神を信じるものは読むんじゃあない。
「神様?もちろんいるよ」
至極当然のように発せられた予期せぬ答えに反射的に顔を上げてベッドの上に居座る友人を見る。こちらを見向きもせず我が物顔で寝転がり漫画をめくる友人は何も言わなくなった質問者を訝しんだのか顔を上げた。
「なに、突然」
「いや…お前ってキリスト教だっけ」
「いや?全くの無宗教だけど?まあでも死んだらお寺だから仏教かな?」
これまた事もなげに言われて眉根を寄せてしまう。あんなに即答するならもちろんそう言った宗教に属しているものかと思ったが。
「てかね、神を信じるってのはキリスト教だけじゃないからね?神がイエスを指すって思う君こそキリスト教信者じゃない?」
びし、と指でさされ居心地の悪さを感じる。でも世界人口的に数が多いのは事実なのだからそう思っても仕方ないだろう。
「結構大事なことだから覚えといたほうがいいと思うけどね。宗教ってさ、その人の考え方の根幹みたいなものじゃん、善悪の判断みたいなところ。まあ日本みたいに無宗教だと難しいよね」
僕もほんとのところはわかんないし。そう言って手の平を返す友人の話を聞いて、とある小説のワンシーンを思い出す。敬虔なる神父とそれを誑かそうとする悪魔の問答だ。悪魔はしわがれた声で言う。神がいると思うのか、神がお前を救ってくれると本当に信じているのか、お前が苦しんでいるとき忠実に教えをこなすお前を見捨てた神を、いたとしても使えない神を、どうして信じていられるのか。それよりも俺の方が、ずっとお前のことを思ってる、お前を助けてやれるのに、と。さあこの手を取れ、と悪魔は手を差し伸べるが神父の答えは一貫してノーだった。
神はおられます。神は私を見ておられる。
変わらない押し問答に根をあげたのは悪魔の方でああそうかい後悔するなよと捨て台詞を残して去っていく。ただ一人残された神父は、また神へ祈りを捧げ始めるのだ。
信仰というのは不思議なものだなと思う。見えないものを信じる、そこにあると思う。目の前にいる悪魔を信じずに、いるかいないかわからない神を信じる。それをなぜ、と聞くのは無粋なんだろう、そのぐらいはわかる。
「お前の信じる神はイエス・キリストじゃないって?」
「そうだねえ、別に誰でもいいんだけど、まあ、キリスト教信者に悪いから違うって言っておこうかな」
「ふうん」
話を振ったはいいが特別知識が深いわけでも何かを得たかったわけでもないので尻すぼみに会話が終わる。彼曰く個人の信条というものに口を出すのも失礼だろうとくるりと椅子を回転させ、液晶に向き直る。読んでいた小説に視線を戻せば主人公が長い人生のクライマックスを迎えていた。神様、と息も絶え絶えに追いすがる主人公。神も悪魔もいないと豪語して神にも悪魔にも逆らって生きてきたのに、愛する人ができたが故に弱く小さな生き物になってしまった男の末路。縋るもののなくなったものへの最後の救済。それが与えられることはなく、男は力尽きる。その後男の腕に抱えられた愛しき人とやらは駆けつけた仲間に助けられて九死に一生を得ることになった。奇しくも男の祈りの通りになったわけだが男は最後まで守りきった愛しき人の無事を知ることなく生き絶えた。これは神の報復だろうか。
「君は神様を信じてる?」
会話は終えたつもりだったが、唐突に戻された質問に後ろを振り返る。漫画は広げたまま、友人がこちらを向いて笑っている。悪戯っぽい笑みだ。
「いや、考えた事もなかった」
「へえ」
「…お前はさ、神に祈ったりするわけ」
問われた質問に対して友人は姿勢を正してベッドに腰掛ける。少し考えるそぶりをして首を振った。
「僕にとって神様ってそういう存在じゃないから」
「へえ?」
「神様は何にもしてくれないよ」
その一言にぎょっとした。てかさ、と彼は少しせせら笑うかのような視線をこちらに向ける。
「地球上に何十億人といる中の声なんて聞こえるわけなくない?」
神を信じているとは思えない発言に目を瞬かせる。
「お前、神様信じてんじゃないの」
「信じてるよ?いたら都合がいいなって思うから。あれもこれもみんな神様のせいにできるしね」
「そういう?」
「そうだよ信じるってそういうことでしょう?その存在を信じるっていうのは」
神父とは全く異なる言葉を放つこの信者は当然を言外に含んで語る。これが教えです、と分厚い経典を片手に集まった人々に説く導師のように。
「神様はいる、けど助けてくれない。起こることは神様のせい、だけど忘れちゃいけないのがそれを変えるのは自分だってこと。そんな感じ、僕の中の神様は」
興味本位でそれを聞いてみるとあまりにも中身のない話で首を傾げてしまう。その神様とやらには一体なんの価値がある?
