熱線が肌を軽く焦がす。気温も元気に真夏日だ。
 それよりもなにより湿気がひどい。汗でユニフォームはとうにぐちゃぐちゃで、不愉快さに身じろぎする。
 でも、そんなのは関係なかった。軽くかすみがかった視界。眉根を寄せて目を凝らし、ようやく焦点が定まる。
 心臓がばくばくしてる。いい。緊張で四肢が硬い。無視しろ。
 九回裏ツーアウト満塁。エラーとポテンヒットが続いたピンチ。一本、一人出せばサヨナラ。ここを凌げば延長戦。向こうのピッチャーも私と同じようにヘバってるはずだ。チャンスはある。
 状況は理解できてる。よし。
 まだ目はぼんやりしてるけれど、一点だけ――キャッチャーミットさえ見えてればいい。
 ふぅと息を吐く。
 ぐ、と腰を捻る――弾けるように動き出す。
 腕を回す。足を開き、前へと踏み込む。
 体重移動、前傾しながらしなやかに一回転させた腕をさらに加速させる。
 ボールにかかる指の感触は完璧だった。
 三号の白球がミットに吸い込まれる――直前、バットがその進路を覆い隠した。
 鈍い金属音。空気を割く音が迫る。
 打球の認識が遅れた。ただ、直感が体を動かした。
 首を曲げながらグローブを逆方向に伸ばす。
 衝撃が左手を吹き飛ばす。グローブの中に掴んだ感触は、ない。
 あとのことはよく分からない。
 ただ、その感触と、周りの歓声と悲鳴が、私たちの敗北を報せていた。
 /
 ぼんやりと、昼下がりの窓の外を眺めている。
 今日は夏至だという。一年で最も陽が出てるのが長い一日。
 あれだけの熱がまるで嘘のような静寂。いや、教室は相変わらず暑いし、国語の先生の声もあるから、それらは正確じゃないんだけど。
 なんというか、私の心がそうなんだ。
 ……中学最後の大会。私たち女子ソフトボール部の。
 一昨日に会った、県予選の準決勝。
 一応とはいえ、私たちも優勝候補に挙げられる程度にはいいチームだったと自負している。一方の相手も優勝候補。優勝候補同士、一点を争う好ゲームだったと言えよう。
 結局、試合はゼロ進行のまま、最終回にサヨナラ負け。
 相手チームは続く決勝でも見事勝利を収め、優勝した。
 県大会優勝校相手に苦戦させた、と言えば聞こえはいいかもしれない。
 でもそれは観客にとってだ。選手にとっては負けは負け。なんの慰めにもならない。
 最後のピッチャーライナー。あれは捕れたはずの打球だった。視認と反応が一瞬遅れてしまった。たったそれだけで、私たちは負けた。仮にも背番号一を預かったエースとしては悔やんでも悔やみきれない。
 私の夏は、一足早く終わりを告げた。
 授業にも身が入らない。それはいつものことだと、メンバーからは笑われるだろうけれど。
 思っていたよりも敗戦のショックを引きずってる自分が、またショックだった。
 長い昼の、長い空白。なにをすればいいのだろう。
 時間を持て余してる。これまでだったら練習があったけれど、夏大会が終わった今はもう引退の身だ。
 休日の過ごし方は流石に女子中学生ともなれば色々とある。でも、それは練習漬けの中でやりたいことが溜まってる中での遊び方だった。どれも今の私の気分ではない。
 ぼんやりと考えてはみれど、空回りばかり。
 ただただ、時間を貪っていた。
「――菜月」
 うたた寝にも似た思考の空白に、声が届く。高いけれど落ち着いた声音は、この三年間で幾度となく耳にした馴染みのものだった。
「お?」
「なに黄昏てんの」
 前の席に座った侑が、椅子ごとこちらを向いて苦笑していた。
 部活のチームメイト。幾度となく堅実な守備に救われてきた、多分、一番仲がいい友人。
 同じ経験をしたはずなのに、侑は私と同じ気持ちじゃないんだろうか。敗戦に――中学最後の試合となったことに、私を含めみんなが涙を流していた中、侑だけは泣かなかった。今も、敗戦のショックを引きずった様子は見当たらない。
「あれ、授業は?」
「終わったよ。とっくにね」
 慌てて周りを見れば、みんな立ち上がって談笑するなり教室から出るなりしていて、すっかり下校の雰囲気だった。
「マジか。マジだ」
「朱里は部活行ったし、こよみは帰ったけど、どうしよっか」
 頬杖を突きながら私を見て訊ねてくる。どうやら侑も時間を持て余してるらしい。まぁ部活同じだから当然といえば当然だけど。
「侑は帰んねーの?」
