この世界には12の星がある。
牡羊の星、牡牛の星、双子の星、蟹の星、獅子の星、乙女の星、天秤の星、蠍の星、射手の星、山羊の星、水瓶の星、魚の星の12の星だ。
しかし、かつてこの世界には13の惑星があったのだ。
13番目の惑星の名は「蛇遣いの星―オフィウクス―」
今現在、その惑星の名を口にすることはできない。
事実上、消えた惑星……。
それが、オフィウクスに選ばれた”彼”が目指す場所。
ズルズル――
何かが這いずる音がする。
真っ暗で何も見えない。
――ズルズル
音が大きくなり、近づいてくるのがわかった。
動かしたくても動かない寝たままの体から、汗が噴き出す。
逃げ出したい――
ズルズル……。
焦燥感が募るだけで、体はびくともしなかった。
ついに、それは俺に触れた。足にひんやりとした感触が巻き付き上へ上へと昇ってくる。
腹、胸、首……
頭がかき乱される恐怖に、冷たい汗が滴る。
「見たくない」そう思うのに、目は、視界に入ったそれを追った。
暗闇の中なのに、くっきりと鱗に包まれた顔が姿を現し、そして金色の深い込まれそうな鋭い瞳と目が合った――
「はっ! はぁはぁ……」
激しく鳴る心臓を押さえつけて、俺は荒い呼吸を整える。
「夢か……」
目にかかった赤毛を掻き上げて息を吐いた。いつの間にか、うたた寝をしていたようだ。
周りを見渡せば、夢の陰鬱な空気とは違い、爽やかな草原が目の前には広がっている。いつもと変わらない景色だ。
「ふぅ……またこの夢か」
得体の知れない生き物が体を這う夢は、最近よく見る。
平凡な毎日の反動だろうか。それならもう少し楽しい夢の方がいい。こんな、心臓が痛くて飛び起きる夢なんて……夢でも気持ちのいいものじゃない。
もっと、こう知らない世界を冒険する夢とか、神に認められる夢とか、ゆめものがたりの一部を夢みたい。
どうせ、現実はこのままずっと羊の世話をするんだから。
「アスク、お仕事お疲れ様!」
後ろから俺を呼ぶ声と同時に、水の入った皮袋が目の前に差し出される。振り返ると、肩に触れるふんわりとした淡いクリーム色の巻き毛を揺らし、幼なじみの女の子ヘレが立っていた。人懐っこい栗色の瞳が俺の緑色の瞳を覗き込んだ。
「あ、ああ、ありがとう。どうしたんだ?」
ヘレは最近忙しいから、俺のところに来るのは珍しい。不思議に思い、視線を投げかければ、ヘレがイタズラっぽい笑みを浮かべる。
「ちょっと疲れちゃって。息抜きしに来たの」
ここなら、いつもと変わらなくて安心するから。と小さく付け足して、彼女は隣に腰を降ろした。
「そんなに大変なのか? 星祭りの大役」
「うん……」
ヘレは、星祭り――この惑星の神の誕生を祝い、一年の豊富を願う祭り――で、一番重要な役目を請け負っている。
ある一定の年齢の中からひとりだけ選ばれる役目だ。責任も重い。
それと同時に――
「でも、ずっと、この【神様へ祈りを捧げる役目】は夢だったから、とっても楽しいよ!」
子どもの頃から夢として追っている人は多い。
笑顔が眩しいヘレに、俺は口端を上げることしかできなかった。上手く笑えている自信はない。
「アスクも、やっぱりやりたかった?」
ドキっとした。半分図星で、半分ハズレだ。
幼い頃は、俺も神の話を聞くのが大好きで、その大役をやってみたいと思っていた。けれど、他の子どもと比べられたことでわかった、自分の力不足。どうあがこうと追いつけない、事実。
親にも「後を継げ。その自覚をしっかり持て」と釘を刺され、俺は結局羊飼いの仕事へと歩を進めた。
だから、今は諦めている。
