『宝石の眼球』
 
やっと手に入った。男の両手の中で、液体の入った筒がちゃぽんと音を立てる。新月の月夜、男は「宝石の眼球」を持って逃げていた。
男は感動に打ち震えていた。ある富豪の遺産オークション。男は指示通りそこに忍び込み、「宝石の眼球」を手に入れた。富豪の遺産の中でもいっとう価値のあったそれは、富豪の娘の眼球であった。
 細長い筒を、夜空に翳す。
 結晶化した眼球は、筒の中でかろんと耳に心地よい音を奏でた。電灯の光を二つの眼球が照り返す。それが液体の中でゆったりと重なって、男にはそれが満月のように見えた。
 彼女と、富豪の娘である槇怜依奈と最後に会った日も、こんな満月の夜だった。
「ねえ。あなた。私の目に興味はなくて?」
 男はSPであった。SPであるからには怜依奈の身辺警護が仕事であり、彼女の話し相手は仕事に含まれなかった。だから、男は噴水でましろい脚をはだけさせて遊ぶ怜依奈に、返す言葉を持たなかった。
「私の病気については知っているでしょう?」
 男の沈黙にかまわず、怜依奈は話し出す。怜依奈の病は男も知っていた。
 俗称「宝石病」と呼ばれるそれは、体内の組織液が結晶化する病気だった。噴水の水を弾く美しい脚も、顔に水を飛ばして笑む顔も、そしてそれら全てを支えている心臓も、すべてが宝石のように凍り付くのだ。
 その中でも、目の結晶化は特殊な意味を持っていた。
「ねえあなたに私の眼球をあげるわ。すごい価値があるのよ」
 そんな事は知っていた。目は上手く結晶化しないことで有名だ。唯一結晶化するのは、涙を流して罹患者が結晶化した時のみ。それは「宝石の眼球」と呼ばれ、アングラで取引が行われていた。男は目をむいて怜依奈を見た。彼女は何がおかしいのかあはあはと笑い、噴水の縁に座り込んだ。
その縁にかけた左手には、美しい金の輪がはまっている。
「ねえ、もらって下さいましね。きっとよ」
 怜依奈はそう、幸せそうに笑った。
 SPでしかない男が彼女の体の一部をどうこうするなど許されなかった。
 たとえ彼女が、男をどう思っていようとも。
 十年来の付き合いの悪友に、怜依奈との顛末をうっかり漏らしてしまった時、失敗したと思った。目の前の悪友の顔が、金の匂いに醜く歪む。
「お前、それは貰っておくべきだった。今からでも遅くない」
 彼が口を開くと、酒臭い息がこちらにふきかかってきた。彼の手には、相応の厚みのある紙幣があった。
「なあお前。もらっていいって言われたんだろう。ならもらっちまおう」
 男はSPであるから、知っていた。あの家には孫である怜依奈が死んだ今、九十になる祖父しか残っていないこと。そしてその祖父の容態は怜依奈の結婚前からあまりよくないこと。彼が近々亡くなるであろうこと。
 そうすれば、宝石の眼球は自分たちの手にできること。
 迷って、迷って「もらって下さいましね」という彼女の言葉を思い出た。いやに耳元でそれは囁かれたような気がした。
 そうして、ようやく男は悪事に手を染める覚悟ができたのだった。
 盗むのは存外簡単だった。それは、果たして盗みとすら言えなかった。
「入りなさい」
 そう言われ、男のみが女中長に遺品オークション会場の中に通されたのだ。聞けば彼女が遺品オークションの手配を任されているらしい。
「怜依奈様からのご伝言、いえ、ご遺言がございます」
「……」
 男は返す言葉を持たない。男はただのSPで、今となってはただの男だったので、槇財閥のお嬢様の遺言を受け取るとは思ってもみなかったからだ。女中長は男をしばししげしげと眺めて口を開いた。
「貴方が眼球を必ず取りにきてくれるから、それまで売ってくれるなと。貴方が眼球を取りにきたら、必ず渡すようにと」
 女中長はそこで目を伏せた。隠せない悲哀がそこに滲んでいた。
「怜依奈様は……もらって下さいましねと、そう言って泣いていらっしゃいました」
 その言葉と共に、男はあっけなく眼球を受け取り、そして逃げた。
 「宝石の眼球」は宝だ。持っているだけで禍を呼ぶ。
 誰かが「宝石の眼球」が盗まれたと聞き、きっと男にもう追っ手を放っているだろう。
 それでも男にはもう彼女を手放す気は無かった。
 走る足も、つなぐ手も、離す口もないけれど、ようやく彼女と一緒になれたのだから。
 両手で月光にかざす。二つの眼球はやはり満月のようだった。
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お題『映画のシーンを出発点に小説を書く』
初公開日: 2020年12月29日
最終更新日: 2020年12月29日
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