※続きから作成になります。半分くらい作成済み。
咽返るような草の匂い。けれど木々の間は驚くほど涼しい。蝉の声が嫌にうるさかった。
涼しい屋内にばかりいたけれど、こうして歩いてみれば夏の日差しを受けて肌がじりじりと痛む気さえした。
「此処は?」
「森だよ。たぶん、こんなところ来たことがないだろうって思ってさ」
トレイはリドルの手を引いて楽しげに笑う。辺り一面緑一色なのに、太陽の光で明滅するように色を変えている。
「もっと、虫が多いのかと思ってた」
「俺も父さんから聞いたんだけどさ、蜻蛉が飛んでるだろ?あれがいると他の虫はあまり出てこないんだって」
トレイの指が示す先には、黒い網のような羽を広げて葉先に止まる蜻蛉がいた。身体の一部分に線を引かれたような赤い色をしている。じっと見つめていると、ひらりと飛んで行ってしまった。
「強いの?」
「うん。人には無害だけど、虫にとっては肉食獣みたいなものなんだって。だから休憩は蜻蛉がいるところにしろって言われたんだ」
トレイは笑いながら歩きにくそうな草むらに入り込んでいく。リドルはその後を慌てて追いかけた。
「どこまで行くの?」
「もう少し」
おそらく、人が通る道なのだろう。丸太のようなものが坂道には埋め込まれていて、アスレチックのような階段を作り出していた。滑らないように気を付けながら歩いていく。木漏れ日は目を眇めるほどの強さなのに、木々の間を通っていくのでは分からない。トレイの緑色の髪が自然の中に紛れてしまう気がして、リドルは必死に追いかけた。少しだけ、怖くすらあった。
置いていかれることではなくて、トレイを見つけられなくなったらどうしよう、そう思ったのだ。
「あと少し」
言葉が変わった。リドルは少し疲れた足に力を入れる。最後の段差は大きくて、トレイが手を引いてくれた。広い空間に出たのか、一気に視界が真っ白に染まる。
「わ、あ」
まず見えたのは、突き抜けるような青空。雲一つないという表現がぴったりの、美しい夏空だった。白く染めた原因は木のないところに出たかららしい。そして、見下ろせば家や建物、道が小さく映る。まるで自分がクッキーを食べて巨大な体になったように、すべてが小さく、ちっぽけに見えた。
「すごいだろ?」
悪戯が成功したようにトレイは笑う。リドルは唇が震えたのを誤魔化すように笑った。
「すごい、……綺麗だね」
綺麗だった。小さな家が、見下ろした自分たちの街が、その中で微かに動くのが見えることさえも。
「ほら、あのあたりが図書館」
煉瓦造りの建物はあんなに本がたくさんあるのが信じられないほど小さく見えた。深呼吸をする。笑ってしまいそうだった。
「きっとリドルは来たことがないだろうと思って」
「うん。初めてだよ」
「きれいだよなぁ」
水筒の中身を分け合って、爽やかな風の中で目を閉じれば少しずつ汗が引いていくのが分かった。服で扇ぐ振りをして、リドルはぎゅう、と胸元を握りこむ。
会えて嬉しかった。夢だと思うくらいに。
けれど、会いたくなかった。好きだと分かってしまうから。
「トレイ」
「ん?」
「連れてきてくれてありがとう」
あのタルトの味は記憶で上書きされてしまっているかもしれないけれど、リドルは忘れていないつもりだ。元々、記憶力は良い方なのだ。それなりに褒められるくらいには、覚えることは得意なのだから。
だからきっと、
「こんな綺麗な景色、忘れられないよ」
忘れないはずだ。
その日は少しだけ憂鬱だった。正確には、図書館に行くのが、憂鬱だった。
だって、言ったら終わってしまう。終わりになってしまう。三日目の今日は最後の日。最後だなんて言葉にしたくないけれど、きっと最後になってしまう。ミドルスクールはきっと忙しいだろうし、リドルはまた缶詰の生活に戻る。来年、なんて約束しても、きっと今年のようにはいかないだろう。
