ネクタイ
いつものドアを開けるといつもの匂いといつもの後ろ姿が見えた。やっぱり今日も窓の外を眺めて紫煙を吹かす。
「先生?」
『...ん?あぁ、来てたの』
煙草を吸っている途中で声をかけるといつも、んん、と咳払いをしてから話し始めるその癖が好きで、今日も同じように声をかけたら同じ癖が私の耳をくすぐる。好きだなぁ、と顔を緩ませたら怪訝そうに私を見てくるその目も好き。
「今日は暖かいですね」
『見てよ、桜がさ、散っちゃう』
「そこがいいんですよ」
『切なくて参っちゃうんだよ』
「今日はセンチメンタル?」
ふわっと春の風が窓の外から吹いてくる。春の匂い。土っぽさと太陽と微かな桜の葉の匂い。隣に立つ先生をみる。今日は、いつもみたいなだるだるの洋服じゃなくてフォーマルな服装みたいだ。ネクタイも付けている。
「せんせい、今日はちゃんとしてますねぇ」
『はぃ?』
「あ、服装が!なんか、フォーマルで」
『これ?さっきまでこわーい人とお話してたからね』
「私ネクタイ結べないんですよ」
『あっそう』
む、スルーされた。レクチャーしてください、と素直に言える性格ではないのでふてくされた顔をしてみる。また、私のことを怪訝そうに見た。先生がつける斜めのストライプのネクタイを外してみようと手を伸ばして思いっきり引っ張った。
『うぐ、っ...おま、なにしてんの!』
「え、あ、外してみようと思って」
『なに、付けたいの?』
「...うん」
だって、付き合ってる人のネクタイって、なんかいい。すごくいい。私が頷くといかにも「仕方ないなぁ」という顔をして(でも顔緩んでる、ばれてる)結び目の三角の上のとこに指を引っ掛けて器用に弛めてから首からしゅるっと抜いた。そのまま少し乱雑に私の首にかける。制服はブレザーだから変ではないけれど、いやだから、結べないんですってば。
「私結べないんですけど」
『...めんどくさ、』
「教えて欲しいんですってば」
『...前でばってんにして、違う、そうじゃなくて、いやそっちじゃない』
暫く私の前で腕を組みながら仁王立ちをしてああだこうだと教えてくれていたけど、思いのほか難航する。分かんないんだもん、先生教えてくれる気ないですよね。
「わ、わかんないもん、怒んないで」
『あーもう、めんどくせぇな、こっち来い』
がしがしと首の後ろをかいてから私の腕を掴んで引き寄せた。あっという間に先生の腕の中に収まった。先生の煙草の匂いがして、見上げるとすぐそこに首筋があるから香水みたいな匂いもする。先生がめんどくせぇとかあーもうとか小言を言う度に喉仏が少し動く。
『お前ちゃんと見ろよ』
「先生」
『んだよ』
「かっこいいです、すごくかっこいいです」
すごく近くにいるから分かる、先生の息が一瞬だけ止まって小さい動揺が見えた。少し窮屈さを感じて首元を見ると綺麗に結ばれたネクタイ。
「わぁ、ありがとう」
『おまえなぁ、いきなり変な事言うなよ、人のネクタイ結ぶのって難しいんだから。ていうか俺のネクタイを引っ張るな殺す気かほんとにもう』
先生の好きな癖、もう一個あるんですけど、緊張したり動揺したりしてる時、よく喋るんですよ。猫っ毛で少し隠れている耳が赤い。くすくすと笑っていたら、むっとした顔をして今度は私がネクタイをくんっと引っ張られる。一度離れた先生の匂いがまた強くなって、ぼやけるくらい近くに先生の目がある。そのまま煙草の味がした。