「いんや。もう子どもでもないしな。そういうのは向いてるやつがやればいいと思ってるよ」
肩をすくめて、ヘレから視線を外し、羊たちを見た。相変わらずうまそうに草を食んでいる。
「アスクなら、できると思うけど……」
「それは、幼なじみの贔屓目ってやつだよ」
「そうかなー。アスクは、私より神話のことすっごく調べて知ってたじゃない。それで、私にいくつも教えてくれて……」
「それだけじゃなにもできないんだよ。神話以外の勉強は全部ヘレのができてただろ」
「それは、アスクが勉強しなかったからでしょ」
「はは」
「笑い事じゃないよ。アスクは勉強にしろなんにしろ、食わず嫌いが多すぎるのよ」
ヘレの言葉は耳が痛い。昔からよく知っているからこその小言は、割と心に刺さる。
だって仕方ないじゃないか。やってみても、誰よりも上手くできる人間が近くにいたんだから。そんな惨めになるくらいなら、やりたくない。って、子どもの頃の俺は意地になったんだ。
今はまさしくその通りだとも思うけれど。
「でもなー、今からいろいろやるには、もう遅いだろ」
「そんなの、やってみなきゃわからないじゃない」
そういう挑戦的なところは素直に尊敬できるし、だからこそ彼女はすべてに挑戦して今の大役を手に入れたんだ。
「正直、ヘレが羨ましいと思うよ」
「だったら、見に来てよ」
ヘレの言葉に驚いて、顔を向ける。
「……見に来て、それで、来年はアスクがあの場所に立ってよ。まだ一年残ってるでしょ。私たち」
真剣な目で、彼女は俺を射貫く。喉が鳴って、その場で時間が止まったようだった。
「約束ね。絶対来てね!」
ヘレは俺が返答するよりも早く、立ち上がって駆け出した。表情はうつむいて見えなかったから、彼女がどういう真意で言ったのかはわからない。でも、からかっていないのは確かだ。
「お、おい……!」
考え込んでしてしまったから、声をかけるには遅すぎる。ヘレはすでに、その場からいなくなっていた。
「……ムリに決まってんだろ」
思わず唸り声が漏れた。
ヘレが子どもの頃からどれだけ努力していたか知っている。そんなヘレがようやっと今年、神様へ祈りを捧げる役目を得たっていうのに。一年やそこらで、俺がその役目になれるわけが、ない。
こんな平凡で、何もかもから逃げて、こんな俺が変われるとしたら、それこそ『神の奇跡』だ。
受け取ったままの水の入った皮袋が空しくちゃぷりと音を立てた。
――――
「見に来て」というヘレの言葉に、俺はどうにか理由をつけて祭りから逃げようとしたが、結局都合のいい理由何て見つからなくて……。
夜になり、一年に一度の祭りが始まってしまった。
理由が見つからない以上、年に一度の村を上げての祭りから逃げることはできない。牡羊の加護を得た最初の土地として、盛大に行われる祭りに参加しない。なんてことは、信仰の深いこの村ではあり得ないからだ。もし、逃げれば神への冒涜と取られても仕方ないだろう。
それに、祭り自体は嫌いじゃない。相変わらず賑やかだし、出店が並んで、村人よりも多い観光客の話を聞くのも面白い。代り映えしない日常の中での数少ない刺激だ。
あと……俺だって、ヘレの晴れ舞台を見たいし、祝福したい。幼なじみとしてずっと見てきた彼女の夢がかなう瞬間を、見たい。
ただ、遠くから見るだけでいい。近くでなんか見たらきっと、また恋焦がれてしまうだろうから――その神に祈る役目に。
自分の気持ちに折り合いをつけて祭りの中央から離れると、子どもたちが声をかけあって、ある場所にかけていくのが見えた。
「神様はこの惑星を作られたのじゃ。ここは牡羊の星―アリエス―」
