3…2…1…
「誕生日おめでとう、Kim」
カウントダウンの花火中継を見ながら、Wayは誰もいない墓前で2杯分の缶チューハイを開けた。
一杯は自分の、もう一杯はKimのだ。
1月1日、今日は年が変わった最初の1日目であり、Kimの20回目の誕生日だ。
新年とはいえ、親戚が集まって新年のお祝いをするのはタイではまだ少し先の話。学校の長期休みを利用してタイに戻ったWayは、こうしてKimと初めての酒を楽しんでいた。
「お前の為に初めての酒は取っといてやったんだよ」
Wayの誕生日はKimより2ヶ月早い。だからWayは年が明けるまで待たずとも本来は酒が飲めたのだが、初めて共に飲む酒はKimとと決めていた為に、同級生に誘われてもずっとソフトドリンクで通してきた。
「ジュースと変わらねえな」
初めてだから、と飲み切れそうな缶チューハイにしたのだが、少し甘すぎる。ジュースとまるで変わらない。
「お前は相変わらずそうだな」
物言わぬ墓石に、Wayはひたすら話しかける。当たり前だ、墓石が変わるわけないだろとあの独特な声のツッコミは、今は聞こえない。
これからも、きっと聞こえはしない。
変わっていくのはずっとWayの方だ。
Wayだけが、変わっていく。
今だって、あの頃のオールバックではなく、下ろした前髪と、少しシンプルになったファッション。
Kimの墓に行くときはいつも同じジャケットを着ているが、それを抜きにすれば、もう高校生の頃のWayではない。
そのうち、髪型やファッションセンスだけではなく、顔もどんどん年を重ねたそれになって、だんだん二本の足で立っていられなくなって、きっとそのうち自分の意思でKimに会いには来れなくなるのだろう。
その頃には本物のKimに会えていそうなものだが。
缶チューハイの中身が変わっていくのは、今もWayだけだ。
長らくここに置いておけばそのうち量は減るだろうが、それはKimが飲んだからではない。蒸発したからだ。
あんな非現実的なことは、きっと二度と起こらない。
入れ替わったり、奇跡的に生還したりなんてことは、二度と。
それでも、それでも、少しは信じてしまうのだ。ちょっとした奇跡を。
例えば、ちょうどいいタイミングで風が吹いてKimの存在を感じたりとか。
例えば、第六感が働く瞬間があって、あ、Kimだって思ったりとか。
例えば、みんながKimの声も顔も思い出せなくなっても、自分だけ鮮明に覚えていたりとか。
例えば、そうだな、猫になって現れてみたり。
例えば、例えば。そんな、後輩が書く小説のようなちょっとした奇跡を、どうしても信じたくなってしまう。
スピリチュアルなことなんて、馬鹿げていると思っていたのに。
どうしても、最後のコイントスの奇跡が忘れられない。
どうしても、忘れられない。
どうしても、会いたい。
Kimと別れてからもう二年近く経つのに、Kimのことは何も忘れられない。
忘れられないどころか、会いたいという想いは日に日に増していって、Wayの胸をいつだって締め付ける。
ロスに留学してから、家に帰るのが嫌になった。
友達ができても、なんだか違うと思ってしまって、Kimほど心を開くことができない。
歩くスピードが遅いと指摘されて、そういえばKimと歩くときはもっと話していたくてわざと遅めに歩いていたななんて思い出して。
歩くスピードが、その当時のままだってことを、今更気づいてしまって。
異国の地にいるのに、心だけはずっとバンコクにいる時のままで、何一つ前に進んでいない。
何一つ進んでいないのに、時間だけはずっと経っている。
こんな自分を見たら、Kimは自分を馬鹿にして笑うだろうか。
いっそ笑ってほしい。あんなに涙ながらのお別れをしたのに、あんなに自由な人生を歩めと言ってくれたのに、今度は父親じゃなくて、自分が自分の人生の自由を縛っているだなんて、馬鹿すぎて、笑ってしまう。
「なあ。そっちはどうだKim。天国ってのは楽しいのかよ」
せっかく自由の国に行ったのに、Kimがいないというだけで、大学生活は面白いくらいにつまらない。
一回はKimのことを忘れようとしたこともあった。友達の真似をして、もっと愛する人を見つけるべく女の子をナンパしようとしたこともあった。
だけど、どの子もときめかなかった。どれほど声をかけようと思っても、声をかけたくなるような子はどこにもいなかった。
全力で忘れようとしたって、全身でKimのことを求めている。
「相変わらず無口だな、お前は」
