頭に浮かんだことばをひたすら書いていく。自由連想文ってやつをやります。目安の時間は10分。
今回のはじめのキーワードは「レバガチャ」。
レバガチャしてるときの音ってわりと好きです。ただし全く知らない赤の他人が立ててる音は除く。かちゃかちゃしてる音が断続的に聞こえるのってちょっと耳が心地良いよね。ただし嫌いな奴が立ててる音も除く。
人間の好き嫌いって、単純な「そのもの」だけに対する評価だけじゃなくて、付帯的な要因にも大きく左右される気がします。「それ」を誰がやっているかとか、どこでやっているかとか、なんでやっているかとか。
同じものでも、状況が変わってくれば印象も変わってくる。「それ」そのものには何の変化もないのにね。勝手なもんだよ。本人が何も変わらなくたって、環境が変わればそれだけで評価が180度変わってしまうこともある。理不尽でもあり、また救いでもある。どうしようもない絶望にとらわれている人が、ある日突然救われる可能性もあるのだから。
救い。欲しいですか? 私はどうせなら自分の変化によってつかみ取るものでありたい。与えられるだけの救いには、あんまり興味が持てそうにない。自分を救ってやるのは、自分自身であるべきだ。と、思う。そう思いたい。
他人の手によって与えられた救済は、真の「救い」にはなりえないのではないかと考えている。己自身の手で、確かな納得と共に勝ち取ったものでなければ、そこに価値を見出すことは難しいように思う。
おれが。おれが。そういう主体が一番大切なのではないか。だれかが、なんて言ってたら、たぶん、何も手に入らない気がするんだ。
だからおれはおれが欲しいものが知りたいのだけれども……なかなかそれが難しい。小説くらいならわかるんだけどね。自分の需要を満たすために書く。需要が一人いれば十分だなんて言ってた人もいたけど、私は自分が望んでいるなら、自分が求めているものなら、他の誰も興味を示さなくったって構わないと考えている。うるせー俺はこれがいいんだよの精神。
他人の評価ってのは、たしかにもらえればうれしいもんだ。けれどそれはあくまで副次的なものであって、俺の原動力になるのは、常に俺自身からの評価だけだ。他人に受けようとかは考えない。俺が、何をしたいのか。重要なのはそこ。最近、文章に限ってはそれができてきているような気がする。私生活ではダメダメだけど。
本当に私生活のダメっぷりはなんとかしないと、そろそろ大人としてマズい水準に入ってきてしまっている。アラサーになってからこっち、二十代前半のころのような、社会経験の薄い人間としての緊張感みたいなのが崩れてきて、悪い意味で慣れてきてしまっている。これはあまり良くない。良くないんだけど……自分一人で何とかするのって、なかなか難しいものなのだ。
とはいえだからといって何もしないのは、やっぱり駄目だと思う。ダメだとは思うのだが……いかんせん、行動が伴わない。まずは簡単なことから始めよう。そう思って、毎週簡単なところだけで終わっている。
ちょっとずつこつこつやっていけば大丈夫だよ! っていう人がいるけど、ちょっとやったらだって次の日にはもうその分元通りになってない? 毎日同じことを繰り返して、同じ場所をいったり来たりするだけで、ちっとも前進しないんだよ。
どーすりゃいいんだ。