「それで? 好きな映画は?」
 レンタルビデオ店のバイトの面接で、店長はそうやって尋ねてきた。その目はどこかこちらを侮っているようであり、答えられないことを期待しているようでもあった。きっと、俊月の見た目がさほど映画に精通しているようには見えないからだろう。映画をよく観るシネフィルのイメージが柔和で穏やかな笑顔の人間で固定されているからかもしれないが、自分自身でも映画好きに見えることは期待していない。そういう星の下に生まれた上に、目つきが悪くて背だけが高い男に対する風当たりは結構強い。
 だが、瀬越俊月は映画好きの友人を持っていた。特に自分では観ないが、上映会自体はよく執り行われていたのだ。だから、その意地の悪そうな質問にも──特に無いです、と答えるべきなところでも、俊月はちゃんと不正解を引き当てることが出来たのだ。
「『オズの魔法使』が好きです。いが抜いてあるやつ」
「……『オズの魔法使』? 絵本じゃなくてか」
「いや、映画です。主演女優が確かガーランドの……」
 その名前を挙げたのは、単にこの間一緒に観た映画だからだ。菱崖小鳩はこの映画が何故か妙にお気に入りらしく、何度も折に触れて観返している。いかにもメルヘンでファンタジーな名作は、小鳩の本性にはそぐわない。だからこそ、強い印象が残ったものだ。俊月はああいうストレートなメッセージ性を持った映画が好きなので、何度観ても感動する。色々頑張った末に、なりたい自分になれるのなら最高だ。世界はかくあって欲しいと思う。俊月もエメラルドシティに辿りつきさえすれば、面接一つにすら苦労するような人間から生まれ変われるだろうか。
「……ジュディだ」
「……え?」
「ジュディ・ガーランドという。フルネームでいうとね。そして監督はヴィクター・フレミング。なかなか古い映画だ。名作だとは思うけれどね。古い映画が好きなのか?」
「……そういうわけではないです。特に古い映画を中心に観ているわけじゃなく、縁があったものを観ているようなところがあって」
 実際には縁も何も無い。小鳩から与えられているものを雛鳥のように受け取っているだけだ。だから、俊月は自分をシネフィルだと形容したことがない。自分で選び取ってこそだと思っているから、一生名乗ることはないだろう。精々、映画マニアの友人を肩書きに据えるくらいだ。
「君、どうしてそんなに不満そうな顔をしているのかな」
「そう見えますか」
「じゃなきゃそんなに睨まないだろう」
「いや、睨んでいるつもりはないです。ただ目つきが悪くて」
「じゃあなんで前髪を上げてるの? その目、かなり目立つようだけど」
「……その件ですが、以前は下げていたんです。けれど、そちらの方が目つきの悪さと重い前髪による悪印象で余計に因縁を付けられたもので」
「因縁ねえ」
 まるで当てこすったようになってしまったので、一旦黙る。実際に自分が被ってきたのは因縁だという自負があるが、それを現在進行形で指摘したところで誰も幸せにはならない。ややあって、俊月は方向転換に動いた。
「実は、ここに応募する前は飲食店で働いていたんです。それもあって、髪の毛は上げるものだと習慣づいてしまったのかな、と」
「飲食店勤務だったのか。どうしてここのアルバイトに?」
「……映画がそこそこ好きだからでしょうか」
「というか、どうしてそこを辞めたんだ?」
「映画に囲まれた環境で働きたいという夢が捨てきれなかったからです。なので、辞めさせて頂きました」
 実際は、客とトラブルを起こして辞めたのだが、そこを子細に伝えても合否にはいい影響を与えないだろう。一回でもホールに出るとどうも駄目だ。肉を切り分ける際にわざと不味い部分を出しただの、舌打ちをしただので結局追われてしまう。残念だとは思わなかった。長く働きすぎていた店だ。そろそろ辞めなければ、長期的な面倒とちょっとした感傷に苛まれるだろう。どれだけ周りのスタッフに嫌われていたとしても、長く働いていれば店とレシピには愛着を持ってしまう。切り捨てられなくなってしまう。経年による愛情の強固さについては、俊月も重々存じ上げているところだ。
 レンタルビデオ店の短期アルバイトを選んだのもそれが理由だ。料理が好きだからこそ、インターバルを挟もうと思った。あるいは、自分が愛着を持っている料理というフィールドだからこそ、ここまでトラブルが起きるんじゃないかと思ったのだ。神様は抜け目なく狡猾で、どれが俊月にとって大事なものかを、愛すべきテディベアなのかを弁えている。そうして、俊月がしっかり愛着を持った後に、無惨にも奪い去るのだ。ウサギのことを忘れない俊月は、リスクの分散も怠らない。料理への愛が悟られる前に映画への愛を誤認させておく。
 そうすればきっと、料理が奪い去られることもないだろう。俊月は何かを失うことに関して、いささか慎重になっている。
 さて、店長の話だ。長い時間に渡って続けられた面接もそろそろ頃合だ。クリスマスシーズンから年末年始にかけてのレンタルビデオ店は繁忙期で、猫の手も借りたいと聞いている。いくら俊月の風貌が怪しく、明らかに接客業に向いていない有様であろうとも、猫以下ということはないだろう。彼の逡巡は理解出来るが、悩ましきシフト表についても察している。さて、どうなるか。真剣な面持ちで彼を見つめると、びくりと反応された。