子どもたちの中心では、聞きなれた声が神話を語っていた。
祭りは神についての信仰を深める場所でもある。だから、村の年長者が子どもたちに昔話を聞かせているんだ。そうやってこの祭りのありがたさを教えている。昔は、俺もよくその話を聞き、父や母にも話してくれるようせがんだ。懐かしい……。
「この世界には、12の神が存在し、神はそれぞれ自分の惑星を持っておる」
まあ、祭りでは簡単な概要しか話してはもらえないんだけど。
幼い頃はそれじゃあ飽き足らず、いろいろ調べてたっけ。一番衝撃だったのだ、惑星を行き来できる。という記載を見つけた時だった。他の惑星に行けるなんて、夢みたいだ。って思ったっけ。まあ、他の惑星に行けるのは神に認められたものだけって書いてあったから、おいそれとはいけないんだけど。
「神は認めた者に「神の加護」を与えてくれるのじゃ。「神の加護」を持つものは、神からの助けを得、幸せな生活を送ることができる。じゃから、日々、善い行いをするのじゃぞ」
昔を懐かしんでいれば、話はどんどん先に進んでいたらしい。締めくくりの言葉を村長が子どもたちに告げていた。
と、いうことは、そろそろ祭りの一番盛り上がるアレが始まるということだ。
音楽が鳴り、中央の灯りが強められる。俺がそっちに視線を向ければ、白い羊の毛を使った祭り用の衣装を身に纏い、ヘレは祭壇へとあがっているところだった。
祭りの中央の祭壇にたどり着くと、ヘレが神に祈りを捧げる。
綺麗だった。白い衣装は淡い光を纏っているようで……。同時にもやもやとした気持ちがせり上がる。彼女は今、神へ一番近い場所にいる。
「はぁ……やっぱり見るんじゃなかった」
悔しかった。羨ましかった。
あの場所はそれほど特別な場所で、神がこの役目の中から数百年に一度「認める人間」を選ぶとも言われている。
その特別な場所を目指してヘレはずっとがんばっていた。それに比べて俺は、早々に諦めて、ずっと村から離れて羊を見ていた。
だから、これは当然の結果なんだ。
「その話はしてはならんっ!」
突如、自分の渦巻いていた感情から引き上げられた。村長から、厳しく大きな声が発せられたおかげで、意識がそちらへ向く。
「いいか、13番目の惑星の話はしてはならん。ソレが来てしまうぞ」
ああ、13番目の惑星「蛇遣いの星―オフィウクス―」の話か。
気になった子どもがいたんだろう。親の間では言う事を聞かない子どもに、しつけの時に使うから知っている子どもは多い。悪い事をしていると『蛇』が来るぞ。そして、知らない、どこにも逃げられない場所に連れていかれるぞ。って。
そりゃあ、脅かされれば怖さから詳細を知りたくもなるよな。
「そういえば、ヘレも怖がってたな……」
音楽が変わり、大きく鳴り響く。それに、周りの雑音はかき消された。
神に捧げる躍りをヘレが舞うのだ。
「…………」
ヘレが躍る前に、こちらを見る。遠すぎてたしかではないけど、嬉しそうに笑ったように見えた。
ヘレはすぐに集中すると音楽に合わせて踊りだす。遠くから見ているから表情はわからないけれど、ヘレの躍りは綺麗で、思わず見惚れてしまう。
『――汝。加護を与える』
いきなり、聞こえた声に肩が跳ねた。驚きのあまり言葉が出ず、生唾を飲み込む。音楽以外ほぼ聞こえない中で、その低くガラガラの声ははっきりと耳に届いたことに。
『汝、オフィウクスの加護を受けた』
再び聞こえる声に呼応して、俺の心臓がバクバクと早鳴る。声のした方向に、ゆっくりと視線をおろした。
金色の深い込まれそうな鋭い瞳がそこにあった。
遠くにいるはずなのに近くにいるように見える見たこともない生き物。
