#殺すという言葉を使わずに殺すを一人一個表現する物書きは見たらやる
突然、ぱっと目が覚めた。寝起きだというのに、意識はやけにはっきりしている。
窓の外はまだ暗く、夜明けにはまだ早いようだった。名前のわからない鳥の声だけがかすかに聞こえる部屋の中、私はゆっくりと上体を起こした。
首筋を、玉になった汗が流れる感覚がある。酷く寝汗をかいていたようで、寝巻はじっとりと濡れていた。湿った布は生温く、重く肌に張り付いている。実に気分の悪い目覚めだった。
布団の中から両手を引き抜き、掌に視線を落とす。手汗のおかげで水に浸したような有様になっているが、そのなかに奇妙な感触が残っていた。
己よりも高い体温と、己よりも柔らかな肌。その下に感じる血管の脈動と、小さく脆い骨の固さ。
そうだ。酷い夢を見たのだ。カラカラに乾いている喉に、絞り出した唾を流し込んでから、静かに目を閉じる。部屋の中を通り抜ける隙間風は、氷のように冷たい。
つとめて忘れようと思うものの、瞼の裏には白い肌がちらつくばかり。汗はすっかり冷えているというのに、掌中の温度が消えてくれない。
「……なんだ、これは」
最愛の師の、首に手をかける夢。どうしてそんなものを見てしまったのか。自分でもわからないが、やけに生々しい悪夢だった。
寝室に忍び込み、気付かれぬように静かに布団を剥がし、仰向けに横たわる師匠に馬乗りになったのだ。
夢の中でも、こんなふうに静かな夜だった。
「……」
ただの夢、なのだろうか。妖術や魔術に精通した者は、時にある種の予知夢めいた夢を見ることがあるという。師匠が研究している術の中にも、たしか夢や人の意識に干渉する類のものがあったはずだ。
あるいはもしや、あの夢は。師匠の身に、何かあったのではないか。そんな考えが私の体を動かしていた。
音を立てぬように――自分でも、どうしてそうしようと思ったのかよくわからない――注意しながら、部屋を抜け出して、板張りの廊下を進む。師匠の寝室のドアノブに手をかけ、回し、ゆっくりと押し開く。
鍵はかかっていなかった。
一日のほとんどを研究室で過ごす師匠の寝室には、物がほとんど置いていない。ベッドと小さなワードローブがあるだけだ。
もう少し服でも揃えたらどうですか、と何度か言ってはいるものの、あのひとはいつも黒のローブばかり着ている。これが術士の正装なのだから、と、その度に返されるのだ。
もう少し。そう、もう少しだけでも着飾ってみても、良いと思うのだが。
ベッドの上から、小さな寝息が聞こえてくる。どうやら危惧していたような異常事態もなく、師匠はぐっすり眠っているようだ。
ここで部屋に戻っても良かったのだが、私の足はベッドへと向かっていた。穏やかな表情で眠っている師匠の顔は、こうして見ると無垢な少女のように思える。十代半ばで時間を止めているのだから、身体は少女と言って差し支えないだろう。
寝巻の合わせ目から覗く首筋も、細くて華奢だった。
「……っ」
名状し難い奇妙なわだかまりが、不意に胸中に生じた。きっと、肌が見えるから悪いのだ。師匠の首元に手を伸ばして、乱れていた寝巻の襟元を整える。
不意に、師匠が身じろぎした。襟を摘まんでいた指が、細い首筋に触れる。
私の指先よりもずっと熱い、少女の体温。肌理細かく、穢れを知らない白い肌。桜色の頬、赤い唇、細く長い睫――。
(だめ、だ)
一度意識してしまうと、もうだめだった。目の前で眠っている女性が、がさつでずぼらで偏屈な魔術士ではなく、ただの女の子に見えてしまう。
そんなつもりはなかったというのに、手が布団を剥がしていた。あれだけべったりと掌を濡らしていたはずの汗は、いつの間にか跡形もなく引いている。
ベッドの上に膝を立てる。ぎしりと小さくきしむ音がして、それだけだった。無防備に仰向けに寝転がっている師匠の、小さく上下するお腹の上に跨った。
「師匠」
あるいは、ここで起きてくれれば。そんな思いが、私に少しだけ大きな声を出させた。だけど、それだけだった。冷たく冷えた私の両手は、彼女の体温を求めていた。
この弟子の凶行に気付いたとき、すやすやと穏やかなこの寝顔は、いったい、どんなふうに歪むのだろう。
手を伸ばす。指をかける。どのくらい力を込めたら、この師匠は目覚めてくれるだろうか。
「――あなたは、美しい」
あるいは、永久に。
(了)
陳腐。首絞めックスがしたいだけでした。