魔界都市ワンライ。テーマ『朔日』
『朔日鬼』
※メモ
新月の夜にだけ仕事をこなす仇討ち代行人のおはなし。
※下書き
夜。道を歩く秋せつら。新月。美貌の描写。人捜し。
月のない夜だった。煌々と夜闇を照らす天のあるじに代わって空を彩る筈の星すら見えぬ、曇天の闇夜だった。
魔界都市は眠らない街だ。夜が更け深い闇に飲まれても繁華街に灯りが耐えることはない。都市を都市たらしめる根幹たる住人は、観光客は、循環し続ける血潮のごとく活動を停めず〈新宿〉の息吹を保っている。だが煌々たる輝きだけをもってこの街を語ることはできない。〈区外〉の都市では耐えて久しい闇こそが、魔界都市〈新宿〉の真髄であると言っていい。
第一級安全地帯の中でも最上級の安全を保証された区域は、高級住宅街として、この都市で成功を収めた人々が安眠を貪るために供されている。定期的な浄化作戦、塀の設置、巡回する警備員、それら全てが法外な共益費でまかなわれ、自らを特権階級と信じる人々は喜んで大金を払う。
選ばれた住人以外には歩くことを許されぬ筈の通りを行く者が居た。月もない曇天の闇夜にあってすら輝くような美貌の主、闇よりもなお深い黒を纏う人物の名などひとつしかあるまい。
秋せつら。
微笑ひとつで警備員の詰め所を素通りして、物見遊山の様子でのんびりと歩く彼はいま、自身のことを『僕』と呼ぶ。
広大な住宅街の一角に建つ、それなりに立派な豪邸にせつらがたどり着いたのは、それから十分ほど後のことだった。美しい指先が律儀に呼び鈴を鳴らす。
ことんと、小首が傾げられた。
呼び鈴が鳴らないのだ。放たれた妖糸が塀の内側を精査する。この家のあるじは随分と用心深いようで、庭のそこここに番犬が放たれていたが、三頭すべてが沈黙し、安らかな寝息をたてている。
「セキュリティも、動いているが仕事をしていない」
呟くと黒衣の長身が舞い上がった。軽やかに、開かぬ門の向こうへと着地する。ゆるやかなスロープになった石畳を進み、豪奢なドアノブを掴む。
一気に扉を押し開いた。
「うおっ」
扉の向こうで悲鳴があがった。
ひどく同様した男の顔に瞬時に朱がのぼる。せつらの顔をまともに見てしまったのだ。
「なん、あんた、まさか人捜し屋の」
「こんばんは」
ぶるぶると男が頭を左右に振る。少し戻った顔色でせつらから目を逸らして話す。
「符を張り巡らせて誰も近寄れねえようにしていた筈なんだが」
「道しるべを辿ってきた」
「なるほどな。理屈はわからんが流石は〈新宿〉一ってところだな」
「そちらも〈新宿〉一」
「俺は――」
「朔日鬼。新月の夜にだけ仕事をする仇討ち代行人」
せつらが背後へ跳んだ。数瞬前まで彼の立っていた位置をナイフが薙ぐ。僅かに曇ったナイフだった。脂をぬぐいきれていないかのような。
「呪殺じゃないのか」
声は朔日鬼の頭上から降ってきた。庭木に張り巡らせた糸に立つせつらが放ったものだった。
「事情があってね」
「その人が殺されたのと同じ方法で仇を討つのが朔日鬼のポリシーだって聞いたけど。さては、偽物」
「本物だよ。そしてあんたが消えれば、今日のことを知る者は居なくなる」
「別に言いふらしたりしない」
「俺のプライドの問題だ」
朔日鬼がナイフを持たぬ側の手で虚空をおおきく薙いだ。闇が鋭く音を立てる。宙に立つせつらの長身がバランスを崩し落下する。
新たに放った妖糸が目標たる庭木を補足しそびれて空振りする。
庭木はすべて中程で切断されていた。鋭い鋼線で断たれたような断面を見せて。
「なんだこりゃ。えらく細い糸だな」
朔日鬼が不思議そうに自らの指先をためつすがめつする。
「いきなりじゃ糸そのものは切れなかったが、支えにしてる木ならこの通り」
「なるほど、技を盗む手口」
「うおお」
存外間近で聞こえた声に朔日鬼がたたらを踏む。やみくもに放った妖糸はすべてせつらの操る妖糸に絡め取られる。そのまま朔日鬼自身の身体も。
神経そのものを締め付けられるような苦痛に脂汗を流す男の目前に、逆しまに立つ美貌があった。玄関前の軒に器用に逆に立つせつらが、のんびりと言葉を継ぐ。
「女性がひとり、居た筈だ」
ぱくぱくと、朔日鬼が口を動かす。せつらが指先をひと振りすると、ぶはあと息を吐き出した。
「い、居た。若い女だ。呪殺師の糞野郎とホロスコープが近いせいで身代わりにさらってこられていた女だ」
「殺した?」
「殺してねえよ。なんで俺がナイフなんぞ使う羽目になったと思ってやがる」
「ふむ」
せつらの指が精妙な動きを見せた。
「っ、うお、」
朔日鬼の手のなかでナイフが砕け散った。ただ砕けたのではない。目視では測れぬほどに粉々に、砂粒ほどに砕かれた。
「証拠隠滅」
妖糸の呪縛から放たれた朔日鬼がへたりと尻餅をつく。
「お、おう、これで手打ちといこうや」
「女性は」
「二階の奥だ。封印された部屋に居たが救い出して寝かせてある」
「ありがとう」
ぽかんと、朔日鬼が口を開け呆ける。言われたことを脳が受け付けなかったのだ。秋せつらに感謝されたのだと。
「お、おう」
それ以上の言葉はなく、せつらが屋内に消える。
呆然としたままその姿を見送りながら、朔日鬼がぽつり、呟いた。
「秋せつらへの仇討ちは残らず断ってて正解だったな。あんな技、一朝一夕で盗み出せるもんじゃねえ」
おわり