何本か買った缶チューハイの2杯目を開ける。こんなにたくさん買わなければよかった。全然美味しくないんだ。こんな、甘ったるいだけの飲み物──
「……なあKim、これ不良品なのかな」
2杯目の缶チューハイは、同じ味のはずなのに、なんだかやけにしょっぱい。
「会いたいよ、お前に会いたいんだ、Kim」
ずっとお前の誕生日を祝いたかった。これからもずっと。
同じ酒を飲んで、酔っ払ったお前をおぶって帰るのも悪くないかもしれない。
案外悪酔いをするのかもしれない。
だけど、どれもこれも叶わない夢。
ただの夢だ。
肩を震わせてただひたすら酒を煽る姿を、野良猫だけが見ていた。
[newpage]
「Khet、成人おめでとう」
Khetの20回目の誕生日に、家族は海外から帰って来て盛大な誕生日パーティを開いてくれた。
「ありがとう、母さん、父さん」
「もう立派な大人の仲間入りね」
「ああ。本当に」
テーブルの上にはチキンや、Khetの好物、それから事前に送ってこられたPanからの誕生日プレゼントに、親が気を利かせてKhetの生まれ年のワインを用意してくれていた。
「初めての酒にワインって……」
「一応飲みやすいものも用意してるけど、こういうのはお祝いだから」
「お前が飲めなかったら父さんたちが飲むし、それにKimにも分けるよ」
テーブルの一席には、18歳のKimの写真が置かれている。なぜ18なのか、答えは簡単だ。
Kimはそれ以上年を重ねることが出来なかったからだ。
「もう22だし、きっとワインも飲めるだろう」
「……そうね。もう2年も飲んでるはずだしね」
「どうかな。P'Kimってあんまりお酒飲まなさそう」
言ったところで詮無いたられば話だ。生前のKimもこういう話は嫌っていた。
考えても仕方のないことに時間を割くのは、人生の無駄だと冷たい目で言われたことが昔あった。
「乾杯」
「……乾杯」
初めて飲むワインは、やっぱり渋くて美味しくない。
チーズと一緒になんとか少しずつ少しずつ飲んで、グラスが空になる頃には両親はもう慌ただしく空港へ向かった後だった。
「本当はもう少しいたかったけど」
「いいよ。店があるでしょ。今日はありがと」
なんて言って見送って、渋いワインと格闘して。ああそうだ、Kimの前のワインも飲むのかとKhetは少し嫌になって……誰かに付き合って欲しくて、彼女に電話をかけた。
「もしもし」
『あれ?Khet!もしもし〜?お母さんとお父さんは?』
「さっき向こうに戻ったよ。暇になっちゃったんだ。今から来れる?」
『今から?ん〜明日は大学昼からだからいいよ。寂しがり屋な美容師さんのところに行ってあげる』
「それはよかった」
『誕生日だしね、特別だよ』
じゃあ待ってる、と告げて電話を切る。Panの誕生日は少し先だから、彼女が飲めるものは今は切れてるかもしれない。
近くのコンビニに行って彼女の好物のバナナミルクを買って戻ってくる頃に、PanもKhetの家に到着した。
「誕生日おめでとうKhet。プレゼントはもう開けた?」
「まだだよ。両親の前だとちょっと恥ずかしくて」
「まあね〜」
当時は長い髪を結んでいたが、大学に入ってからその髪を少し切り、Panは多彩なヘアアレンジをするようになった。無論、髪を切ったのも、ヘアアレンジを教えたのもKhetである。
家に上がり、食卓を見たPanは少し寂しげな笑みをして「P'Kimもいたんですね。お久しぶりです」と遺影に向かってワイをした。
「P'Kimとお酒飲んでたの?」
「そ。Kimが残した分を俺が飲んでたんだけど、全然進まないんだよ」
バナナミルクと一緒に買い足したチーズやスナック菓子を見てPanが「うわ、罪深いラインナップ」と少し眉をひそめる。
談笑しながらKhetはワインを、PanはKhetが用意したバナナミルクを飲み、しばらくしてPanが「ねえ、私のプレゼント、よかったら今開けてほしいんだけど」と言ってきた。
「今?……いいけど」
「うん。大事なこと、やっぱP'Kimの前だからちゃんと伝えたいと思ったの」
Khetは部屋からプレゼントを持ってきて、Panの前で包装紙を取る。そこに入っていたのはシンプルな日記帳だった。
「日記帳?」
「うん。……手書きで残してほしいなって思って」
「手書きで?」
今日日日記ならスマホでもつけられる。わざわざ手書きにしなくても、とKhetは首をかしげる。
それにお互いに日記をつける習慣はなかったはずだ。
