#行方不明者多数の覇王エンドに行ったアベリオンがやさぐれながら四方八方に八つ当たりする話
#書いてる奴はシー←アベのつもりだってさ
べえ、と鳴く声を追って、藪を越えた。葉を落として鋭くなった枝先が、薄着のまま出てきた体を痛めつける。それでも、羊を見つけられた喜びが勝った。
膨らんできた毛並みは、湿地帯の泥やら草やらで、捜し歩いてきた男と同じにあちこち汚れている。そんな羊が、べえ、とまた一つ鳴く。衰弱しきっているといった声でもなく、それがまた男を安堵させた。
「あなたの羊でしたか」
近寄ると、人の声がした。見ると、羊のすぐそばに黒衣の人物が座り込んでいる。背の高い草が生い茂っているとはいえ、ほんの目と鼻の先だ。今の今まで気付かなかったのも妙な気がしたが、先に礼を述べた。
「隣の家のものですが、迷い出たので探していました。見ていてくれたのですか」
目深に落ちた頭巾をわずかに持ち上げて、見知らぬ人物が顔を上げた。垂れ下がった白い髪は老人のようだが、声も顔もまだ若い青年のものだ。見忘れるような風貌ではないのに、どこかで会ったことがあるようなないような、曖昧な気持ちが起きる。
「いえ。私が道に迷って途方に暮れていたところに、この子が相手をしてくれていたのです」
彼はそう言ったが、男をみとめて立ち上がった羊の足あたりの毛が、いくらか他と質感が違う。町の方から来た坊主が子供の擦り傷に手を当てた後、すっかり治った後のように皮膚が真新しくなったのを連想した。このそっけない出で立ちの若者も、ただの旅人ではないのかもしれない。
「この辺りは、同じような景色が続きますからね。おれも流れ者なので、わかります」
「それはまた。よく馴染んでおられる」
驚いたように言われると、男はどこか面はゆい。世話になった集落の一員になれたようで、誇らしい気がするのだ。
男はしばらく前、ちょうど羊が鳴いたこの辺りで倒れていたと聞いている。年で足腰が悪くなってきた爺様が、それでも放っておけないと、知り合いを呼び集めて助けてくれたというのだから、恩に着ても着られない。しかもそんな怪しい男が、以前のことは何も覚えていないと言っても、怪しみもせず置いてくれているのだ。
「とてもそうは見えないので、驚きました」
ひょっとすると、と男は思う。
この青年は、男が忘れ果ててしまった過去の知人なのかもしれない。息子にしては、流石に少し大きいか。けれど、兄弟というには離れている。思案してみるが、男がそれ以上に考え及ぶことはない。なにせ、彼は自分の正確な歳すらわかっていないのだ。寒くなってきて時折ぴりぴりと痛む、顔の大きな古傷の由縁も、まるで知らない。ましてや、在りし日の彼に代わってこの地一帯を軍馬で踏み固める、"アーガデウム"の指導者が目の前にいることなど、思いつきもしなかった。
*
――テオルが見つかりました。
供を離して馬を寄せてきたアルソンが、アベリオンにそう耳打ちしたのは少し前のことだ。
「今更、面倒な……」とこぼしかけて、小さく首を捻った。「……長く雌伏の時を過ごす人でもなかったでしょう。足の一本でも失くしていましたか?」
「……どうも、怪我らしい怪我はしていないようなんですが」
無視することにしたのか、そもそも気付いていないのか、嫌味に乗らずにアルソンは続けた。
「自分の生まれ育ちも、何も覚えていないみたいです。まったく別の人になってしまったような、というか……」
「はあ」
気の無いような声が出たが、アベリオンも考えを巡らせてはいた。
「……でもどこか、昔のテオルのようなところもあって」
証拠に、そんな呟きにはただ返答に困るだけだ。
頬に触れて思案するのに邪魔で、兜を脱いだ。自分の頭の中には、どう開いたものかわからない知識の箱がまだいくらもあって、鉄の塊を頭に乗せておく意味もその一つだ。アベリオンは戦士の装いについて未だに納得していない。他人の知識や精神など、おいそれと呑み込めるものではないのだ。
