先輩は賑やかな人だった。
貴重な休日ともなれば外へ出て気分転換、時間ぎりぎりまで馴染みの店を渡り歩き機嫌良く自室へと帰る。今日は本を読もうと珈琲を入れた銃兎は何度カップいっぱいのそれを無駄にしたことか。困ったとは思えど嫌ではなかった。
彼がいなくなり、思えば久しぶりの休日だ。珈琲を入れようかと思い布団を畳んだ銃兎はその動きを止めた。
また先輩がくるかもしれない。思わず扉を見る。しかし、その一間で視界は涙で埋まった。
来るはずがない。来るわけもない。
静かな部屋で本を読み、珈琲を啜り、それは間違いなく馴染みある休日だった。
***
「もしかして、今日は家にいたい日ですか?」
何の因果か付き合い始めた若い男から出たこの言葉に銃兎は瞬きを繰り返した。
「一応、外に出る準備をしているつもりですが」
「あ、恰好の話じゃなくて気分の話っす」
「え?」
そんなことはない、と心のうちで思うがどうにも言葉が出てこない。外出に気分があるのは分かるが「デート」だと強く言われた日に気分なぞどうでもよいだろう。つまり銃兎はもう「外出する」という選択肢しか持ち得ていないと考えていたのだ。
気分と言われたら、そうだ、休日は部屋でゆるりと過ごしたい。本を読み、音楽を聴き、もし出かけるならばひとりで美術館に行き絵の前で立ち呆けて居たいのだ。
でも今日はそういう日ではない。そうだろう、と目の前の男を見る。犬のようにこれからの期待に顔を輝かせそれでもそんなことを言うのだ。
「オレ家でもいっすよ。電車で読んでた本もイイトコなんですよね」
「そう、なんですか」
「あと円盤もありますよ。アニメ興味あります?」
「円盤?あ、まあ、どうぞ」
リビングに繋がる扉を開くと銃兎は入るよう促した。
外に出る扉ではなく内側へと動く扉に、慣れない少しざらりとした何かが心に触れた。
部屋には音楽が流れていた。ゲームのBGMだというそれはカフェに流れる洋楽に似ている。人様に出せる飲み物としてあるのは珈琲だけでバラバラのカップに入れられたそれはこれまたバラバラの場所で湯気を立てていた。ソファーに背を預け可愛らしい表紙の小説を読む一郎。椅子に座って文庫本を読む銃兎。
小綺麗な恰好で、他人が近くにいるのに、これは何だろうか。珈琲に口をつけると馴染みのある休日が少しだけ顔をのぞかせた。頁を擦っていると時間は早いもの。気が付いたころには日は落ち、夕暮れも見ずに夜は訪れた。
「いや~めっちゃ満喫しましたね」
「私の家を?」
「それもあるけど。なんつーの、おうちデートってゆーか」
照れくさそうに頬を掻く一郎。その仕草に銃兎の口から滑らかに言葉がこぼれた。
「楽しかったですか?」
一郎は満面の笑みだ。
「勿論。またしましょうね」
外へ続く扉に一郎の姿が消えていく。
銃兎は閉じた扉を前にひとつ息をついた。
部屋には珈琲の香りがする。本は読みかけで、嗚呼、でもカップは空だ。
ぐるぐると何かが喉元に引っ掛かり、それを押し出すように一郎が出た扉を銃兎が開けた。
エレベーターホールの前で立っている姿が少しだけ見える。少し悩んで、結局その背を追いかけた。
ヨコハマ駅のそばに寄せた車の中、やっぱり犬のように笑う一郎に銃兎は少し眉を下げた。
「別に外出が嫌いなわけじゃないんですよ」
「ああ、だから気分の話っつか」
「そうですけど。でも、嫌いじゃないんじゃないんです。自分で勝手に外に出ますし、別に。」
「…じゃあ次は外にでよう。銃兎さんの好きなとこ、教えてください」
銃兎は喉がせりあがり痛みとかさつきを感じていた。鼻奥がぎゅっと詰まって思わず下を向く。有難いことに目尻が湿ることはなかった。
「ええ、一緒に、外に出ましょう」
絞りだした声に返ってきたのは大きな掌だった。
頭にのったそれは頬をなで離れていく。一言、二言の別れの言葉とドアの閉まる音。
車の扉からは一郎の背中がまだ見えていた。
終