「海に行きたいな」
「海?」
「ああ」
スマホから顔を上げることもなく、KimはWayにそう告げた。
「お前そんなアウトドアな人間だったか?」
Wayは訝しげに問いかける。Kimはどちらかと言えばインドアというか、室内で出来るアクティビティを好む方だと思っていたからだ。
健康的に焼けているWayとは違い、Kimの肌はいつだって真っ白だったから。
「別に、たまにはいいだろ。Wayと海行ったことなかったなと思って」
「まあ、そうだな」
年がら年中暑いわけではないこのLAでは、海に行ける時期というのはある意味貴重だ。母国のように時期を考えず海水浴なんて行ってしまえば凍え死ぬだろう。
つまり、母国の気候に近い今の時期こそ、唯一海に行けるチャンスというわけだ。
俺たちに明日があるとは限らない、それがKimの口癖だ。思い立った時に行きたいのだろう。その点に於いては、一度愛する人を喪った(正確には、失いかけた)Wayもよく分かる。
「じゃあ行くか。水着とかねえけど」
「現地に売ってるだろ」
「そうだな」
Wayはくるくるとキーを回し、Kimと車へ向かう。バイクは事故での死亡率が高いからと、バイクに乗るのはやめたのだ。
車に乗り込み、ナビでここから一番近い海水浴場へと走らせる。窓を開け、Spotifyで軽快なサマーソングをかければ夏の雰囲気は完成だ。
「あ〜これだよこれ」
「これだな」
こっちに来て最初の夏だ。当初の予定ではKimはアメリカに来るはずではなかったから、大学生の夏を2人揃って過ごせるというのは素直に嬉しいとWayはハンドルを握り上機嫌に歌う。去年の夏もアメリカで過ごしたはずだし、それなりに友達も出来たが、如何せんその時期はKimが昏睡状態にあった為あまり覚えていないし、思い出したくはない。
「なんか、青春って感じするな」
「ガス欠して、友達に持って来てもらったりとか?」
「はっ、当時のお前は友達じゃなかったよ」
Kimの口から青春なんて言葉が出て来たことがおかしくてWayも喉の奥で笑う。
「あとどのくらいだ?」
「ここから1時間くらいだな」
「は〜意外と遠いんだな。暇だ」
「お前、そう言うなら免許取れ」
「そのうちな」
Kimは免許を持っていない為、運転は全てWayの担当だ。Kimはスマホを操作し好き勝手音楽を変えて、気分に合わなかったら変えてを繰り返している。バンコクにいた頃はこんな風にどこかに遠出したり、ましてやドライブなんてしなかったから、こういう暇を持て余しているKimを見るのは新鮮だった。
海水浴場に到着し、運良く空いていたスペースに駐車する。近くには狙い通り水着を取り扱っている店があり、2人はそこで適当に水着とラッシュガードを買った。
「この状況をPan達が見たら気絶したりしてな」
「まだ起きてるか?あっちは深夜だろ」
買った水着で、ラッシュガードの前は留めず胸筋も腹筋も見える状態で海をバックにセルフィーを撮る。Kimが面白がってPanとSodaとKhetが参加しているチャットルームへ写真を送ると、既読があっという間に3ついた。
『おい〜〜〜!シックスパックよ〜!』
最初に悲鳴を返してくれたのはSodaだ。
残り2人の反応がないなとKimとWayが首を傾げていると、KhetからLINE電話がかかってきた。
「もしもし?」
『クソ兄貴!ムードぶち壊しやがって!Panが鼻血吹き出して気絶しちゃったじゃないか!もう少しで……』
「もう少しで、なんだ?」
ああ、今あっちはいい感じに深夜だっけ?とKimがからかうように言うとKhetはそれ以上答えることはなく『ほんと、性格悪いよなあんた!』とだけ言って切ってしまった。
「悪いことしちゃったみたいだな?」
と同じようにニヤニヤした顔でWayが笑う。
「弟にもプライベートがあるらしいな」
とすっかりKhetと打ち解けたKimは兄らしい顔をして笑った。
水着と同時に買った浮き輪を、その辺の親切な人のエアボンベで膨らませてもらい、海でしばらくぷかぷか浮く。やはりシーズンなだけあって、周りには人が多い。
(やっぱ絶世の美女、とまではいかないけど、色んなタイプの人がいるもんだな)
浮き輪に乗り、ぼーっとしているKimを写真に収めながらWayはそんなことを思う。
(まあ、それでもKimが1番だけど)
1年以上、人種が混ざり合うこの地で生活してきたが、やはりKimに敵う人はいなかった。
外見とか、性別とか、そういうことじゃない。KimはKimでないとダメなのだ。そう言うとKimには「でもお前、中身がPanでも構わないから側にいてとか言ったよな」とじとっとした目で睨まれるのだが。あれはKimそのものを失うくらいならいっそということで許してほしい。
「喉乾いた。なんか買って来るよ。何がいい?」
喉が乾いたらしいKimは浜辺へ向かいながらWayに問いかけた。
「なんでもいい。お前と同じもんで」
「じゃあ、ブルーハワイでも買って来る」
「ん」
浮き輪を適当に置き、Kimはドリンクが売っている屋台へと向かう。Wayはなんとなく浮き輪が誰かに取られないように浮き輪をぼけっと眺めていた。
──こんな平和な日常が帰って来るなんて、去年の自分だったら考えられなかったな。
高校生の頃は、疑いもしなかった「明日」を疑うようになったのは、間違いなくあの事故の日からだろう。
それはKimも同じなようで、元々嫌いだった「明日があるから」という言葉をさらに嫌うようになっているように感じる。
だから、今日出来ることは何時からであっても今日するのだ。今日は二度とやってこないから。
