金曜の夜に待ち合わせをするのは、かなり久しぶりの事だった。
かたや売れっ子芸人でシフトなんてものはなく、休みはかなり不定期で
かたや教師で一応カレンダー通りという事になってはいるが、繁忙期ともなれば
帰る時間はかなり遅く、部活動の顧問を受け持っていれば土日出勤だってある。
二人とも翌日が休み、という状態で会えるのは一月ぶりの事だった。
盧笙が店の前に着くと同時に、簓が合流し、二人で店内へと入った。
大通りから少し離れたところにある、個室居酒屋。
単価が高めなせいか、騒ぐ客はあまりおらず、皆品よく飲んでいるようだった。
もっとも、完全個室なので中の様子は窺えない。
・・・片方が芸能人ということもあり、こういう店は都合が良かった。
席に通されてすぐ、簓が盧笙の持っている紙袋を指さした。
「それ、何持ってんの」
「ああ、これや」
盧笙は袋の口を開け、中身を取り出した。
今日発売されたばかりの、男性アイドルが表紙の女性誌。
表紙にでかでかと白膠木簓ロングインタビューと軽やかなフォントが踊っていた。
「え、それ買うてくれたん?言うてくれたらもろてきたるんに」
「・・・そういうのは、ズルやろ」
簓にとってはズルとは思えないけれど、盧笙がそういう風に思うのならそうなのだろう。
それ以上は何も言わず、代わりにありがとうなと言うと、盧笙は小さく頷いた。
タッチパネルでまずはドリンクの注文を済ませ、お通しと一緒に届けられた時点で
お疲れさんと互いを労う言葉と共に軽く乾杯をし、今度は食べるものをいくつか適当に見繕う。
注文を済ませてすぐ、盧笙が雑誌を膝の上に置いて捲り始めた。
目当てのページを開いて、黙って目を動かす。
見開きに大きく自分の写真が載っている頁だ。
「本人目の前で読むんかいな」
「・・・せやかて、この後読む暇なくなるやろ、どうせ」
「え」
盧笙の言葉に簓は目を瞬き、それからにんまりと口元を緩ませた。
「なんや、その顔」
「…や、それってつまり、この後いいって事やんな?」
「え、あ…!」
盧笙の綺麗な顔が居酒屋の薄暗い照明の下でも分かるほど赤く染まった。
このあと読む暇がない、という言葉はつまり、この後行為に及ぶから。
一ヶ月ぶりに休みが合うのだから、そう考えるのは盧笙にとっては自然だったのだろう。
「…ッ、ち、ちゃう、つい、」
「センセったら、スケベやなぁ」
「ふ、ふざけんな…!」
余程恥ずかしかったのか、声が震えている。
これ以上揶揄うのはやめたほうがいいだろう。
度を越えて揶揄えば臍を曲げられてこのまま解散、それで済めばまだマシで、しばらくは
連絡すらして貰えない可能性すらあるのだ。・・・悲しい事に経験済みなのでこれは確かだ。
「すまん、嬉しゅうて調子乗ってもた。・・・この後、俺んちでええ?」
「……」
ひたと目を合わせ、意識して少し声のトーンを落として言うと、盧笙は目を伏せて、ええよ、と蚊の鳴くような声で答えた。そのタイミングを見計らったかのように、外から失礼しますと声がかかり、盧笙はぴっと上から釣られたように背筋を伸ばした。
まだ目元も頬も赤いままなのが、可愛いと思った。
ビールと、揚げ物に焼き物、少しの野菜。
空腹を満たしながら近況報告と雑談をしころで腕時計を確認した。
もうすぐ21時になろうかという頃合いだった。
会計を済ませて外に出ると、通りはまだ随分と賑わっていた。
二軒目どうですか、なんて近づいてくるキャッチをかわし、二人それとなく早足で歩きだした。
途中のコンビニで、飲み物や小腹が空いた時のために菓子類と、サンドイッチ類、それからこっそりコンドームも紛れこませて、盧笙がレジに並び、簓は先に外に出た。
キャップとマスクで隠してはいるが、今をときめく人気ピン芸人の白膠木簓が夜のコンビニで男と連れ立ってコンドームを買ったなんて知れたらスキャンダルになってしまう。
そんな事で揺らぐ程度の存在では最早ないし、それすら笑いに変える自信があるのだが、盧笙の気遣いを有り難く受ける事にしている。
簓が住んでいるのは、駅から少し離れたタワーマンションだ。
住み心地だとか使い勝手だとかそういうのはあまり気にせず、セキュリティーの面を重視してここにした。
間取りとしては1LDKだが、ファミリータイプのマンションくらいには広く、一人では持て余す程だ。
盧笙は何度来ても、広いなぁ、と少し物怖じしたように呟く。
「盧笙、毎回それやな。慣れる為にもっと来てもらわな。合い鍵渡そか?」
盧笙はゆるりと首を横に振った。
「…ええわ。お前がいる時にしかようきぃひん」
「えぇ~そうか?気が変わったらいつでも言うてな?」
