頭に浮かんだことばをひたすら書いていく。自由連想文ってやつをやります。目安の時間は10分。
今回のはじめのキーワードは「かえりみち」。
かえりみちでみつけるもの。たとえば空とか、草とか、虫とか、猫とか。いつもそこにあるけれど、なかなか気付かないもの。あるいは、いつもそこにないから、すぐに気付くもの。
かえりみち、ふと視線を投げた先には、きっと、もっと広い世界が広がっている。普段は見えていないだけ。
ただ帰るだけじゃなくて、たまにはこうして視点を変えてみて。わたしたちは、たくさんのものを知っているようで、何も知らない。通い慣れた道のことも、知り尽くしているようで、何も知らない。
そういうことが、たくさんあるとおもう。
きっと、何か目的があって、道をすすんで、それから頑張ったり、笑ったり、泣いたり。心を燃やした後に、たどる帰り道。
ここまで進んできた道と同じ。だけどちがうもの。おなじようで、まったくちがう。全然ちがう。角度が変わるとか、そういうことじゃなくて、かえりみちというのは、最初に通った道とは、まったく別の存在なんだって。
なかなか気付けない。わからない。おなじものなのに、ちがうということ。たぶん、きっとそう。みんな、いつも見過ごしている。もっと注意深くならなければ。これまで視界の隅をかすめて、それでも、けっきょく意識を向けることのできなかった宝石が、いったいどれだけあるのだろうか。
いつも同じ道を通る。何度も。変わらず。もう何年か。一度とて同じ景色は無かったはずだ。いつもの帰り道。けれど、一度きり。一度きりであるはずだ。すべてが。
価値というものを希少性に求めてはいけない。そこにはすべてがある。どこにでもある。だからこそ尊いのだと。気付かなくては。
いつもと同じ道を何度も通った。もういやだ。同じことのくりかえし。その中に隠れている価値? そんなものを探すだなんて、退屈に殺されてしまう。
毎日を丁寧に、たいせつに。変わらない日常の中にある確かな価値を……そんなものよりも、知らないところに行く方が、ずっと意味があるのではないか?
日々の生活。生きるために必要なこと。ルーティーンの繰り返し。何度も、何度も。飽きるまで。飽きても。もう嫌だって思っても。そうなるのだろうか。私も。
この先、こんな繰り返しをあと何度こなすのだろうか、と、漠然とした不安に駆られることがある。ずっと何度も同じ場所をぐるぐると回っているばかりで、ちっとも前に進めている気がしない。ドリルは一回転するごとに少しずつ前に進んでいくというけれど、空転していないと誰が保証してくれるのだ?
ここはただのがらんどうだよ。掘り進めていくものなんて、何もないのに。