ぴろん、とどこか間の抜けた着信音とともにメッセージ画面が表示される。
ここ最近一番やりとりをしている相手…というか、業者。
その文面を一通り目で追っていると、おそ松が後ろから覗き込んで来た。
「なんて?」
「・・・ああ、今日書類が向こうに届いたらしい。これで正式に退職だな。有休も全部消化できるらしいぞ」
「ほーん、良かったじゃん。何日残ってんの」
「ええと・・・一回も使ってなかったから、22日だな」
カラ松の返答に、おそ松は盛大に顔を顰めた。
「働き始めて、一回も有休取れないとかあんの・・・」
「あるんだぜ、それがな」
少なくともカラ松の入社した会社はそうだった。
残業しすぎてそもそも定時が何時だったか覚えていないし、丸一日休めた日が一体どれだけあったかも定かではない。
そういう状況だったのに、辞めようという考えに至らなかったのだから、まったく恐ろしい話である。
「…それにしても会社って、こんな簡単に辞められるんだな」
思わず口をついて出た言葉に、おそ松が乱暴に頭を撫でた。
犬にするように髪をぐちゃぐちゃにされていくのを、首を振って逃れる。
「よく頑張ったよ、お前は。おつかれさん」
決して自分のおかげで、とは言わないのだおそ松は、こんな時は。
「ありがとう、おそ松」
初めて退職代行に連絡を取ったのは、一週間前の事だ。
疲弊していくカラ松を見かねて、おそ松がほとんど強引にカラ松のスマホを奪い、メッセージアプリを通して連絡をした。
時間を置かずに返信が来て、あれよあれよと振込をネット上で済ませて契約を結んだ。
そうして、あれだけ辛い思いを強いて来た場所を辞める事は実は酷く簡単で、カラ松の目が曇っていてそれに気付かなかっただけだと言う事を知ったのだ。
後は全て代行を通せという言葉を無視して、しつこい電話、自宅訪問までしてきた会社を相手にしてくれていたのもおそ松だった。
怒鳴り散らす元上司の汚い声がスピーカーにもしていないのに聞こえる中、おそ松は平然と「いいの?この会話録音してるよ?」と言って黙らせていた。
自宅訪問の際にはおそ松が笑いかけたらすぐに退散していったというのだから、社の連中にとっての「松野おそ松」は最早トラウマなのだろう。
ハラハラしながら見守っていたが、全て終わってみれば素直にざまをみろ、という気持ちしかない。
「お前が何度も言ってくれていたのに、辞める事は簡単なのだと気付けなかった自分が情けないな」
「あんなになってたら普通はそうなるもんでしょ。お前は悪くないよ」
見かねて勝手に手を出しただけ。
そう言って笑うおそ松が、どれだけ自分を想ってくれていたかをやっと正しく知った気がする。
「お前のお陰だ、本当に」
「いやぁ。その言葉は嬉しいけど、まだちょっと早いよ」
心からの礼の言葉におそ松は小さく笑って指を伸ばし、目の下にそっと触れた。
「隈、全然消えてないだろ。それにまだガリガリじゃん?これじゃ終わりとは言わないよォ」
「・・・そうだな、これも、早く指に嵌めたいしな」
首元から垂れる銀色の鎖を引くと、その先にシルバーのリングがぶら下がっている。
表面はシンプルで、代わりに裏側に赤い石をはめ込み、メッセージを彫ってある。
今年の誕生日に、おそ松がくれたものだ。
あの日、そっとカラ松の手を取り、恭しく指に嵌めてくれたそれは、痩せすぎていて
指から滑り落ちてしまったため、今はネックレスとして身に着けている。
「それ、入るようになったらまた俺に嵌めさせて」
「・・・ああ。そしたらお前のそれも、俺が」
「うん。そうして欲しくて、俺もこうしてんだ」
おそ松がそう言って自身のTシャツから銀の鎖を引き出した。
カラ松がしているのと同じように、指輪がそこに下げられている。
デザインはまったく同じで、ただ裏側に嵌まっている石の色がこちらは青だった。
「これがさ、ちゃんと指に嵌まったその日を記念日って事にしねぇ?」
「記念日?」
「そう」
こっくりと頷いたおそ松が、ポケットから鍵を取り出した。
「これは?」
「俺んちの合鍵」
何度となく泊まった事はあるけれど、合鍵を渡されたのはそういえば初めてだ。
おそ松は晴れやかな笑顔でカラ松の手に鍵を握らせた。
「…これ指に嵌まる様になったら、俺んちに引っ越してきて。一緒に暮らそ」
「つまり同棲記念日、って事か」
「そうそれ!」
カラ松が断るなんて微塵も思っていないような笑顔に、思わず吹き出す。
カラ松からの愛を疑わないところが、この男の可愛い所のひとつだ。
「分かった」
「やった!」
「なぁ、でも一ついいか?」
なぁに、と柔い声が問うのに、にっと笑って一言。
「…指輪が嵌る様になってからじゃないと、一緒には暮らせないのか?」
カラ松の問いかけに、おそ松はぶるぶると首を横に振った。
今からだって良い!とどこか必死さを滲ませた声に、楽しくなって笑う。
こいつと居れば、未来は確実に明るい。