カチ、カチと時計の針が動く音がする。それは俺のスペースからではなく、この空間のもう半分の主のスペースから聞こえてくるものだった。
ひとつ屋根の下、ひとつの部屋を共有して生活するなんて最初はありえないと思っていた。会話をすることも、同じ空気を吸うことすらも嫌だったのに今ではもう片方がいないとどこか物寂しくなるなんて不思議で仕方がない。絆されたというべきだと頭では分かっているつもりだが、もっと別の答えがあるような気がして自分の事のはずなのに上手い言葉が見つからなかった。
 時計の針と同時に布が擦れる音が聞こえてきて思わず顔を上げる。シェルフの向こう側でおチビちゃんが着替えているところだった。見てはいけないものを見てしまった。すぐに顔をレコードに戻そうとしてどこか違和感を感じてそれを探る。健康的な肌に年齢の割にはしっかりとした鍛えられた体つき。その腕には赤くなった切り傷が見えた。
「おチビちゃんそんな所にキズなんてあったっけ?」
「んぁ?」
 指摘すると気の抜けた声が返ってきた。声を掛けられるなんて思ってもいなかったのだろう。部屋着に中途半端に袖を通そうとした状態で固まった俺の方に顔を向けてきた。自分の右腕を指さすと、おチビちゃんは自分の右腕へと視線を動かす。
「あ、これか。今日のパトロール中にちょっと掠ったみてぇ」
「ふぅん」
 ヒーローを目指す上でキズができるなんて通過儀礼のようなものだけど、おチビちゃんの体にキズが出来た。概ね予想通りの答えが返ってきたけど俺の中にモヤが生まれている。その理由は知らない振りをしたいものだから適当に相槌を打って視線をレコードへ戻した。面白くない、おチビちゃんはすごい子なんだからそんなキズ作るなんてバカみたい。火のついた言葉を向けたくなくて会話を中断したと言ってもおかしくなかった。
「クソDJって案外キズ作らねぇよな」
「……なぁに。おチビちゃん俺の体見たことあるの?」
「ふぁっく! きもい言い方してんじゃねぇよ!!」
「あはは、ごめんごめん」
 折角切った会話はおチビちゃんの方では終わったことになってなかったらしい。服をしっかり着ると俺のスペースに入り込んであいてる椅子に座り込む。前だったらそんなことしなかったはずだし、されても怒っていたはずなんだけどな。湧き上がるものが何もない。肩を落として話をふった責任をとるために選んでいたレコードはしまっておチビちゃんに向き合う。
「前にシャワー浴びた後上の服忘れたとか言ってそのまま部屋に戻ってきたことあったろ。その時に」
「あぁ、それで。まぁ敵からも女の子からも上手く躱せるようにならないとヒーローとしては、ね?」
「? なんでそこで女が出てくるんだよ」
 まずそこからか。知識があったらあったで驚くけど。
「おチビちゃんにはまだ早かったかな」
「はあっ!? なんでガキ扱いされてんだよ意味わかんねー!!」
「いつか分かる時がくるといいね」
 微笑んで返すと騒がしい声がまた一つトーンを上げて返ってくる。分かってほしいのに分かってほしくない、なんて我儘はそっと胸の奥にしまい込んだ。
 照明が落とされた室内で、ベッドの上にいるおチビちゃんにミネラルウォーターを渡してベッドの端に座る。明日もパトロールがあるからしっかり起きないとおチビちゃんに怒られてしまう。早くシャワーを浴びて眠りにつこうか。そう提案をしようとしたかったのに暗闇になれた瞳は何も纏わない健康的な肌に赤い色が散ってるのが目についた。俺がつけたものだけどやりすぎたかな。もう子供ではないのに変に高鳴る心臓の存在がバレてほしくなくて顔を逸らした。
 シンと静まり返った部屋の中、不意にすっ、と背中に指が這う。汗とは違う感触に少し驚いて振り向くと、綺麗なオッドアイと視線が絡まった。
「ちょっと、どうかした?」
「上手く躱せなかったんだな~っと思って」
 ニヤリといった表現がぴったりの顔で笑うおチビちゃんが最初何を言ってるのか分からなかったけど、恋仲になる前のちょっとした会話を思い出す。自分の背中なんて見ることは出来ないけれど、おチビちゃんの指がなぞっているのは赤くて細い無数のキズだろう。ギターを鳴らすために伸ばされている鋭い爪先をおチビちゃんは持っている。
「無遠慮に俺にキズつけれるのはおチビちゃんぐらいだよ」
「ふぅん?」
 満足そうな笑みが愛おしくてシャワーを浴びると痛みで沁みそうだな、なんて浮かんだ言葉は飲み込んだ。それ以上にすぐそばで笑っている愛しいおチビちゃんに口付けをしたくなって仕方がない。頬に優しく触れて今日何度目かも分からないキスをした。
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向き
20210227フェイジュニワンライ
初公開日: 2021年02月28日
最終更新日: 2021年02月28日
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