二月二十二日。晴れのち曇り。最高気温十八.二度。
見頃を迎えた梅の花が芳しい香りを振りまいている。人通り賑やかな梅祭りの往来に、どこか目を引く父子連れがあった。黒ずくめのコート姿にまとわりつくように、幼い少女が跳ね回りながら歩き、歩いては止まり、屋台のリンゴ飴を冷やかしては、梅の花を嬉しげに見上げている。お仕着せのジャンパースカートに咲いた梅の花がくるくると、春の日差しを受けてまわる。
「あまりはしゃぐな。転ぶぞ」
黒衣の男が手を――それはおそろしく白い肌の――伸ばし、少女の手を取る。
「だって。たのしいんです。こんな風に出かけられるのが」
この年にしてはませた口調で少女が言う。幸せそうに笑う。
「また、いつでも来れば良い」
「冬の間は?」
「冬の間は」
不可思議な受け答えを交わし、手を繋いだアンバランスな影は人混みの向こうへ消えた。
三月十四日。雨のち雪。翌朝の最低気温、一.八度。
朝から降り続いた雨はいつの間にか雪へとかわっていたが、積もることはなさそうだ。
人通りもまばらな夜の通りを、老人と少女が並んで歩いていた。街灯が照らす少女のワンピースには鮮やかに木蓮の刺繍。ゆるやかな歩調にあわせてふわり、揺れる。
「寒くはないか」
黒ずくめの、コート姿の老人があまり感情の乗らぬ口調で問う。
「少し。でもこの衣装を見ていただきたかったんです」
言って少女はふうわり舞う。春の装いで、花の微笑みで。
「あなたと、こんなに長くご一緒できるなんて、滅多にないことですもの」
少女の屈託ない笑顔に、老人もようやく僅か笑む。
ひゅうと吹いた北風に少女がすくめた細い肩を、黒衣の腕が抱き寄せた。恐ろしく、透き通るほどに白い老人の手を、少女の桜色の指先が愛しげに撫でた。
三月二十九日。大雪。
満開の桜を覆い尽くすように、大粒のぼたん雪があとからあとから降りてくる。雪が音を奪う。雪が春を隠す。
「夢のようです」
凜として柔らかな女性の声が告げる。降り続く雪など知らぬげに、満開の桜枝垂れる振り袖姿が嬉しげに、くるりと舞う。
「衣が濡れるぞ」
凍てつく夜を思わせる若い男の声が、女の背後から届く。
女が振り返る。桜色の衣からはらはらと雪がこぼれ落ちる。こぼれ落ちた隙間を埋めるように、あとからあとから降り積もる。
綺麗に紅をひいた唇が吐き出した息吹が白くけぶる。不満を伝えるために、長く。
「せっかくの日よりに、二度は望めぬ好天に、あなた様は詮ないことをおっしゃる」
「すまない」
女はすぐに機嫌をなおし眉をひらく。唇が笑みにゆるむ。振り返る。頭上にひらく花々に劣らぬ衣装を見せつける。
「わたくしの一番を、あなた様に見ていただけること。ほんに嬉しく思います」
眩しげに、男が目を細める。白い――それは、降り続く大粒の雪にも劣らぬほどに――指先が、女の頬をそろり、撫でる。
「綺麗だ。とても」
指先が触れた頬が桜に染まる。嬉しげに細められた瞳が男を映す。近づいて、優しく口づけを。
花が舞う、雪が舞う。曇天の空に静かに白く――薄紅の――嵐が踊る。
全盛期の春を、全盛期の冬が愛撫する。あり得ぬ奇跡を謳歌する。
やがて日が差して、ぬるめく南風が雪雲を溶かして散らすまで。
おわり