そういう共通認識で動いているから、Kimがこっちに来てまだ1年も経っていないのに、こちらでの2人の思い出も写真も、母国にいた時よりも随分増えている。
濃密な時間だ、と思う。出来ることなら授業や課題はスキップして、バイトの時間もスキップして2人の時間を過ごしたいが、自由に生きると啖呵を切った手前、あまり親には頼りたくなかったのがお互いの本音だから仕方がない。明日が来る可能性は少しでも上げなければならないのだ。
まあ、その労働のおかげでこうしてKimと海水浴にだって来れるし、結果的に親もしぶしぶながら援助してくれているお陰でこの車社会も生きていけているのだが。
などと、Kimを一度喪ってから今までのことを振り返っていたが、ふとスマホを見るとKimがジュースを買いに行くと言ってから結構時間が経っていることに気づいた。
「遅くないか?」
ここから屋台まではさほど遠くない。何かあったのか、とWayも陸に上がりKimの姿を探す。
「Kim、Kim」
呼びながら屋台の方へ向かうと「ほんとに人が待ってるから!」という声が聞こえた。
「Kim?」
声のする方を見ると、Kimが数人の男と女に囲まれてるのが見えた。Kimも身長は高い方だが、周りの日焼けで真っ黒になった男に比べるとどうしても華奢に見える。腕に自信があるKimもこの状況には困っているのだろう。英語が拙いし、たまにタイ語で汚い言葉が出ている。
「おいKim」
俺の連れが何か?と英語で話しかけると、男たちは青く染まった女のラッシュガードを指差す。白だったラッシュガードは確かに一部だけ青く染まっている。
「こいつが俺の彼女にブルーハワイぶっかけたんだよ!」
「いや、そっちがぶつかってきたんだろ。かけたことは謝りましたよ」
「なんだと!?」
「ねえ〜別に弁償してとか言ってないのよ?ボクかわいいから、一晩お姉さんの相手してもらえればいいの」
「はぁ!?」
連れと思しき女の発言で事態がややこしくなっている。我慢出来なくなったのか、拳を振り上げた男の手を、Wayは思わず掴んだ。
「おい、たった数ドルのジュースで病院沙汰にする気か?」
「なんだと?」
「ついでに警察沙汰にもするか?言っておくが連れを殴るってなら俺は黙ってないぞ」
ギリ、と負けじとその腕を強く掴む。思いの外Wayの力が強かったのか、興が醒めたのか、男たちはFワードを吐いて去って行ってしまった。
「大丈夫か、Kim」
「ああ。このくらいの相手俺でもなんとかなったのに」
「なってねえだろ。ブルーハワイこんなに派手に溢して、どんだけ強くぶつかったんだよ」
「振り向きざまに」
「お前……」
怪我ないか?とWayが眉を下げるとKimは逆に笑って「誰かさんが人を殴ることを我慢できたから怪我してない」と返した。
「ジャケットなしでも我慢できるようになったんだな」
「うるせえ、言ってろNong」
「はいはい、えらいでちゅね〜P'Wayは」
「おい!」
言い争いながら、今度こそお目当のものを買うべく屋台に並び、パラソルを借りて日陰でジュースを飲む。
「……ありがとな」
「何が?」
急にKimに礼を言われ、Wayは首をかしげる。
「さっき。助けに来てくれたろ」
「ああ、なんだ。お前も礼とか言うんだな」
「大人になったからな」
「中身18だろ」
「お前と同い年だっての」
「まあいいや。好きな人が暴漢に襲われてたら、そりゃ助けるだろ」
「……そりゃどうも」
「お前だってそうじゃねえの」
「……お前にいなくなられたら困る」
「ふ、そういうことにしておいてやる」
WayはKimの手を見る。1人でなんとか出来たなんて嘘だ。無意識だろうが、手が小刻みに震えている。
やはり複数人に囲まれるのは怖かっただろう。Wayだって、1人だったら怖かったと思う。あの場で怖がらずにいれたのは、後ろにKimがいたからだ。思えば、いつもKimに勇気をもらって生きている。
「なあ、お前はさ、離れていても一緒にいられるって言ってたろ」
「お前も最後には同意しただろ」
「あれやっぱ取り消していい?」
「はぁ?」
「いや、俺たちが別々の人生歩んだって精神的には繋がってられるとは思う。それは否定しない」
「……ああ」
「でも」
波の音が、風に乗って響く。それは、Wayの言葉をより明瞭にKimの耳に、心に届けた。
「近くにいればいるほど、俺の人生は色づくんだ」
お前はどう?そう問いかける大きな瞳は、期待の色に染まっていて。
悔しいけれど、否定することはKimにも出来なかった。
「……俺もそうだよ」
意地をはることはせず、Kimは微笑んだ。そしてお互い髪を撫で、顔を近づけて、小さな愛の音がした。
静かな場所なら照れてしまうようなその音は、波の音にさらわれて、誰にも聞こえない。
それをいいことに2人は周りのことも忘れ、いつまでもいつまでも、気のすむまで口付けを繰り返したのだった。
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ワンドロ0813
初公開日: 2020年08月13日
最終更新日: 2020年08月13日
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コメント
ワンドロ「海」
ワンライ201003
酒を飲むざしぱめん
みつき
2026/07/08
お試してきすとらいぶ。へしあた。
兎喜(とき)
ゆう喜 真櫛の心
男から女に贈ると求婚の意味がある櫛をいきなり携えてきた見ず知らずの青年、姐さん笑顔は保ってたろうけど…
篠畑