「盧笙、ろしょ」
肩を揺さぶられて意識が強引に覚醒させられる。
何とか目を開いた先に、焦った様子の簓の顔があった。
「なんじ、」
「4時。ごめんな、起こしてもうて」
4時なんて、いくら早起きの盧笙からしても起きる時間ではない。
簓は芸能人と言う仕事からとんでもない早朝から出掛ける事があるけれど、そういう時は盧笙を起こすことのないようかなり慎重に動いている事を知っている。
それが今日に限って何故。
「なん…え」
何かあったのかと問いかけようとして、盧笙は自身の身体の異変を知った。
やけに身体が熱い。
気温などによる熱さではなく、身体の内側から熱を発している。
顔から何から熱くて、そして身体を起こしても居ない内からひどく怠かった。
心配そうな顔の簓が熱い頬にそっと触れた。
「仕事行こうと思ったらやけにしんどそうやって、触ってみたらむっちゃ熱くてびっくりしたわ」
なるほどだから起こしたのか、と合点が行く。
「盧笙、熱はかろか。起きれる?」
「…簓、仕事は?」
「まだ平気やから」
手を貸そうとしてくるのを断って、何とか身体を起き上がらせる。
簓から手渡された体温計を脇に挟んで少しの間ぼんやりとして居たら、すぐに計測終了の電子音が鳴った。
体温計を取り出し、その数字を見て思わずおお、と声が出た。
子供のころ以来見た事のないような数字を叩き出していた。
じっと見つめて来る簓に素直に体温計を渡すと、簓は小さく息を呑んだ。
「こら、流石に仕事はアカンなぁ」
そう言う端からもうしんどくて、これはそもそもおいそれと動ける状況でもないなと自分で察する。
「当たり前や、絶対行ったらアカン。それより、朝イチで病院…ああでも近くにないな」
高熱を出している当の盧笙より、簓の方がずっと深刻な顔をしている。
「別に平気や、一日様子見するし」
「こない高熱放っといたらあかん!」
「…分かったから、簓は俺から離れた方がええぞ。うつるやつやったらアカンし」
しっし、とまるでいう事を聞かない犬でも追い払うような仕草に、けれど簓は離れもしなければ分かったとも言ってはくれなかった。
ひとしきり盧笙の様子を観察した後、簓ははっと気づいたようにキッチンに飛んで行き、氷枕を出してきて盧笙に渡した。
「ひとまずこれ使て」
「おおきに」
礼を言って、それを素直に頭の下に敷くと冷たさが心地よかった。
「何でこんな時に仕事やねん、クソ。せめて取材だけとかやったら良かったんに…」
「…俺は大丈夫やから、心配せんと仕事行ってき」
「でも盧笙がこんななっとんのに」
「ほんまに大丈夫や、俺かてええ歳の大人やで?自分の看病くらい自分で出来るわ」
未だ納得いかない顔の簓は、下手をすればどうにか予定を変更できないか画策でもしていそうだ。
そこに着信音が響き、簓はスマホを見て諦めたようにため息を吐いた。
「…時間や」
項垂れた簓が、のろのろと立ち上がった。
「…ほな、仕事行くけど…、ちゃんと病院行って、飯食うて、薬飲んで寝とらなアカンで」
「わかっとるて」
「約束やからな!?」
一瞬驚くほどの大声だった。
「ほんまに大丈夫や。心配せんでええ」
そう言うと、まだ何か言いたげだった簓は酷く名残惜しそうに背中を向けた。
玄関のドアが閉まる微かな音を横になったままで聞いた盧笙は、アラームがなるまでもう一度眠ろうと目を閉じる。
目を閉じて横になっているというだけでも身体は怠く、また熱の所為か頭も少し痛い。
それでも簓が居る内はまだ何となく平気な気がしていたのに、一人になるとそれが急激に辛く感じるのだから、不思議だった。
ずっと浅い所で揺蕩っていた意識が、アラームの音で強引に浮上させられる。
目を開けると、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。
当然ではあるけれど、身体は相変わらず熱いし、頭痛だって治まってはいない。
体調不良で迎える朝の、何と気の滅入る事か。
横になったまま部屋を見回すと、大柄な人間が座っているのが目に入ってヒッと声が出た。
「…よぉ盧笙、おはようさん」
「れ…っ」
驚いて身体を起こしかけるが、手で制された。
「いいから、横になってな」
「なんでおんねん、零」
いつか簓から無断で借りた合鍵は返したと言ってた筈で、今の零は簓と一緒か、盧笙が迎えなければこの部屋に入れない筈だった。
零は盧笙が言いたいことを察して、ポケットからキーホルダーのついた鍵を取り出した。
記憶が定かなら、それは簓がいくつも持っている合鍵の中でも特によく使っているものだ。
「簓が今日だけやぞ!って何回も言って預けてったんだよ」
「アイツ…」
しおらしく出て行ったと思ったらまさか零を寄越すとは思わなかった。
「しかし、盧笙が体調不良なんざ珍しいな」
「俺かて人間なんやから、こういう時もあるわ」
「ちげぇねぇ」
豪快に笑った零が、スポーツドリンクのペットボトルを手渡してきた。
「さて、盧笙。今から俺がお前の勤め先に連絡して、病院に連れて行って、飯を作る。いいな?」
「いやよくない」
即座に答えるも、零はまた豪快に笑い飛ばした。
簓と言い零と言い、たまに驚くほど話が通じないのはどうしてだろうか。
「ま、お前さんはそう言うだろうと思ったけどな、都度報告するって簓と約束しちまったから、残念ながら拒否権はないんだわ」
なるほど、簓に雇われたという事か。
ため息を吐く。
その行為すら身体に負担を掛けるようで、それならば任せてしまうのが得策かとも思えて来た。
「…ちゅうか簓、俺平気やって言うたんに」
信用されてなかったんかい、と小さく付け足すと、零は器用に肩眉を上げた。
「盧笙の言葉を信じない訳ちゃうけど、心配でどうにかなりそうやから…ってさ」
「零の関西弁にあわんなぁ」
「…なんだ、ご希望なら声真似も出来るのに」
「いらんっちゅうねん」
零が手を差し伸べて来るのを断って、ゆっくりと身体を起こす。
「ほんなら、今日は簓と零に甘えさせて貰うわ」
「…おう、まかしときな。おいちゃんはこう見えて面倒見が良いんだぜ。それに、こういう時に一人ってのは、なかなかしんどいぜ」
「せやな」
自分の世話は自分で出来るとは言え、病気の時にはやはり辛い。
「…治ったら、なんか奢るわ」
「お、いいねぇ」
そう言って笑う零は、それでもきっと奢られはしないだろうし、簓からも金は取らないだろう。
治った後で二人に振る舞う料理の献立を既に考えている自分が少しおかしかった。