「俗に『頭を打って』とは言いますが」
テオルが行方知れずになった経緯に、なんら暴力の痕跡はなかった。旧ホルム伯の館に運び込まれた石人の『治療』の内容に激したアルソンが、一連の関係者の中でもっとも攻撃的だったとすら言える。仇討ちのあてがありそうな諸侯の子息も寝耳に水の様子で、集まった魔術師たちも然して器用なことが出来る手合いとは思われない。
地上の何某のしわざではあるまい。心当たりはあったが、アルソンに告げる意味もない。
「彼には色々聞きたいことがあったんですが、こうなってしまっては……」
考察が途切れたことを知ってか知らずか、溜息と共に漏らした彼の顔には、落胆と共にどこか安堵の色がある。
それが癇に障った。
――アベリオンには、殺すべきだとはっきり決心した相手がいる。一方ならぬ貸しもあり、借りもあって、命を助けたことすらあるのに、それを翻して誓ったのだ。騎士たるものが長年の恩義忠節を跳ね付けるのは、それより軽い決意だというのか。自分なら、怨敵が人事不省に陥っていようがほっと一息つくことは無い。そうでなくてはならない。
「……それで、」嫉妬だとわかって言った。「大公殿のことだ。彼に危害を及ばすまいと、また戦を引き延ばすおつもりですか」
「まさか。それとこれとは全然別の話ですよ」
アルソンが流石に気分を損ねた様子なのは、図星を刺されたためではなく、何度も主張してきた信条に泥を塗られたためだとわかる。
「2000騎、確かに連れてきました。早く戦いを終わらせて、作付け前に彼らを農地に帰すためです」
「強がりを仰る。ボーア候の説得、上手く行っていないようではありませんか。半分以上は次のいくさ場が決まっているのでは?」
「……」
先の侯爵は、土地柄にしては相当付き合いやすい人物であった。そうはっきりしたのは当然、首がすげ代わった後のことだが、アベリオンからしてみれば悲観することでもない。それならそれで、西の辺境以外とも早晩いさかいが起きるに違いない。火種が吹き上がって皆々が疲弊した折に満を持して気にかけてやればよいと思っているが、アルソンは意見が違うだろう。
「人間を戦わせることに気が引けるなら、ホルム土産に戦鬼を1個中隊いかがです? 何分躾けきれていない奴らですが、貴方ならば率いられるでしょう」
「……公国軍には、夜種に知り合いを殺された者もいるんですよ」
「彼らを従属させる術なら、何度もお見せしましたのに」
呑めるわけもない案を、しかし見せられれば迷う人だ。思慮深くて悩みやすい人だ。
彼が後々まで自分が発した一言一言を省みるだろうことを思うと、胸がすくような、かえってまた苛立つような、堂々巡りの心境になる。
――アルソンは、はっきりと顔を上げられないまま、希代のひとである盟友を見た。
こんな人であっただろうかと思うのは、何度目か。贈られた白馬にまたがる姿は光り輝くようであり、壇上で語るには大胆不敵で王のよう、話すには物柔らかで親友のようだと評されて久しい。彼が生まれながらの貴族でないと言って信じられる人など、もはやほとんどいないだろう。けれどアルソンの目に焼き付いているのはそうした姿ではない。
彼は、自分に打ちかかってきた相手すら庇いだてする人ではなかったか。騎士道を学んだはずもないのにそう振舞った姿に、違いなく友愛の人だと思った。どこかで魔術師の同士討ちを偏見の目で見ていた自分の不明を恥じた。彼を騎士だと思った。つるぎを振るう人ではなかったとしても、その時の方がずっと。
「……テオルは、やっと遺跡から解放されたのに……」
しかし、自分がかつての彼を知っているなどと、そんなことが言えるだろうか? 幼少の頃から共に過ごしていた従兄弟の名前が口を突いて出たことで、なおさらその思いが強くなる。どうしてテオルは何も話してくれなかったのか、もう永久に知ることはない。まだ聞くことの出来る相手にすら問い詰められないのだから、当たり前の結果だったのだろう。
