「あー抱きてぇ」
ぼそりと呟く声が聞こえた。聞き間違えたかとジルが振り返ると、背後のテーブルに肘をついたイレヴンが何処かを見ていた。
いったい何を、と胡乱な視線の先を追う。と、そこに居たのは子供たちに勉強を教えているリゼルだった。
眉を顰めて「おい」と声をかけたが、イレヴンがこちらを見ることはない。だが欲を含んだ熱っぽい瞳が細められ、僅かに潤む。そこには淫猥が滲み、犬歯を覗かせた口元から姿を表した赤い舌がぬるりと唇を舐めた。
「ぐっちゃぐちゃのびっちょびちょになるまで嬲って、おかしくなるまで気持ちよくさせて、ぐずぐずに啼かせて、俺んこと欲しがらせてぇなって」
ああ、と溜息とともに吐き出されたそれは随分と物騒だ。
常ならリゼルが他人から性的な感情を向けられることを嫌悪し、そういう女が近づいてくるだけでひどく牽制するくせに、いったいどうしたことか。
だが、その飢えた肉食獣のような表情を見て、
「発情期か」と思いいたる。獣特有のそれは、蛇の獣人たるイレヴンにも存在するのだろう。そういや最近暖かくなってきたしな、とジルは小さく溜息を吐き、
「女でもひっかけてこい」と刀の柄で軽く赤い頭を小突いた。
普段なら、痛い痛いと大袈裟に言ってリゼルの興味をひこうとするイレヴンは、だがじっと彼の人を見つめたまま
「あーね。そーゆんの、もう無理だから」と片手をひらりと振る。
ニィサンもでしょ、と同意を求めるように問われて返事ができない。ジル自身は欲が溜まればそういう場所へ赴き、適度に発散している。だがそれで満足できているか、と言われれば否だ。
欲しいものは別にある。完全には満たされない、と腹の底に溜まり続ける熱を、その存在に向けて吐き出してしまいたいと渇望している。
ぐ、とジルが顔を歪めると、ケラケラとイレヴンが嘲笑う。
「だろ? 他の誰か、なんて代わりになんねーもん。適当なのに手ぇ出すくらいなら、さ」
いっそ、と掠れる声で切なげに零したあと、バッと立ち上がる。
「つーことで、俺、半月くらいここ来ないんで」
「あ?」
「落ち着いたら戻ってくっからぁ。リーダーにはニィサンから適当に言っといてくんない?」
そう言うと、音も立てずに食堂を出ていこうとする。自身の性欲がリゼルに向かうことすら許せない、ということか。だが、あれもいい大人だ。女の一人も抱いたことがないなんてないだろうに。
(そういや、女遍歴は頑なに口にしねぇな)
子供相手に優しく指導をするリゼルは、確かに性欲など欠片も持たないようにも見える。
だが、女は買わないというくせに、イレヴンはいったい一週間もどうするつもりなのか。発情を別のなにかで発散させようとするなら、あの精鋭たちを巻き込んで、面倒なことをやらかすかもしれない。
ジルは咄嗟にその腕を掴んでいた。
「なぁに、ニィサン」
邪魔するな、と視線が途端に剣呑に光る。もう数秒もすれば、ナイフが飛んでくるだろう――が。
「付き合ってやるよ」
「は?」
「発散したいんだろ。楽しませてやる」
「はぁ? 抱かせてくれんの」
「まさか」
ハッと鼻で笑うと、そのままずるずるとイレヴンを引きずり、部屋へと戻ろうとした。
「ちょ、ま」
慌てたイレヴンは、ぐっと足に力をこめたが人外の力に勝てるわけがない。
どういうつもりだと引きずられながらも突っ込むと、ジルは一瞬立ち止まり
「経験ねぇわけじゃねぇだろ」と怪訝そうに首を傾げた。
どっちも、と言われてイレヴンは、カァッと顔が熱くなる。
「そ……っ、りゃ、そう、だけど」
「なら、そっちでもいいだろ」
うわ、クズだ。
イレヴンは心の中でそう思う。
だが、握られた腕からジルの熱がじわじわと上がってきているのが解る。煽られるように、自分の熱も上がっている。
頬を最大に引き攣らせたイレヴンは、
「……明日動けなかったら恨むから」と忌々し気に呟いた。
結局拒めるわけはないのだ。自分を殺せる相手に、全部晒すなんてスリルを味わえるセックスなんて、そうそうない。
だが、それを了承と取ったジルは、更にずるずるとイレヴンを引きずって、二階へ向かおうとしたのだが、ヤルとしてもこの宿ではない。
バンバンとジルの腕を叩くと、イレヴンは
(わーったから、外で!)と訴えた。
(は? 面倒臭ぇ)
(リーダーにバレんのヤダ)
(気づかねぇよ)
(そんでも!)
視線で躱す会話にリゼルは気づかない。だが、絶対ヤダ、と真剣に睨んでくるイレヴンが譲ることはなさそうだとジルも諦める。
パッと手を離すと
「三番街の宿」と呟いた。
「ああー」
「気づかれねぇように来いよ」
「わーってる」
宣言したジルは、子供たちにあれこれと聞かれて答える男を一瞥し、だが声もかけずに宿を出て行った。
リゼルは、二人が何か話していることは気づいていたが、ふと視線を移したイレヴンが、何事もなかったようにニコニコしながら手を振ってみせれば喧嘩をしているわけでないのなら良いかとまた子供たちに視線を戻した。
(よかった、気付かれてなさそっぽい)
だがこのまま一緒に姿を消せば、何かあったか、と勘繰ってくるのがリゼルだ。
時間差を意識しながら、イレヴンは暫くリゼルを見つめていた。
腹の底がぐつぐつと煮えている。
全部注いで、全部注がれて、あの顔が快楽に耐えるように歪む様を想像して、脳に焼き付ける。
(こんなもん、あの人に向けられるわけがねぇって)
ならば代用品でもあればいい。
命を盗られるかもしれぬ相手であれば、他の誰より燻る欲をうまく散らしてくれそうだ。
ふ、と笑ったイレヴンはゆっくりと席を立つと、音を立てることもなく宿を出た。
カット
Latest / 179:59
カットモードOFF