長細い紐のようで手も足もない。魚のような鱗を持つそれは、俺をじっと見つめていた。
そうだ、これは、本に載っていた神話上の生物『蛇』そのもの。
夢の続きのようで、もう恐怖で動くことができない。息も荒くなり、苦しくなる。
「来るな――!」と心の中で叫んでも、『蛇』はゆっくりと近づいてくる。俺は止められない。動けない。意識だけがはっきりしてる。
視線だけが『蛇』を追い、『蛇』は俺の体を巻き付くように登って、そして……体の中に溶け込んだ。
訳がわからなかった。ただ、這われた冷たい感触だけが残っていて、体から汗がにじみ出てまだ心臓が大きな音を立てている。
こんな、神話の化け物が出たっていうのに、周りは何も変わらない。なんでか、ずっと、神への祈りが続き、軽快な音楽が鳴り響いている。
『今日はおめでたい日だよ!』
先程と同じように、喧騒を掻き分けて軽快な声が耳に届いた。
はっとして声の方を見ると、空からヘレのいるほうに金色の羊が降りてきていた。初めて見る。けれど、あれも本で見た事がある。この星の神――アリエス様。
待ってくれ、なんでこのタイミングで『蛇』と『牡羊の神』が!?
『僕はね、君が気に入ったんだ! だから、加護を授けるよ』
俺にはまったく気がつきもしないアリエス様はヘレに向かって嬉しそうに話す。ヘレは頭を下げ、感激のあまり口元を押さえている。
いつもだったらヘレを羨ましく思ったかもしれない。けど、アリエス様が『加護』を与えるなら、さっき言ってた『蛇』の言葉も――。
『おやおや、招かれざる客が紛れ込んでるようだね』
アリエス様が声をあらげて、俺を見る。声に、視線に、血の気が引き、手が震える。明らかにアリエス様は不快を示している。
『逃げろ』
耳元でガラガラの声がささやいた。俺は、初めて向けられた敵意に、低い声の恐怖よりを覆すほどの恐怖を感じ、声に従った。
逃げなきゃ――!
ドサッ。
目の前で何かが倒れた。俺よりも大きい、真っ黒なフードに身を包んだ人間。突然割って入ったその人間には数十本の矢が突き刺さっている。
瞠目する目に打つのは、弓を構えている牡羊の神アリエス。
「う、うわあああ!!」
俺の口からやっと悲鳴があがった。それと同時に体が動いて、振り返って森へと逃げ出した。
なんなんだいったい。いったい、何がどうなってるんだ!?
『ま、待って!』
『行かせはしない』
『やっぱり君か!? もうここまで来てたなんて――』
アリエスと低い何かの声が言い合っている声が耳をかすめたけれど、振り返っている余裕はなかった。
また矢が来たら、オフィクスの加護を受けてしまったことがバレたら、俺は、俺は――!
ただ、生きたい。それだけが頭を駆け巡る。
だから、ただ走った。祭りの灯りとは別方向の暗闇へ……。
『こっちだ』
低い声に導かれるがままに……。
『こっちだ』
もう、まともに息ができない。喉がからからで、体が重くて何度も立ち止まりそうになる。それでも、声が示す方に、また俺は歩き出した。もう、自分の意志じゃないようで。
こんがらがった思考と、疲れで、頭は考えることを放棄して、ただ進む。
気づけば洞窟の中で、真っ暗な中、淡い青白い光が辺りを照らした。
「なんだ……?」
『進め、進め、進め……』
声が頭に響く。その進路にしたがって洞窟の奥へ青い光の中心へ――パッと視界が開けた。
「――っ! 眩しい……」
突然の強い光に手で目を覆った。
「な……なんで、太陽が……? さっきまで夜だったはずなのに……」
俺の緑色の瞳には、見た事のない景色が広がっていた――