「……それ意味ある?」
「意味?」
「なんか宗教にはあるじゃん、こうすればいいですよ、こうするのが正しいですよ、みたいなの。神はこの世界を作り、人間は原罪を抱え、信仰すれば救われる。教えってそんな感じでしょ、でもその、なんもしてくれないならなんで神様を信じるの?」
信じる意味を聞くことは、踏み入ってはいけない領域だと数分前に自制したはずなのにそれを口にしてしまった。言い訳をすると俺はその教えに興味がある新参者で、お優しい導師様に素朴な疑問を尋ねただけだ。だからこの場からつまみ出すなんて真似はしないでくれと導師様を見やればいつもと変わらぬ笑みを浮かべながら彼は答えた。
「都合がいいから、いいんだよ」
やはりよくわからない。自分の思考が低俗なのかその教えが高尚すぎるのか。
「都合の悪いことは神様のせいにするんだ。ああ、こんなことが起きるのは神のせいだってね。でも神様は救ってくれないから打開するには自分で頑張らないといけない。頑張って解決したことは自分のおかげ、悪いことは神のせい。どう?都合がいいでしょう」
「神様がいると思うのは僕にとって都合がいいから。神様の存在を信じる時、それは僕にとって都合が悪い時だ」
「例えばさ、君が人を殺したとしよう。ああ知ってるよ、君は人を殺すような人じゃないって。でも殺して、それを僕に打ち明けた」
「そしたら僕はさ、まあ自首をすすめるわけ。それが正しいことだからね。でも君が、それなりの理由とそれなりの経過を経て犯行を実行したとしよう。…うん、それでもまあ僕はまず自首をすすめるかな、だってそれが君にとって一番いいことだからね。君で例えるのやめようか、例えば誰かが人を殺して僕にだけそれを打ち明けて証拠隠滅に協力してくれと言われたら…あー、多分協力するふりをして警察に連絡…をするけれども!僕はするけれども!もう全部仮定の話だ、いいね?君が人を殺して僕に証拠隠滅の協力を頼む、そしてそれを僕は了承して一緒に死体を埋める。晴れて共犯関係、神に背いたも同然。だけどそのとき、君の頼みを了承するそのとき、僕が神の目を気にするかというとそんなことはないんだ。犯罪を犯すとき、神の目がない方が都合がいいから。で、晴れて罪を抱えることになったら、そのとき僕は神の声に耳を澄ませるわけだ。もしもこの罪がバレなければ…神がお許しになった、そういうことだって。都合がいいでしょう?物事の善悪を神に任せるなんて!なんて怠惰な。行ったことが悪いことであるならば、神を信じる僕はいつか天罰が下るはずだと考えるわけ、それで下されなければ許されたのだと、神がお許しになったのだと、そう思うわけ。下されたなら、その時が来たのだと目を瞑るわけだ。裁きに怯えるのは、来る日のその瞬間だけ、それまでは神がお許しになったのだと心穏やかに暮らす。我ながら、都合がいい」
「でもね、宗教というのはそういうものだと思ってる。これは僕の宗教、これは僕の教え、これは僕の正しさ。人生を楽に生きれるならば、神だって信仰だって都合よく考えていいんだよ。昔の人が南無阿弥陀仏と唱えるだけで極楽に行けると考えたように、踊りながら念仏を唱えることがよいと考えたように、自分で納得できて他に迷惑をかけないのであれば、それはそれでいいんだよ。だってそこに1+1で導き出されるような答えはないから、いつだってそこには誰かの幸せが、誰かの救いがあるだけなんだから」
これが僕の信じる神様。そういって教祖は手に持つ書物をぱたんと閉じた。読み途中だと思ったがもういいのだろうか。長い長い説法の後に、凝り固まった身体をほぐそうと立ち上がり伸びをする。手に持った書物を本棚に戻し、そのまま隣の巻を取るのかと思ったがそうはせずに元の位置に戻った。ぼんやりと読んでいた小説を思い出す。