「19になったくらいから、ちょっと思ってたの。うちらだって、いつ何があるか分からないなって」
「……うん」
Khetは日記帳の表紙を撫でながら俯く。
「結局、P'Wayにあの日飛行機のチケット渡してさ、これがP'Kimの望みですなんて言ったけど……本当のところはどうか分かんない。P'Kimが何を思って、どう過ごしていたのか、結局憶測でしか、私たちは知らなかったんだよ」
「……そうだね」
自分の目から見たKimしか、もう世界には残っていない。
Kimの目から見たKimの気持ちは、もう誰も確認出来ないのだ。
Kimは日記をつけていなかったし、自分の感情を人に見せることは少なかったから。
「だからね、もしあんたが先に……お別れすることになっても、あんたのこと何も知らなかったって、お別れしてから思いたくない。後から見て、ああ、あの時はこうだったんだって、新しい思い出を、あんたがいなくなった後に1日ずつ思い出して、新しく刻みたいの」
「ちょっと待って、俺が先に死ぬ前提なの」
「平均寿命の話よ。もちろん、私が先にいなくなることもあるかもしれないし……そん時は、私の日記帳をあんたにあげる。そしたらお互い、寂しくないでしょ?」
ね、と微笑むPanを見て、Khetの胸に、その言葉がストンと落ちてきた。
19になったあたりから感じていた空虚感。
いや、その前から感じていた空虚感。
それはきっと、弟なのに、兄のことを何も知らなかった寂しさ。
もうどうやっても兄の気持ちが分からない寂しさだった。
何も兄のことを知らないのに、追い越してしまった。
超えられないはずだった兄の年齢を、追い越してしまった。
悔しくて、寂しくて仕方なかったのに、胸に空いた穴のせいで、その気持ちに気づかなかったのだ。
「なあ、Pan」
「ん?」
「……俺、慣れないワイン2杯も飲んで、相当酔っ払ってるみたい」
「……うん」
「だからさ、これは酔ってるせいなんだけど」
「うん」
「……ちょっと、ハグしてもらってもいい?」
「……仕方ないね。酔っ払いさん」
おいで、とPanが立ち上がり、Khetも席を立って、Panに抱きつく。
「あんたさ、昔っから、自分の感情全然表に出さないよね」
「……っ」
抱きついたKhetの頭を撫でながら、Panは優しい声を出す。
「私と初めてキスした時だってそう。P'Kimの葬式の時だってそう。あんたはいっつも他人の感情を優先して、自分の感情全然表に出してくれないよね」
「……そうかな……」
「そうだよ。あんたは私に他人のことばっかじゃなくて自分のことも大事にしてって言ったけど、あんたと私はどっか似てんのよ、多分」
「……俺は腐男子じゃないけど」
「もう、すぐそうやって冗談言うんだから」
どう、元気出た?とPanは少し離れて肩を叩く。
その元気でまっすぐなところは、高校生の時と何も変わらない。
Khetを自分のグループに入れてくれた、優しいPanのまま。
Khetが好きになったPanのまま、変わっていない。
「ありがと、ちょっと元気出た」
「それはよかった。彼女家に呼んで、ハグまで求めておいて効果なしなんて最悪だもん」
「お前はいつだって俺に元気をくれるよ」
ありがと、とKhetが頭を撫でると「本当に酔ってんの?」と少し顔を赤くしたPanが慌てる。
「ねえ。両親からなんかもらったの?」
「欲しかったゲームソフトもらった。……ご一緒にどうですか?」
「いいじゃん。やろやろ!」
テーブルの上を片付けて、Kimの写真を元の位置に戻して2人はいつぞやと同じようにKhetの部屋に向かう。
きっと今度は、わざわざ別々に寝ることはせず、同じベッドで眠るのだろう。
この日記帳が全部埋まる頃には、また2人を取り巻く環境が変わっていることだろう。
そしていつかワインが平気で飲めるようになる頃に、その関係性は別の名前になっていることだろう。
精一杯生きる今日を重ねていけば、それはきっと、輝かしい未来になるのだから。
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向き
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ワンライ201003
初公開日: 2020年10月03日
最終更新日: 2020年10月03日
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酒を飲むざしぱめん