湯気を立ち上らせる肌に浴衣を羽織って、帯を締める。ちらりと洗面台の方を伺うと、ちょうど肥前がドライヤーを止めたところだった。椅子に腰掛ける南海がこちらを向いてひらひらと手を振る。何も言わない肥前の目がこちらへ来いと圧を掛けるから、渋々二振りの元へ歩み寄った。
 湯冷めが原因で風邪をひいたのは一月ほど前のことだった。元々髪を自然乾燥させているのを見咎められドライヤーで乾かせと幾度も言われていたのだけれど、放置していてもさっさと髪が乾く夏と同じように濡れたままにしておいたらとんだ失態を演じることになった。それからだ、肥前が陸奥守の髪を乾かすようになったのは。
 南海の隣の丸椅子へのろのろと腰掛ける。湿気に満ちた脱衣所でもなお冷たいままの革の感触が布越しに伝わってくる。南海が本を取り出して開き、肥前がかちりとドライヤーのスイッチを入れた。
 洗面台の鏡は大きくて、脱衣所全体が映り込んでいる。ぼんやり眺めていると、脱衣所を使う刀と鏡越しに目が合う。にやにやと目口を歪めるもの、静かに微笑むもの、呆れたように目を反らすもの。いたたまれない。自分でできるからとドライヤーを取り上げようとしたこともあったが、信用できないの一言で黙るしかなかった。実際それで風邪をひいているので何も言えない。他の刀に髪を乾かしてもらうのは、短刀と和泉守と南海の専売特許だったはずなのに。どうしてこんなことになってしまったのかと思っても、注意されたときに自分でちゃんと乾かさなかったから、と答えがはっきりしている。
 五本の指が地肌をなぞって、髪の一束を掬い上げる。肥前の手付きは、丁寧とはあまり言えないと思う。乱の髪を撫でる一期一振とか、和泉守の髪を梳く堀川とか、ああいう手付きとはほど遠い。それでもこちらを気遣って触れていることが分かって心地好い。頭を撫でられているみたいだ、とは肥前には口が避けても言えない。
 く、と後ろ髪を引かれて、首がかくんと後ろへ仰け反った。ドライヤーの音が止まる。どうやら髪が絡まっているらしかった。
 気にしなくていいのに。内心で口を尖らせる。手入れされた髪でもなし、絡まっているならそのままにしておいてくれればいい。陸奥守はもう坂本家の家宝ではないのだから。そりゃあ昔はもう少し身成りに気を遣っていたけれど、今の陸奥守は刀剣男士として敵を屠る存在なのだ。方々に跳ねた毛は、斯く在るべしとはじめから与えられている。見目に気を遣うのは、陸奥守吉行の在り方ではない。だから、放っておいてほしい。
 そう、陸奥守は、放っておいてほしいのだ。絡まった毛とにらめっこなんてしなくていい。そんなのなくたって十分だ。乱暴な手付きで頭を撫でてくれれば、それで。
 漸く絡まりが解け、ドライヤーの音が再開した。鏡に映る肥前をそっと盗み見る。陸奥守の後頭部に視線を落とす肥前と目が合うことはない。ひとの気配に敏感な肥前のことを遠慮無く眺められるのがこの時間だった。風呂から上がった刀は部屋へ戻り、服を脱いでいた刀は浴室へ向かった。脱衣所には誰もいなくて、陸奥守と、陸奥守の髪を乾かす肥前と、隣で本を読む南海だけがこの空間をさんにんじめしている。
 かちり、小さな音がして、吹き付けられる風が冷たくなる。ああ、もう乾いたのか。四方からくるりと冷風を当てられて、もう一度スイッチの音が鳴る。ドライヤーが風を吹き出す音が止んだ脱衣所に、ひどく響いた。
 肥前がくるくるとコードを纏める横で、南海が本を閉じた。こんな湿気た場所で本を開いたらよれよれになってしまうのではないかと思うのだが、待たせている身であるので何も言えない。
 自らを含め三振り分の髪にドライヤーをかけた肥前が右手を開いたり閉じたりしている。やはり陸奥守の髪を乾かすのは負担なのだ。けれども肥前がすんなりとこちらにドライヤーを手渡すような言い回しは思い浮かばない。
 そうか。それなら陸奥守が肥前の髪を乾かせば良い。二振りが来る随分と前には短刀たちの髪を乾かしてやることもあったのだから、たぶん酷い手付きではないはずだ。そうだ。そうしよう。明日は陸奥守が肥前の髪を乾かす。そう心に決めて、戸口で陸奥守を待つ二振りのもとへ駆け寄った。
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67:06
橋間
終わります~
67:24
橋間
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向き
髪乾かすひぜむつ
初公開日: 2020年11月27日
最終更新日: 2020年11月28日
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