「いや、そこまで怒らなくていいでしょう……少し聞いただけなんだから」
「怒ってはいません。不快に思うこともないです」
「それじゃあ、いつから来れる? クリスマスとかに予定があるかも聞きたい。あとは大晦日と元旦も……ほら、そういう時期って若い子ほど抜けるし。全部には出なくてもいいけど、出来ればどこかは入ってほしい」
「……採用ですか」
「ああ、うん。来てもらいたいと思っているけれど……何? 今度は何が不服なの? もしかして、不躾に予定を聞いたから?」
「そんなことはありません。ありがとうございます」
 こうして、俊月はレンタルビデオ店『ハウンドボックス』の短期アルバイトに入ることになった。包丁を持たなくていい職場も、失うことにそこまで怯えなくていい職場も初めてだ。どうして受かったのだろう、と自分でも不思議に思う。もしかしたら、映画のチョイスが良かったのかもしれない。ジュディ・ガーランドが主演をやっていた『オズの魔法使』。あれが自分にとっての魔法の靴なのかもしれない。そんな気取ったことを考える俊月は、映画好きの友人の影響を少しばかり受けている。
 さて、翌日から早速俊月の勤務が始まった。仕事を覚えるのは得意だし、アルバイトを変えることにも慣れている。なので、業務自体の滑り出しは悪くなかった。同じ職場で働く愉快な同僚達は、案の定俊月のことを遠巻きに見たり、露骨に嫌がったりしていたが、いつものことなので気にならない。むしろ、妙な因縁をつけられないだけ居心地がよかった。あとは客の目にあまり留まらないようにして、返却されたDVDやBlu-rayを粛々と戻していけばいいだろう。
 棚の間を歩いていると、よくもまあこんなに映画が沢山あるものだと思う。一人の人間の寿命ではこれを観切ることは出来ないんじゃないかと、そう思ってしまうような量だ。しかし、この世に存在する映画はこの店にある映画の総数よりはるかに多いのだからはてしない。小鳩がフィルムアーキビングに精を出しているのも相まって、途方もない気分になる。
 だが、楽しいのも確かだった。こうして膨大な量の映画に囲まれていると、まるで小鳩に包囲……されているのは全く嬉しくないが、少なくとも近くにいてもらっているような気分になる。小鳩はろくなことをしないが、いないよりはいてくれた方がありがたい存在だ。世界にとって菱崖小鳩は害悪でしかないが、俊月にとっては少し心強いお守りである。その形がテディベアであるかどうかには議論の余地があるとしても。
 レンタルビデオ店で働くにあたって、小鳩にはちゃんと報告をした。小鳩は今年の年末を日本で過ごす予定になっているようで、頻繁に会う機会があったのである。もっとも、小鳩は仕事関係の予定が詰まっているのか忙しく、あまり俊月の家に泊まり込むようなことはなかったのだが。日本に帰ってきたのにここまでホテルに入り浸ることは珍しい。……ということは、色々とやることがあるのだろう。その裏にあるのだろうあまり嬉しくない予定のことを考えると陰鬱な気持ちになった。が、彼が国内にいることは素直に喜ばしかった。妹の歳華も喜んでいる。
「へー、瀬越が飲食店以外のところに務めるとはね。別に悪くはないけど、勿体ない気がしちゃうな。損失であるといってもいいかもしれない。才能が適切に運用されないのは悲劇だよ。だってそれ、僕が数学の教師になったようなものだろう? どうかな」
「数学の教師……になっていた方が……いや、一番駄目そうだな。社会的地位とお前の性質が見合っていない。絶対に阻止しなければならない」
「そのくらい合ってないってことだよ。瀬越の料理は美味しいんだから」
 屈託のない笑顔で言われると、何とも言い難い気分になった。実際に、その時の俊月は目の前の男の為に料理を作っている最中だった。和食がいいというので、わざわざ前菜から自分で仕込んだものを調理した。出汁から一々取っている自分の努力が涙ぐましいとすら思う。才能、とまっすぐに言われてしまった分、よりをかけてしまう未来もまたいじらしい。
「だが、少しは間を空けた方がいいだろう。どのみち、年末年始は飲食店も目が回るほど忙しいからな。手は欲しいが新人を入れたがらないんだ。流れを乱したらむしろ邪魔になるからな。だから、飲食店に俺が受かる確率はとても低い」
「へえ、そんなことを考えてるんだね。いじらしいな。感動するよ。そこまで色々と俯瞰して見られる瀬越が受け容れられない世界も、本当に節穴だよね。困るな」
「その点レンタルビデオ店の短期アルバイトはいい。仕事は多いが覚えることは少ない。俺のような異物が紛れ込んでも、基本的には店が回る。それに、繁忙期が終わったら何のトラブルもなくすっと追い出してくれるんだ。望むべきものは全て揃っている」
「賢いが故に導きだされる悲しい結論が、瀬越という人間を現しているよね。嫌だな」
 全く嫌そうではない笑顔で、小鳩がくすくすと笑う。
「……このアルバイトに受かったのもお前のお陰のようなところがあるからな。感謝している」
「僕? 何かしたっけ?」
「面接の時に『好きな映画は?』と尋ねられたんだ。お前と映画を観ていなかったら、答えられなかった質問だろう。店長はあまり俺のことをよく思っていなかったから、あの映画のチョイスが無ければ受かっていなかったかもしれない」