だから、今日は、最後の日なのだ。
靴ひもをきっちりと結んで、リドルは扉を開けた。
「今日も、行先は内緒だ」
トレイはにやりと意地悪く見える顔で笑い、リドルは一つ頷いた。
「さ、行こう」
ぽすんとまた帽子がリドルの頭に載せられる。トレイの差し伸べた手にリドルは再び手を重ねた。
今日は人気のない方ではなく、街の中を通っていくらしい。喧騒が少し離れた場所から聞こえてくるから、きっと裏道なのだろう。
「大通りは人が多いし、すぐに客引きがあるから」
トレイはそう言いながらリドルにはとても覚えられないような道順を正確に歩いていく。右に左に小さな橋まで、最初のうちは覚えようとしたけれどすぐに諦めた。頭が痛くなってしまう。
「もう少し歩くけど、平気か?」
昨日よりも口数の少ないリドルを心配したのか、そんな言葉をトレイは投げかけてきて、リドルは慌てて首を振った。
「大丈夫だよ。街中をこんな風に歩いたことがなくて、周りを見ていたんだ」
「あぁ、……ごちゃごちゃしてるだろ?」
「そんなことは、……まぁ、迷いそうだなって思ったけど」
「あはは!そういう目的で作られたらしいんだ」
トレイが言うには城下町であるこの街は有事の際は敵を迷い込ませるように作られているのだという。
「真正面のメインストリートは馬車が通れるように広くなってるけど、このあたりはそうじゃない。敵の裏をかいて追い込むためにわざと曲がりくねってるんだってさ」
「そんなの初めて聞いた」
「そうなのか?俺のじいちゃんが言ってたんだ」
リドルは瞬きをする。トレイの話す内容はいつも面白くて、それでいてリドルの知らないことばかりだった。急に鼻の奥がつんと痛んだ。幸せな時間がもうすぐ終わってしまうのが、いやだった。それがどうにもできないと分かっているのに。いや、分かっているからこそ、いやだったのかもしれない。
「あ、ほら此処の道をまっすぐに行くんだ」
建物が並んだ隙間のような道を通る。再び一歩出ると、今度は先ほどよりは少し広い住宅地に出たらしい。先導するトレイの後をリドルは進む。
ぱちん、ぱちん、と何かを切る音が響いてきた。ちらりと音の先をリドルが探すと、老婦人が木から何かを取っていた。背伸びをして取る姿は少し大変そうで、『声をかけよう』とリドルは思った。
「トレイ、彼女に声をかけてもいいかな?」
「うん?」
リドルの指先にいる老婦人を見つけると、トレイは少し驚いた顔をした後、仕方ないなと苦笑する。その顔を見て申し訳なくなった。
おそらくトレイは、リドルの時間がないことを知っているから、色々と考えてくれたのだと思う。けれど、大変そうな人を放っておくこともできなかった。我儘なのだ。
リドルはありがとうとトレイに言うと、老婦人に声をかけた。
「あの、こんにちは!」
「あら、こんにちは。元気ねぇ」
「…あ、の、大丈夫ですか?もし、大変なら、手伝います」
皺交じりの顔はリドルの言葉を聞いてぱっと華やいだ。
「まぁ、まあまあまあ!うふふ、嬉しいわ。でも今のでちょうど最後だったの。だから大丈夫よ、ありがとう」
リドルは内心でほっとする。それなら、トレイの立ててくれた予定を崩すこともないだろう。
「ね、あなたたち。よかったら、これ貰ってくれる?」
彼女はそういって捥いだばかりの蜜柑を二つ、差し出してきた。
「えっ、でも、何もしてないのに」
「いいのいいの。この蜜柑、美味しいのよ。声をかけてくれた子なんて初めてで、私とっても!とっても嬉しかったの。だから、私のありがとうって気持ちなのよ」
少女のように声を弾ませる姿にリドルはどうするべきか分からなくて思わずトレイを見上げた。トレイはやっぱり苦笑を零して、
「リドル、折角だから受け取ろう」