彼は何も答えなかった。無言でアルソンから視線を外して、ぽつりと言った。
「……ああ、そうだ」
見ると、まるでアルソンの悔悟の念が映し出されたように、何かを食いしばる表情をしていて、どきりとした。
ほんの時々こうしたことがある。こうした時、彼をよく知る人ならどうするのだろう。アルソンはテオルに何もしてやれなかった。
「引き揚げの時には、どうぞネルをナザリまで連れ帰ってください。向こうに仕事があるはずなのに、やたら僕に構おうとするのです」
ちょうど脳裏に浮かんでいた名前が出てきて、とっさに否とも応とも言えなかった。あちらも返事を欲しがっていたわけではないようで、言い捨てるようにして去っていく。随分長く引き留めてしまったから、様子を窺っている者は大勢いるだろう。
つるぎを振るう人ではなかった。幼馴染が言うには、馬どころか山羊の轡を取るにも度々苦労するような人物だったと、そう聞いている。
*
「大したおもてなしも出来ませんが、せめてくつろがれてくだされ」
家具の乏しい家の食卓の、せめて傷の少ない側の席を薦めて、男が言った。
「……助かります」
そんな様子を眺めていると、アベリオンは不思議な気分になる。十文字傷の貴公子のかつての行状を思うと、こうして悪い意味で新しい家に寝起きし、自分の物でもない羊一匹を探して野に出るなど、いまひとつ想像が付かない。――いや、それぐらいならしたかもしれないな、と意地の悪い性根で考え直した。今の彼がそうしたのは、評判のためではなく、少し間抜けで滑稽な親切心からのようだったけれど。
聞くと、男は大して警戒もせず、色々なことを話してくれた。彼の暮らす小さな村落は、一連の騒動で住まいを失った人々が、なんとか平和的に寄り集まった場所であること。力強いが凶暴ではない原生動物がいて、怪物を避けるには良い地であること。つましい暮らしぶりの中でも、どうにか冬が越せそうなこと。既に大きく育っている土地への愛を、しかし未だよそものと遠慮しているために、かえって発露することに躊躇いがないのがよくわかった。
話しながら男は時おり顎鬚を撫でた。洒落っ気なく切り揃えられていて、面影はない。荒地の仕事に慣れた農民が夕方ごろにする仕草として、実に堂に入っている。なぜか、少しも哀れとは思わなかった。どこか羨ましくすらあった。アベリオンの中にちらと閃くのは、三度生まれ変わっても善良な農夫にはなれそうもない少年が、無理くりその装いに手足を押し込んでいた姿で、目の前の男とはひどくかけ離れたものだ。あちらの方が自分に近い。
「……詮索する気はないのですが、」
そのうち、男がもごもごと言った。消え入りそうな話し口に目を向けて続きを促すと、観念したように唾を呑む。
「旅してこられたのなら、いずこからか、おれに教えてはくれないでしょうか。おれも道に迷って行き倒れたのなら、同じところから来たのかもしれないと思えてならないのです」
他人の来し方を掘り返すことに呵責がありそうな朴訥な様子に、笑みが漏れた。彼が良心に負けて提案を引っ込めるより先に話し始めなくてはならない。
「私はもともと、地元で医者のようなことをしておりまして。新都がたって人を集めているというので、夢膨らませてやってきたのです。
ところが恥ずかしながら。取り立ててもらうことも出来ず、自分よりよく出来た人を引きずり降ろそうと企み事をしたりして。結局こてんぱんにやられたので、こっそり田舎に帰ろうとしていたところです」
思ったよりも身近く感じられない類のことだったか、男は少し呆けた様子で相槌を打った。知らず、笑みが深くなる。都を呼び分ける必要など感じたこともない生活だろう。もう少し卑近に、たとえば彼の恩人たちのそもそもの窮乏の理由に、彼自身がいくらか関わっていると吹き込んでやれば、きっと悄然とする男だ。逆に、その原因は実は自分にあると打ち明けてみせたら、何事か理由があるのだろうと思いやるのだろう。