「面倒臭いシネフィルの匂いがするな、その店長。なんて答えたの?」
「『オズの魔法使』だ。主演はジュディ・ガーランド」
 面接の時と同じく、機械的にそう答える。だが、内心はよく出来た時の答案を見せる時のような気分だった。
「なるほど、名作だもんね。でもそれ、この間僕と観直したからでしょ」
「そうだな。俺はどんな映画でもそれなりに楽しむし、感動する。真の意味でどれでもいいと思っている」
「店長からの印象も『面倒なシネフィル』になってそうだけどね、それ。そういうレンタルビデオ店の面接なら、むしろ『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とでも答えた方が印象がいいと思うよ。そういう押さえるべきところをちゃんと押さえている映画好き、くらいの塩梅の方がかわいげがあると思う。瀬越が上げたのは名作だけど、名作だからこそちょっと鼻につくかもね」
「そうなのか……」
「そうなんだよ。困るな」
「次にレンタルビデオ店の短期アルバイトを受ける時は、お前のアドバイスに従おう。なるほど、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だな」
「なんなら2って言っておくといいよ。大多数の人間はBTTFといえば2って思い込んでるし、最悪の場合はそれしか観てないからね」
「参考にしよう」
 心の中のメモに書き込み、深く頷く。このアドバイスを使うのは、また来年の末になるだろうか。
「なあ、小鳩。聞いていなかったんだが、お前はどうして『オズの魔法使』が好きなんだ?」
 今まで尋ねる機会はいくらでもあったのだが、どういうわけだかこの疑問に思い至らなかった。デジタルリマスターで美しくカラフルに蘇った映像も、どこまでも凝った世界観も、ちょっと出来すぎているくらい幸せなシナリオも、神懸かった完璧さで笑顔を振りまくドロシーも、確かに素晴らしい。だが、他の映画にだって存在する美点ではある。
 果たして、小鳩は少しも表情を変えず、歌うように言った。
「あの時のジュディ・ガーランドは可愛かっただろう? 彼女が出ている名作は他にもあるんだけれど、どれも求められるがままにキュートだ。それはね、彼女を完璧な偶像として作り上げたからなんだよ。ジュディは過密スケジュールの中でも働かされ続け、過剰なダイエットによって空腹に喘ぎながらも食事を赦されなかった。そんな彼女を支えていたのが、大量の覚醒剤だ。ジュディは映画の為に、自分の人生を明け渡していたんだよ。本当にいいと思わない? 画面の外側で何があろうと、中が完璧であれば映画としては素晴らしいんだ。彼女の人生は、正しく薪でしかない。あれらの名作の中では」
 小鳩のアドバイスの正しさが分かったのは、実際に面接で『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』を好きな映画に答えた大学生が店に入ってきたからだった。ただの『バック・トゥ・ザ・フューチャー』ではなく、ちゃんと2だった。その点でも小鳩の見立ては正しく、店長は新しく入ってくることになった短期アルバイトの彼を、いたく気に入っていた。面倒なシネフィルではなく、店に迎え入れるに相応しい映画好きの枠らしい。
「……あー、どうも。奈緒崎です。よろしくお願いします」
 新しいスタッフが入ってきた時は拍手で迎えるのが慣例なようなので(俊月が入ってきた時には拍手は起こらなかったので、この慣例を直接知っていたわけではなかったのだが)俊月も拍手をした。
 奈緒崎と名乗った彼を見て最初に思ったことは、目線が近いな、ということだった。俊月は背が大きい方なので、同じくらいの身長を持った人間にはなかなか出会わない。この身長さえあれば、棚の高いところまで踏み台無しで届くので、返却業務がぐっと楽になるのである。
 その背の高さであれば圧迫感があって然るべしだろうに、奈緒崎からはそういう印象は受けなかった。何となく親しみやすさもあり、場に馴染みやすい印象を受ける。目の下の泣きぼくろも、何だかチャームポイントとして際立っていた。きっとこの感じなら、色んな人に好かれて受け容れられてきたのだろう。そう思うと、彼は自分に無いものを持っている、人生を上手くやっていける側の人間に思えた。
 古参のスタッフ達が奈緒崎に対しあれこれ質問をしていくが、彼はその都度適当に受け流していく。要領の良さというか、あまり物事に頓着しなさそうなところがそこにも現れているようだった。
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ななし@d0a034
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あと30分だけ頑張っていこうぜの回
初公開日: 2020年12月31日
最終更新日: 2020年12月31日
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コメント
これ大晦日編/元旦編でやりたいんですよね