででもらうというもの。
つまりは今目の前にいる人の子・ユウが、僕の名前を呼ぶ必要があるのだ。
こくりと首を傾げ、どこか困ったような笑みをたたえる彼女。
その笑顔は、かつてともに学友として過ごした学園で、僕に見せた最後の笑顔のままだった。
「きゅい」
”もう大丈夫だ、僕が今度はそばにいる”そう声に出して、彼女をまたあの花がほころぶような笑顔が見たかった。
しかし、口からついて出たのはドラゴンの幼体としての鳴き声でしかなかった。
ヒト型になることが叶わず、言葉もまともに発することが出来ない。
無理して彼女の世界に堕ちた代償はあまりにも大きく感じたが、彼女と再び同じ時を過ごせるのだと思うと逸る鼓動を抑えることも出来なかった。
「えっと......一人なら、ああいや一匹か。君、一匹なら.......ウチくる?」
言葉を、失った。
彼女はあの世界での出来事を覚えてはいなかった。
彼女は、ユウは困っているならと手を差し伸べた。
彼女が自身の世界に戻った日。最後にと僕の名前とドラゴンとしての姿を晒した。決して忘れぬように。決して違わぬようにと。
しかし、彼女は僕のこの姿を見てもまるで初めて見たとでもいう表情を浮かべて手を差し伸べる。その姿は僕の知る人のいいユウそのものであったが、それでも僕を覚えていないという事実に打ちひしがれた。それが鏡を通って元の世界へと帰る代償であったのだろうか。
ならば、あの最後に見せた笑顔は、すべてをわかった上でのものだったのだろうか。
どう処理すればいいのかわからずにいた。
しかし、彼女は常に努力を重ね、諦めぬヒトの子だった。そんな彼女であればきっと根気強く名前を、自分を思い出してもらうまで粘るのだろう。まさかそんな日が、僕が”努力”を重ねる日が来るなんで夢にも思わなかったが、僕を変えたのは紛れもなくユウだった。
彼女のために努力するのは、存外楽しいものかもしれない。
ならばと僕は、彼女に差し伸べられた手に小さな自身の頭を乗せ、彼女と共に帰路へとついた。
「そういやきみ名前は?」
なんと返事を返したところで彼女の耳には”きゅい”と鳴き声しか届かない。
「うーんごめんわからないや」
そうだろうな。力が戻ればもしかしたらテレパシーとして直接語り掛けることも可能であったかもしれないが、どちらにせよ今のままでは何も返答することが出来なかった。
「正直まずはその姿について詳しく聞きたいけど名前を呼べないことには不便だよね...ドラゴン君じゃ安直すぎるし......」
「きゅい」
「私が付けてもいいかな」
「きゅい!」
「それは肯定受け取ってもいいのかな…?」
「きゅい」
「ならそうだな……ツノ太郎、ツノ太郎なんてどうかな?」
「きゅいきゅい!!」
「もしや喜んでくれてる?嬉しいな!じゃあこれからよろしくね?ツノ太郎!まず家に帰ったらドラゴンが実在するのか検索するところから一応始めるか……」
ここから一人と一匹の生活が始まった。
このドラゴンがヒト型へと戻るには長い時間がかかるが、それは彼にとっては些細のことであった。
今はただ、隣を再び歩むことが出来る喜びと共に、彼女の隣をその背中に生えた小さな翼で追いかけた。