『桜守』
#魔界都市ワンドロワンライ 2023.3.21
「妻を捜していただきたいのです」
 丁寧な物腰の老紳士が秋DSMセンターを訪れたのは、気の早い桜前線が〈新宿〉を訪れた翌日のことだった。
 供された煎茶にもせんべいにも手をつけず、懐から一葉の写真を出してちゃぶ台の上を滑らせる。
 桜色の着物を身につけて、桜の前で微笑む娘の年齢は、二十歳には少し届かぬかと思わせるあどけなさだ。
「奥様、ですか」
 目前の老紳士の孫娘と言われた方が納得できる年齢差に。秋せつらの茫とした声音が問い返す。
「はい――妻を。桜に攫われた妻を、どうか捜していただきたい」
 老紳士が示した大京町の一画を占める児童公園には子供どころか人っ子一人見当たらなかった。生い茂った生け垣を越え、黒衣の長身が降り立つ。縦に折れた遊具を横目に裂けた地面を飛び越えて、見上げた先にそれはあった。
〈魔震〉以前からそこにあるだろう桜の巨木は悠然と、老いた枝振りを天に伸ばしていた。
 せつらののんびりとした歩調が太い幹を一周する。目的のものを確かめて立ち止まる。
 ほころび始めた五厘咲きの枝が落ちかかるの根元に、不気味にひらいたうろを覗き込む。老紳士が指定した場所がそこだった。
 日の光を拒むような黒々とした穴に、せつらがそっと手を伸ばす。確かめるように、うろを満たす闇に指先が触れる。
「あ」
 とぷん。
 黒衣の長身が瞬きの間に闇に呑み込まれた。
 満開の桜吹雪だった。
 ようやく咲き初めたばかりだった。つい先ほどまでは。うろの外側では。
 ここは、満開だ。視界いっぱいに花開く桜の花々がふわり、ひらりと花びらを落としている。
「桜の、なか」
 いやにあっさりと、裡へと招き入れられたことに首を傾げながら。せつらが四方に妖糸を飛ばす。
 果てがない。放った妖糸が果てに辿り着かないのだ。
「……一周した」
 果てに触れぬまま、四方に放った妖糸がせつらの頭上で合流したのだった。今度は上空へ向けて探り糸を飛ばす。幾分はやく反応が返ってきた。いつの間にか逆進した妖糸の先端がせつらの手に戻ってくるという形で。
 綺麗に綴じた空間に慌てるでもなくせつらが歩を進める。『外』の数倍の異様を誇る巨大な桜の幹に沿ってぐるり、反対側へ回ると、捜し人と対面した。
 大樹の幹に抱かれるように眠り続ける姿は、老紳士が持参した写真のよりも、幾分やつれているだろうか。白い肌は透き通って、青い血管が凄艶と皮膚を彩っている。
 せつらの手が脈を確かめる。ゆっくりと、鼓動が伝わる。
 軽く方をゆさぶる、声をかける。ささやかな寝息は一定に、深い眠りを刻み続ける。
「参ったな」
 さして困ったふうもなく呟いて。そっと娘を抱き上げる。
 せつらの足が、大樹の幹をもう半周、戻った。念のために、もう一周。
「こっちには、ないな」
 彼を桜の裡へと招き寄せた『うろ』がこちらにはないのだった。
 周囲を見回す。適当にさだめた方角へと歩き出す。五十歩と行かぬうちに、もとの大樹へと戻ってくる。回れ右をして反対方向へ。同じだけ進むとまた大樹が見えてくる。上に飛んだとしても、頭から桜の大樹に突っ込む結果になりそうだ。
 せつらの気配がすうと冷えた。
 娘を片腕に抱いたまま、右手があがり、振り下ろされる。
 空間が断たれる音が世界の悲鳴のように鳴る。
 一瞬だけ吹いた風が、せつらの髪をわずかに乱す。
「斬れるが、すぐに閉じる」
 焦点の定まらぬ声がぼんやりと告げる。
「なんとか出してもらえませんか」
 続く声音は、腕の中の娘に向けられたものだった。
「――ずっと、ここにいましょう」
 いつ、目を開いたのだろうか。眠っていた筈の娘がにっこりと、笑みを浮かべせつらを見据えていた。あかあかと光る瞳は妖しく潤んで。娘のあどけない容姿とは裏腹な臈長けた色を含んでいた。
「ずっとここで。わたくしと共に在りましょう。ここは、時の流れから切り離された場所。ここでならば貴方の美しさを永遠に、永劫に保つことができます。ずっと、若く美しいまま、わたくしと共に。ね。あなたにも、悪い誘いではないでしょう? あなたが望むものすべて、わたくしが与えてあげられるわ。飽食も、享楽も、あなたが思い描くものすべて。ここにすべて、再現できる」
 白魚の手がせつらの首筋をなまめかしく撫でる。愛しげに、頬に触れる。笑みを含んだ唇が近づく。
 ひ、と。娘が短く悲鳴を洩らした。赤光を宿す双眸にも恐怖の色が乗って。せつらの背後に向けられた。
 せつらもそれに気づいていた。
 風が、吹いていた。吹いてはやみ、やんではまた吹いていた。
 ちらちらと、外からの光が。途切れ途切れに差していた。
「だ、だめ! 行かないでっ」
 縋り付く娘の表情が凍りつく。彼女は見てしまったのだった。彼女が見初めた青年とは異なる魔人の姿を。
「いや……いやぁ!」
 空間が断たれる音が幾重にも、娘の悲鳴と重なって響いた。
「――なんで居るの」
 茫とした口調に精一杯、嫌そうな響きを乗せてせつらが言う。
「君が桜に攫われたと聞いたので」
「ガセだな」
「そうは見えぬが」
 メフィストの手が、せつらの髪からそっと花びらを払う。
 ふいと逸らされた視線の先に、幹なかばから断たれた桜の老木があった。
お わ り
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『桜守』魔界都市ワンライ2023
初公開日: 2023年03月21日
最終更新日: 2023年03月21日
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#魔界都市ワンドロワンライ 2023。