頭に浮かんだことばをひたすら書いていく。自由連想文ってやつをやります。目安の時間は10分。
今回のはじめのキーワードは「嫌い」。
嫌いだってはっきり言ってしまう方が良いのでしょうか。それとも押し隠すべき感情なのでしょうか。ネガティブな感情を持たない人間はいないとは思いますが、ネガティブな感情を決して表には出すまいと固く決意している人はたまに見かけます。私としてはそういった負の感情もドバドバ表に出しちゃっていいと思うのですが。少なくとも、ため込むことでいらぬストレスまで抱えてしまうよりは。
インターネッツ上での話に限定するなら、なおさら、という気がします。八方美人になることで得をすることもあるのでしょうが、みんなにいい顔をするのはリアルだけで十分なんじゃないかとか。
ネット上の人間関係で悩むなんてあほらしいでしょう。そんな考えはどうやらもう古いようなのですが。
むかしむかし、インターネットの世界とリアル世界は完全に切り離されているものでした。インターネット以前になってくるとまた違ってくるのですが。少なくともいわゆる2ちゃんねるの全盛期のころは、ネットにリアルの自分を出すことに対して、今とは比べ物にならないほどの恐怖感と嫌悪感を皆が抱えていたような気がします。
もっとも、そうでないひともたくさんいましたが。
常に匿名で、リアルの自分とは違う自分でインターネット上のコミュニティに参加するということは、ひとつ明確なメリットがあって、嫌になったときにすっぱりとやめてしまえるということです。そのうえで転生などしてしまえばもうOK。何も心配することはありませんでした。
今ではどうもそうでないことが多いように見えてしまう。ネット上だけ、すぐに断ち切れる関係だけではなく、ちょっとリアルでも繋がってしまっている、そんな感覚が多い。非常に。リアル友人と繋がるアカウントでネッ友ともつながる。それが普通だったり、ネットとリアルがどんどん近い位置に来ている。
それが、どうも自分のようなインターネット老人会には受け入れがたいものとして映っている……のが、だいたい十年くらい前の話でしょうか。さすがに今はそんなこともありませんが、それでも、自分からリアルとネットをつなげようとは、今でもやっぱりどうしても思えない。私はここにいる私だけでいい。なんなら私がなくてもいい。作品だけでいい。
作品至上主義、とでもいうべき思想が昔ありました。創作発表板。2ちゃんねるの一地方の話です。創作の魔王、ハルトシュラー閣下。ハルトシュラー主義。いったい、どれだけの人が覚えているのでしょうかね。
創作者は、ただ作品のみで語るべきである。文字レス(作品を投稿するレスと区別するために、こういう表現を当時の創発の人間は使っていました。不思議な言葉ですよね)してる暇があるなら創作しろ! と。
いやあ懐かしい。とは言いません。私はいつもそうでありたいと思っています。……他人に押し付けようとは思いませんが。自分の作品に限って言えば、作品の外での設定語りとか解説とかはあまり好みません。それが伝えなければならないことであれば作品を通して伝えるべきであるし、伝わらなくてもかまわないことであれば、わざわざ述べる必要もないだろう、と。
たぶん、今の時代には合わない思想だと思います。それでもいい。だってこれは、私のための思想だから。