「そうしてちょうだい!」
黄色い皮に太陽が反射したように、瑞々しい匂いが広がる。
どうしてか老婦人は酷く上機嫌だった。ただ、リドルは声をかけただけで、何も手伝ってもいないのに。
「素敵なサマーホリデーを!」
ひらひらと指先が揺れて、トレイはそっとリドルの背中を押した。会釈を一つして歩き出す。
「よかったな」
良かったのだろうか。
リドルは掌の上の蜜柑を見つめる。眩しいくらいの色と、お礼の言葉。じわりと暑さのためだけでなく、胸が温かくなるような気がした。
「よし、あと少しだ」
空は蒼。そして目の前は一面の黄色。―――ひまわり畑だった。
「す、ごい、」
昨日の街を見下ろした光景もすごいと思ったけれど、今日の景色は格別だった。
絵画だと、そう思ってしまうくらい圧倒的な風景に目が回りそうになる。
「だろ?」
トレイはやっぱり嬉しそうに笑った。
「この季節にしか見られないんだ。こっちの方は道も少ないし、きっと見たことないだろうって思って」
「うん、……すごく、綺麗だ」
リドルはトレイを見た。いろんな感情がないまぜになって胸の中で揺れている。ありがとうというのはもちろんだけれど、何かもっと、伝えたい気がした。それが何なのかリドルだってわかってないのに、溢れ出す気持ちをどうにか言葉にしたかった。けれど、困ったことに目が酷く痛むばかりで喉からは何も出てきてくれない。俯いたリドルの頭を帽子越しに一つ撫でて、トレイは笑った。
「よし、リドル。みかん食べよう」
喉にじわっとくる。下がピリピリするような酸味に自然と唾が口の中にたまる。
「すっぱい」
「だな。まぁ、確かに自家製なんてこんなもんかな」
そうなのか、とリドルは思う。みかんは蜜柑でも、これは夏ミカンという品種らしい。夏に採れるから夏蜜柑とトレイは説明をしてくれた。
「もっと甘いのかと思ってた」
「まぁ、この酸味がいい!って人もいるからな」
「……本当に?」
「うん。うちのばあちゃんは酸っぱいほどうまいっていうし」
いろんな人がいるんだよ。
何故かその言葉が耳の奥に残った。
いろんな人がいるのだ。この世界には。いや、この国だけを取ったって、この街だけを取ったって、色々な人がいる。エレメンタリースクールだってそうだった。いろんな人がいた。
……その色々な人の中で、トレイのような人に出会えたことはきっとリドルの幸運だった。
「トレイ」
「ん?」
「忘れないよ、僕。絶対に忘れない」
「…俺もだよ」
トレイは優しく笑った。だからリドルも笑うことができた。
なんとなく気恥ずかしくて、ちらりと腕時計を見る。
「えっ」
「どうした?」
「止まってる、」
調子が悪かったのか、魔力が足りなくなったのか、リドルの腕時計は動きを止めていた。さっと青ざめる。今がどのくらいの時間か分からない。震え出したリドルの背中をトレイは叩く。
「リドル、大丈夫だ。ほらこれ」
そういってトレイは自分の付けていた腕時計をリドルの腕にはめた。
「まだ大丈夫だろう?」
「……うん、よかった」
一気に騒がしくなった心臓は痛いくらいだった。外だというのに寒ささえ感じそうになっていた自分に気づいて、リドルは自嘲する。
「トレイ、ありがとう」
「いいや。俺が無理言って連れ出したからな」
「ううん、……一昨日も言っただろう?僕が、君に会いたかったんだ」
何となく、帰り道は何もしゃべらなかった。黙ったまま二人手を繋いで、あの複雑極まりない迷路のような道を抜けた。リドルは時々時計を確認して、トレイの手をぎゅ、と握った。トレイもまた何も言わず、ただリドルの手を握り返す。
煩わしいほどの蝉の鳴き声の中、二人の足音だけが響いていた。
「楽しかった」
図書館に戻り、リドルはそう言って笑った。寂しそうな、悲しそうな笑みで、それでも確かに楽しかったと口にした。