「お前はさ」
そのままベッドにくるまろうとする友人に牽制の意味も含めて声をかける。牽制むなしくくるまってしまった友人は顔だけこちらに向けた。
「お前は、後悔する?例えば大切な人が死にそうで、それが自分の行いのせいだったら、神のせいにする?それで納得する?最後の死にそうな瞬間、神に縋る?」
ベッドに転がるみのむしはその様相に似合わず考え込むような素振りをした。
「僕は」
みのむしは語る。
「僕はそんなことしない…予定」
威勢のいい台詞につけられたなんとも間抜けな語尾に噴き出す。
「だって起こってみないとわからないからさ…情けないけど保険だよ。例えば僕の行いで誰かが死ぬなら僕は後悔するだろうね。でもそれは神のせいじゃない、僕のせいだ、罰は自分で下す」
「そこは厳しいんだな」
「厳しいんじゃないよ、そっちの方が容易いだけ、もしも僕が大切な人が被害に遭うってわかっててそれでもその決断をしたならこれも運命と思って泣きながら手を握って別れを告げるだろうさ。でもそうじゃないなら、ただの過ちであるなら、僕が許せないから僕が僕を裁くんだよ」
真剣な眼差しで布団にくるまりこちらを見つめる彼は、厨二的な言葉も相まって滑稽だった。決断して飲み込んだ結果ならどんなものであれ受け入れて、そうでない自分の取りこぼした可能性の末路ならば処刑台に自分から赴くと。それをそんな格好でいうのだ、ちぐはぐすぎて脳が誤作動を起こしかける。それでもまあ、自分が読んでいた小説の主人公のような末路を彼は辿らないのであろうなと、ほっとしたような呆れるようなよくわからない感情に包まれる。はて、自分は彼に何の期待をしていたのだろうか。ただ気になった、彼がどうするのか、神を信じる彼は最期にどうするのか。それでも最期に神になんざ縋らないさと言ってのけた彼に少しの安堵を感じたのだ。自分は神のことが嫌いなのかもしれない。神に縋る誰かに侮蔑を感じていたのかもしれない。だって神は
「助けてなんてくれないよな」
「…なんて?」
「いや、お前の教えに賛成だよ」
「へえ」
物珍しそうに眉をあげる彼から目を逸らす。助けてなんてくれない、その一点に関しては賛同しよう。だがやっぱり神の存在を信じつつなんて器用には生きていけないから入信はなしだ。神はいないから助けてくれない、目の前にないものは信じられない、それが自分の宗教かと彼の話の中ですとんと府に落ちた。別に迷っていたわけではないが、自分が感じた違和感の答えへと導いてくれたのだから彼は立派な導師だろう。布団にくるまりどこかの主人公のような台詞を吐き、矛盾の中でけろりと生きる彼を見て救いを求める人は案外少なくないんじゃないかと思う。だって普通は、矛盾の中で生きるのは悪いことだし正すべきことだ。蝙蝠は悪者で最後には一人ぼっちになるし論理の中では起きてはいけないもので、だからそれを抱えて生きることをそれはそういうものだよと笑う彼に、救いを感じる人はいるんじゃないか。まあきっと、彼にそんなつもりはないのだろうが。
矛盾の中で筋を通す彼の都合のいい宗教が人々から求められる話でも書こうか、なんてまっさらなテキストを表示しキーボードを叩いた。
さて、彼はどんな最後を迎えるのか。
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俺と僕4(終)
創作
俺僕シリーズ
初公開日: 2020年05月16日
最終更新日: 2020年06月20日
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