「…いや、それよりお前は俺んちの合い鍵を返せや」
ずい、と差し出された手をそのまま握ってやると、盧笙がぴたりと黙る。
「先シャワー浴びる?」
「・・・おん」
お互いがシャワーを終えるのを待つ時間というのは、何度目であっても何だか居た堪れない気持ちにさせられる。
それならばいっそ一緒にと思うけれど、簓は一度それを言いかけてすぐに撤回した。
曰く、「風呂場でそのまま押し倒す自信しかない」そうだ。
だから先にシャワーを浴びた盧笙は、簓が戻って来るまで所在なくリビングに座り込んで待っていた。
出て来た簓はそんな盧笙に笑って、さり気なく手を差し伸べた。
「お待たせ」
「・・・おん」
寝室のベッドに二人して座ると、盧笙があ、と声を上げた。
「・・・マットレス変えた?」
「分かる?ちょっと奮発したったで」
「ええなぁこれ。めっちゃいいやつちゃう?」
手で押してその感触を楽しむ盧笙の肩をそっと押すと、その身体はあっさりと押し倒された。
菫色の柔らかい髪の毛が真っ白なシーツによく映える。
「ろしょ、それよりもな、簓さんの簓チャンが限界やねん」
「簓チャンなんて可愛いモンとちゃうやろ・・・」
すかさず開いた口を黙らせようと、ばくりと食らいついた。
言葉も呼吸も奪うような突然のキスを、盧笙は必死に受け止めた。
舌が入り込んできて、口の中を無遠慮に暴かれる。
上顎を舐め、歯列をなぞり、簓の唾液が流れ込んできた。
「・・・ッ、ん」
くぐもった声が漏れだした頃、ようやく唇が離れて行った。
互いの唇が唾液で濡れている。
「いきなり乱暴すぎや」
照れ隠しで思わず口をついて出た文句を、簓はにんまりと笑んでさらりと流した。
するりと骨ばった手がスウェットの中に入り込んで素肌をなぞる。
久し振りの感触に、自分でも驚くほど身体が跳ねた。
「ッ」
「感度抜群やね、嬉しいわぁ」
「うるっさい、やるならさっさとやらんかい!」
これから先、どんな風になるのか分かっていて、そして段々とそういう雰囲気になっていくのに耐えられず吐き捨てた台詞は、この場の空気をぶち壊すのにはまだ足りない。普段、口を開いていないと死んでしまうのかと思う程よく喋る目の前の男は、こういう時の雰囲気を作る事は抜群に上手かった。
現に盧笙の言葉を聞いても、簓はそれに乗っては来なかった。
ただまるで子供の癇癪のようになった盧笙を、あやすように笑みを深めたのだった。
くたりと沈み込んだ身体が、心地よいマットレスに包まれる感覚に盧笙は幸せそうに眼を閉じた。
「・・・気持ちええ」
散々に喘いだあとの声は、掠れ切っていて、それすら色気を感じる。
「せやろせやろ、盧笙喜ぶかな思てこれ選んでん」
寝具にはこだわるねん、と盧笙は昔から言っていた。
寝る時間が一番長いから、そこには一番お金を掛けるのだという事らしい。
出せる範囲内の価格で、出来る限り良いものを選んでいた。
現に今でも盧笙の部屋の家具の中で一番高いのは寝室まわりのものだった。
机なんかは、それこそ一人用の大きさのものを適当に置いていたりするのにだ。
やれウレタンだのポケットコイルだの、ラテックスだのとマットレスの種類を出されたって
当時の簓にはよく分からなかったけれど、そういう盧笙のこだわりだけはよく覚えている。
簓本人にはやっぱりよく分からないままだけれど、コンビを再結成して、恋人という間柄にもなり
こうして盧笙が泊まっていく時に、適当な寝具だと申し訳が無いなというのは思う。
一緒に眠る時のマットレスがやたら固かったりとか、シーツの肌触りがあまり良くないとか、そういうのは、嫌だなと。
それをわざわざ全部言葉にするつもりはないけれど、盧笙の事だ、それくらいは分かってくれているだろうと思う。
いつもより力の抜けた表情で、盧笙が笑った。
「盧笙、風呂どうする?」
「ん・・・明日借りるわ」
目蓋が重たげに閉じかけては、なんとか開こうとしているのが分かって、簓はシーツを引き寄せて盧笙に掛けてやり、その隣に潜り込んだ。
「俺も明日にするわ。寝よか」
そう言うと、盧笙はすっと目蓋を閉ざした。
穏やかな寝息を傍で聞く事の、何と幸せな事か。
美しい菫色の髪の毛をそっと梳いて整えてやり、おやすみ、と囁いて簓も目を閉じた。
肌触りを重視して選んだシーツの感触と、間近に感じる体温に心地の良い眠りが訪れた。
リビングのテーブルの上には、件の雑誌が開かれた状態で置かれている。
Q13:家具へのこだわりはありますか?
A:何や、変な事聞くなぁ。せやね、ぶっちゃけ特にこだわりはないんですけど、
ある人の影響で、ベッド周りには金掛けてるんですよ。マットレスとか、シーツとか。
あ、これ家具とちゃうか。