恋に落ちる音@へしあた@恋仲未満
すとん、と落ちる。
本が落ちた。ああ、しまった。安宅切は、ぼうやりと思う。本を落としたら、傷んでしまう。それは本意ではない。図書館の本というのは、共用の物でもある。
手を伸ばす。ぴり、痛み。指先に感じた其れに、眉を寄せた。手に違和感があるようだ。どことなく他人事に感じながら、安宅切は本を手に取った。
葡萄(えび)色の本。重厚な装丁に、大事にされた本なのだなと思う。
本が大事なのか、それとも。
「安宅切、何かあったか」
ひょいと、隣の棚で調べ事をしていた長谷部が顔を覗かせる。そして、きゅ、と眉を寄せると、ばたばたと駆け寄ってきた。ほんの数歩だが、彼は慌てているようだった。
「冷えたか」
そうだ、この図書館はやけに冷えている。本丸屋敷とは別棟のここは、どうやら空調の具合が悪いらしい。
「一旦帰るぞ」
「いえ、まだ調べ事があるので」
「体調を崩してまでのことか」
徹夜常連の貴方に言われたくはない。
そう思いつつも、安宅切は本を棚に戻してから、差し出された手を取った。
ふと、思い出す。すとん、と本が落ちた音。
「恋に落ちる音は、あのような音なのでしょうね」
ぽつぽつと口から溢れた発言に、長谷部がぎょっと目を見開いた。
「何の話だ?」
「いいえ、何も」
「本当か、何か考え事だろう?」
「そんなに気になさる事ではありませんよ」
不安そうな彼の手を、ゆっくりと握り返した。
だって、安宅切はもう、恋の音を聞くことはないのだ。
「偏愛とは厄介ですね」
恋は愛になる。クスクスと笑うと、長谷部は不可解そうに、そして、どこか迷うように図書館の外へと向かったのだった。