春のかわ
!審神者の死亡描写あり
!刀剣男士の欠損表現あり
読むひとを選ぶ内容となってしまい申し訳ありません。
大丈夫そうでしたらご賞味頂けますと幸いです。「春」を憎んでいる山姥切長義の話。
朱色と紺色とが入り混じった朝焼けの淡い色彩が、小川に映りこんでゆらゆらと揺れていた。裸だった土手にそろりそろりと緑野が交じりはじめて、ようやく春が訪れたと思ったのに。
山姥切長義は土手に寝転がり、手にした御守りを眼前で揺らした。
「意味ないよ」
こんな御守り、幾つあっても意味がない。
「主、貴方が居なければ何の意味もない」
陽溜まりの中、縁側で指した将棋を思い出す。同じだと思った。『王将』が居なければ、何の意味もないのに。
「戦だろう」
そもそもの間違いはそこからだ。戦の只中であったというのに、あまりにも穏やかな時間であった。蒼穹の下、刀剣男士たちと共に庭を駆ける若人のすがたを思い出す。無垢だった。あのひとは、「戦」というものをあまりにも知らなさすぎたのだ。一度も汚されたことのない真綿のような心で以て審神者は刀剣男士という神の異形を愛しんだ。いつしか、あの人の子は、歴史ではなく刀剣男士を守るようになった。
愛とは何なのだろう。
このぽっかりと空いた心の喪失も、愛と呼ぶのか。
「山姥切長義だな」
ふいに、低い青年の声が響いた。
動かないからだを横たえたまま、視線だけで声の主を見遣れば、赤黒く燃え盛る本丸を背に、ぼうやりとした白いかたまりが立っていた。否、それは襤褸布を頭からかぶったひとりの刀剣男士であった。霞んだ視界が、ただ漠然と大多数の情報である白色を認識したに過ぎない。山姥切長義は溜息を吐いた。ほとんど視力を失っていてもなお、あれが何者であるのか己は間違えないらしい。
「××2058号本丸所属の山姥切長義だな。俺は、政府回収課所属の山姥切国広だ。お前を回収しに来た」
淡々と紡がれる声に、山姥切長義は薄く笑った。本丸の刀ではないことは一目見てわかっていた。
「幽霊かと思った」
軽口のつもりで、長義はそう言った。存外自虐的な響きとなってしまい、遅れて苦笑いが漏れる。よりにもよって己を回収しに来るのが山姥切国広だなんて、冗談にしては皮肉が利きすぎていると。
「悪いけれど、放っておいてくれないかな」
視線を本丸から立ち昇る火煙から逸らさないまま、山姥切長義がそう言った。先程から言葉を発してはいるものの、それが正しく言語として機能しているのかは疑わしいところだ。なにせ、喉からは鮮血が溢れ、ひゅうひゅうと空気が抜けていっているのだ。だのに、山姥切国広には山姥切長義の言葉が伝わるらしい。「そういうわけにはいかない」と、強い語調で言い含められる。
長義は溜息をついた。どのみち己に拒否権はないのだ。もうまともに機能しなくなったこの肉の器を、どのようにするかは目の前の刀に委ねられている。
「なら、しばし待て」
せめてあの弔いの炎が消えるまで。
言外の意図を察したのか、山姥切国広は口を閉ざした。しばし、言葉もなく朝焼けの空を覆う黒煙を眺めた。――ああ、ようやく春が来たと思ったのになあと、長義は残念に思った。あたたかな、春のようなひと。春の傍にいるように、やさしい色彩に溢れ、満ち足りた日々。――終わるのかと思ったら、今更のように激情が押し寄せた。腹の底からの憤怒。それは、刀としての本能へと繋がった。
「すまないが、矢張り待てない」
長義の激昂などどこ吹く風。平たんな声が降り掛かる。
「あの火が落ちるよりも先に、お前が折れてしまう」
構うものかと、強く唸った。
だが、国広はふるふると布を揺らしてかぶりを振った。
「目の前で、お前が失われるのをただ黙って見ているなんて、俺には出来ない」
情動のまま、心を引きちぎられながら、山姥切長義は歪なまでの愛のかたちに想いを馳せた。「本歌」と、ぽつりと落とされた声を卑怯だとも思った。たったその一言で、春はひとひらの花弁を残して、遠い季節となってしまった。