そんな男に、口から出任せの嘘を吐く。
「あなたが都から来たとはとても思えない。負け惜しみですが、あそこの人間は貴きから卑しきまでみな欲深で、ぎらぎらしたところがあるのです。今にして思えば、手に汗して働くあなたがたの方がよほど貴い」
アベリオンが見る人間はみな清い。空寒いほど誰も彼も、自分を置いて清くなる。その滑稽さを指して嗤う者すらいないから、自分でそうする他ないのだ。
「それは、なんというか……苦労されたのですな」
「自業自得と言うやつです」
「……おれには、あなたこそ仰るような悪党には見えませぬ。偉ぶりもせずに羊を助けてくださった」
人がそのように思うだろうから、きっと公子テオルもそのぐらいのことはしただろうと、アベリオンは自然に考えることが出来る。同じように、かの貴公子の顔をした男を連れていけば色々なことが起こるだろうと、思いめぐらすことが出来る。――始祖なるタイタスは、何のために彼をこんな形で生かして帰したのだろう? 問うても常に答えてくれるほどかの人は親切ではなく、今もそうだった。もっともらしく裁判でも開いて、首を落としてやればいいのだろうか。いや、今までは美髯の演説家に募った恨みつらみを吸い上げてきたけれど、彼の帰還に喜ぶ顔もいくつも浮かぶ。戯曲の主人公だって記憶喪失の境遇だったから、その辺りを売り出すことも出来るだろう。
――ああ、バカバカしい!
猿が鼻先に食べ物を吊り下げられて、どう切り抜けるのかと検分されている気分だった。判断を誤ったところで、損なわれるのはアベリオンの身近なものばかりなのだから、気楽なものだ。どうせ木の実を振り落とさせる道具にしかしないつもりなら、どうして苦楽もわからない木偶人形にしてしまわなかったのか。今からそうしてみせたら、アルソンはどう思うだろうか。今度こそ自分のもとを離れるだろうか。そうなってほしいような気がした。
(……どの道、長く気のいい農夫はやっていられない)どこへともなく弁解するように、そう考えた。(今だって公子は死んでいるのと同じで、『この人』としてすら長くない)
目を伏せて、男から逸らした。アベリオンには殺さねばならぬ敵がいる。彼も、目立つ容貌で目立つ言動だった。いずれか持ったままならば、こうも長く誰にも見つからぬままとは思えない。
だからきっと、もはや彼の命は無いのだろう。
「……やはり、」押し黙った様子を見て、男が口を開いた。「おれのことをご存知なのですか」
「……いいえ。何も」
心からの言葉だった。こうして言葉を交わしていても、彼の顔かたち以外に何一つ、アベリオンは往時の面影を見ることが出来ないでいた。アルソンが何を懐かしんだのかついぞ知ることなく、知ろうとすらせずに、自分の追憶にばかり浸っていた。
とどのつまり、自分はそういう人間なのだと。
「……あなたが僕を知っているんだ」
男はぱちりと目を見開いた。言葉を交わしていた風変りな青年が、瞬きもしない内に立ち上がって、己の額に指先を押し当てたことに驚いていた。
「あなたは、」
何か言おうとして、舌が痺れた。頭の裏側をじかに触られるような、今まで感じたことのない感覚がした。
彼の長い髪が頬に触れていた。ただ額を押さえられているだけでまったく身動きが取れず、どこかで見たことがあるような、朧な白い顔を見つめていた。
「……あなた様は、」
そしてそれを最後に、二度と目覚めることはなかった。
羊は丸まって目を閉じている。
ある親切な男のおかげで、無事に他の羊と同じに微睡んでいる。
瞼の下で、その眼球がごろごろと姿を変えていた。犬のものに、猫のものに、鶏のものに変じては、張りぼての器の中で蠢いていた。
やがて、足の悪い老爺ではない、真の主の声を聞いて目を覚ます。余人には聞き取れぬ魔術の呼びかけに応えて、魔術の糸で編まれた毛皮を引き裂きながら、丸まった動物の群れの中にすっくと立ちあがる。
一声、羊でない声で鳴いた。
(おわり)