「早く帰ったらウチ手伝えって言われるじゃん」
 当然の疑問に対し、侑はそうむくれる。
「金もらえるだけいいじゃんか」
「それはそーだけどさー。これから毎日言われるのはいやだよ、いくらなんでも」
「あぁ……それは確かに」
 これまでは放課後は部活で遅くなってたし、休日も練習か試合ばっか。たまの休みはぐうたらしたい、遊びたい。そんな時間の連続だった。
 これからはそうじゃない。少なくともあと半年くらいはへとへとになるまで練習することはない。休日もぐーたらできる。
 侑の場合、そうしてたらずっと店番するはめになるんだろうけど。
 私は。
「負けちゃったね」
 窓の外を見ながら、侑が呟く。
 どこか寂しげなその音色に、私はようやく理解する。
 侑も悔しいんだ。悲しいんだ。
 ただ、泣くには――侑の器は広くて、広すぎて、思いの丈が心から溢れなかっただけ。
「……そうだな」
「どうしよっか」
 さっきと同じ質問。
「どうしよっかなぁ」
 私も窓の外へと視線を移して、繰り返す。侑の問いを。さっきまでのぼんやりとした思考を。
 グラウンドでは、ユニフォームに着替えた部活の後輩たちがウォーミングアップを始めていた。
 ……別に、これからソフトができないわけじゃない。高校でも大学でも、なんなら大人になってもできることはできる。
 そう、負けたこともショックだけれど、ソフトはまだ続けられる。勝ち負けは当たり前。トーナメント形式も、これから何度となく経験できる。
 ただ、今のチームが終わってしまったことが、寂しかったのだ。
 一時の寂寥感とは分かっているのだけど。
「……なぁ。侑」
「ん?」
 お前も、一緒の高校行かないか。
 思わずそんな言葉が、口を衝きかけた。
「……いんや。やっぱいいや」
 言おうとして、止めた。
 言ったらきっと、侑は本当に来てくれるから。
 それは違う。
 なんで私はソフトをする? どうしてソフトを始めた?
 そんなの――私がしたかったからだ。
 私が、したいと決めたんだ。
 侑もソフトをしたいんだったら、確かに誘ってもいいかもしれない。もしそうだったら同じチームでやりたい気持ちはある。
 でも、本当のところ侑が熱心にやりたいのは、ソフトなのか?
 侑の広い心を埋め尽くすのは……きっと、ソフトじゃない。
 訊かなきゃ分からないことではあるけど。
 なら――そういうのは筋違いだ。
「えー、なにそれ」
「いんだよ別に。どうでもいいことだった」
「気になる言い方」
 そうは言うけれど、侑はそれ以上は食い下がらなかった。気を遣われたのかもしれない。そういうところが侑にはあった。
 溜め息を吐く。寂しさに誘おうとした、なんて言えない。んなもんかっこ悪い。センチメンタルになってんなぁ、どうも。
 こういう時は、いつもどうしてただろう。
 ……そんなのは決まっていた。
 私には、それしかないんだから。
「おし、んじゃシゴキに行くか」
 私がそう言って鞄をからうと、突然のことに乗り遅れた侑がぽかんと私を見上げていた。
「え、引退したのに?」
「引退したからって顔出しちゃ悪い決まりはないだろ」
「後輩からウザがられるよ、そんなことしちゃあ」
「いーんだよ。ウチの顧問、技術指導できないんだから」
「大体ユニ持ってきてんの?」
「体操服でいいだろ、シゴキなんだから」
 私がそう言うと、侑は止められないと思ったのか、大きく溜め息を吐いた。
「……はぁ」
 席を立つ侑を私は「どうする?」と目で訊ねる。
 アイコンタクトは手慣れたものだ。これまで守備で何度交わしたことか。
「分かったよ。菜月一人じゃ厳しそうだし、私も着いてく」
 呆れたように、でも少しばかり笑みを浮かべながら、侑は私を見上げた。
「お前の方が厳しいんじゃないか?」
 からかいながら歩き出すと、「なにおう」と後ろから足跡が着いてきて、すぐに横並びになる。
 あぁ。今はこれでいい。今は。
 とにかく今日の長い昼は、どうにか埋まりそうだった。
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やが君ワンライ⑤
初公開日: 2021年06月19日
最終更新日: 2021年06月19日
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お題 夏至orおにぎり