トレイはリドルにかぶせていた帽子を取り、その髪をひどく丁寧に撫でる。そして、言った。
「あのさ、リドルの誕生日、来週だったよな?」
「え?……うん、そうだけど、」
「その、使ってるもので悪いんだけど、俺の時計。リドルにあげるよ」
リドルはハッと左腕を見た。真っ黒な皮ベルトの時計は正しい時間を刻んでいる。
「でも、駄目だよ。君が困るだろう?」
「実のところ、あまり使ってないんだ。ミドルスクールにはつけていかないし、今日はリドルと会うから付けてきたけど、普段はつけてなくて」
「だけど、」
こうしてもらってしまっても、リドルはトレイの誕生日に何も返せないだろう。たとえ、用意したとしても届ける術がない。それに、時計はきっと高い。躊躇うように首を振ったリドルにトレイは顔をあげた。
「ならさ、俺がまたリドル会うまで、預かってて」
「預かる、」
「そうだよ。あげるんじゃないし、もらうんじゃない。預かっててよ」
喉の奥から、耐えたはずの何かが込み上げてきた。熱くて堪らなくて、それなのに、指先は酷く冷たい。
「……いいの?」
持っていていいの。預かっていていいの。
縋ってしまうかもしれないのに、壊してしまうかもしれないのに、……二度と会えないかもしれないのに。
頭の中では喧しく騒ぎ立てる言葉たちは、それでも臆病者ばかりでリドルの喉から出てくることはない。トレイは震えるリドルをただただぎゅっと抱きしめた。
「いいよ、持ってて。俺の事、」
―――忘れないで。
いるかどうかは、分からなかった。だから、とにかく目立つ方法を考えた。今までだってそうだ。
トレイはかくれんぼは得意だったけれど、リドルはまるでトレイたちを見つけられなかったのだ。新しい場所も、不思議な光景も、素敵なものはすべてトレイが見つけてきてくれた。だから、また見つけてもらえばいい。
ミドルスクールは別の学校だったから当然出会うことはなく、だからこそ、NRCに賭けた。
完璧をきっちりと上書きするように満点を取って新入生代表を勝ち取った。身長が思うように伸びてくれなかったが、きっとトレイなら気づいてくれるはずだ。
いてほしい。会いたい。けれど、ほんの少しだけ、会いたくないとも思っていた。
だって、『誰だっけ?』なんて言われてしまったら。『知らないな』なんて言ってきたら。
まだ持っていたのか、なんて呆れたように言われたら、きっとリドルは泣いてしまうと思ったから。
「まだ、持ってたのか」
想像通りの声に身体は強張った。けれど、自分の想像してたトレイよりも声が震えていたからそっと顔をあげる。真っ赤な顔で、困ったような、嬉しいような顔で、トレイはリドルをじっと見下ろしていた。
「いい時計だったから」
返す声は囁くように小さかった。普段の授業の声とはあまりにも違い過ぎて、自分の声だというに驚いてしまう。
「持っていてくれて、ありがとう」
背が随分と伸びていて、見上げるのも大変だった。リドルは抱きしめられた腕の中から必死で顔をあげる。
「覚えていてくれて、ありがとう」
お返しのようにその言葉を返せば、トレイは蜂蜜色の瞳を潤ませて静かに笑った。
「会いたかった」
リドルはその言葉に必死に瞬きをして涙を散らす。そうでもしないと、声まで喉で震えてしまいそうだったから。
「僕も、トレイに会いたかった」
サマーホリデーの奇跡が、叶った。
カット
Latest / 63:52
カットモードOFF
文字サイズ
向き
チャットコメント通知
テスト(トレリドのサマホリを書き上げよう!)
初公開日: 2020年08月30日
最終更新日: 2020年08月30日
ブックマーク
スキ!
コメント
タイトル通り。
書き上げる&使ってみたかったのでテストです。
トレリド注意。