暗く冷たい冬が過ぎ、冷たい四月の風に耐え、やってきました春本番。青葉茂れる五月の陽気に、似つかわしくない陰気が一人。
「はぁ……」
どんよりと低く淀むようなため息をついたのは、かれこれ十年以上の付き合いになる悪友だった。べったりと机上に伏している彼――高崎の背中は、窓から差し込む日光に燦々と照らされているというのに、どうしてかひどく冷たく見える。
「どうしたよ」
「……失敗した」
見かねて声をかけてみれば、小さくぼそりと返事をした。
「何を」
「……学校選び」
「なんだよ高崎、五月病か? 似合わねぇことするなぁ」
「だって……だってよぉ!」
がばりと音が聞こえてきそうな勢いで、伏せていた頭が持ち上がる。俺を見上げる不細工な顔には、今にも泣きだしそうな情けない表情が貼りついていた。
「男子校にこんなにも潤いが無いなんて知らなかったんだよぉ!」
泣き出しそうな顔が、泣き顔に変わった。
「うぐぐぐ……いやだ……こんな青春は嫌だ……薄汚く埃っぽい校舎に閉じ込められて三年間もの高校生活を汗臭さに塗れながら過ごすなんて俺には耐えられない!」
「やめろよ俺まで辛くなってくるだろ」
「なら転校しようぜ俺と一緒に! お前だって彼女欲しいだろ! なあ! なぁ!?」
「おいやめろ掴むな揺らすな」
ぼろぼろと涙を流しながら、高崎が俺にすがりついてくる。うざったいし号泣する同級生男子とか普通に気持ち悪い……こっちまで五月病になりそうだ。
「今からでも遅くはないはずだ……ロスしたのはたったひと月分じゃないか! 季節外れの謎の転校生として華々しく共学デビューを飾ろうじゃないか、親友!」
「ええいやめろ俺を巻き込むな!」
「待つんだ二人共!」
なんとかして高崎を引きはがそうと蹴りの使用も考慮したところで、ふと横合いから鋭い声が飛んできた。
「お前は……鴻巣!」
「まためんどくさいやつが来たな……つーかお前隣のクラスだろ何やってんだよ」
「十年来の付き合いになる親友の悲鳴が聞こえてくれば、駆け付けるのが男というものだろう」
「鴻巣……!」
「話聞けよもうホームルーム終わんぞ」
「確かに今は時間が無いようだからこれだけ言っておこう。高崎、結論を急いではいけない。ひとまず今日の放課後俺と樋川に付き合ってくれないか」
「おい待てさりげなく俺を巻き込むんじゃない」
「そんなつれないこと言うなよ親友」
「ええいだからひっつくなとゆーに!」
そんなこんなで、俺こと樋川雄介は良く晴れた五月の貴重な放課後を悪友二人と共に浪費することとなったわけである。
*
「ということで、やってきました目的地」
「……なあ、鴻巣」
「どうした高崎」
「……なんで俺、こんなトコ居んの?」
ワケわかんねぇんだけど、と体全体で主張する高崎に対して、鴻巣はゆっくりと頷いてみせた。
「お前は彼女が欲しいんだろう?」
「ああ、そうだよ。そうなんだよ……なのになんで?」
「だから連れてきたんだ」
「いや待てよおかしいだろ!? なんで彼女が欲しい人間をペットショップに連れてくるんだお前は!?」
高崎が吼えた。彼が右腕を振り上げて指し示した先には、「ペットショップみちくさ」とファンシーな字体で描かれた看板があった。
「いいか高崎、よく聞いてくれ」
「なんだよ!? テキトーなこと言ったら泣くぞコラ!?」
「人間の女よりペットの方が良い」
「ふっざけんなよてめぇ!?」
高崎は激昂した。
「それに高崎、よく考えてみてほしいんだが」
「なんだよ!? テキトーなこと言ったら殴るぞ!?」
「お前みたいな奴に彼女ができるとでも?」
「ぐあああああああ!?」
高崎はその場に崩れ落ちた。
「お、お前……お前、言っていいことと悪いことがあんだろ!?」
「頭も顔も悪いけど性格は微妙にそこまで悪くはないからダメ男好きにも相手してもらえないお前のような男と付き合う女なんていないって」
「ふぐっ……!」
「それこそボランティアでもやりたくねぇよ、社会的な評価だって下がっちまうわけだし。もうちょっと相手のことも考えて身の程をわきまえようぜ?」
「おごっ……お、うぐぉぉおおおっ……!」
爽やかな昼下がりに慟哭が響く。ペットショップの駐車場のアスファルトを、固く握りしめられた高崎の拳が叩いた。
「そ……そこまで……なにもそこまで言わなくたっていいじゃないかぁ!?」
「現状認識は大事だ」
「いやそれにしても言いすぎだったと思うが」
「事実だ」
「まあ事実ではあるけど」
「お前らあぁ……!」
まあ聞け、と、高崎の肩に鴻巣がそっと手を添えた。
「そんなお前でも、動物たちは温かく受け入れてくれる。思い出せよ、中学時代のあの二十七連敗記録を。」
「う、うぅぅ……ちゅ、中学時代……? い、いやだ……っもうフられるのは嫌だぁ……」
「あんなふうに冷たくお前をあしらう人間達と付き合うよりも、ペットと絆を育むことははるかに尊いんだ。深く傷付いたお前の心も、純真な動物たちがきっと癒してくれるさ」
「本当か……? 本当に、もう俺は傷付かずに済むのか……?」
「ペットはいいぞ。人間よりもな」
泣いた人間を泣かせた人間が慰める。ひどいマッチポンプだった。
「お前だって、本当は女を怖がっていたんだろう。だから高校は男子校を選んだし、本気で女が欲しいならナンパでもすればいいところを、せいぜい教室で現状を嘆く程度のことしかしなかったんだ」
「そ、そうか……俺は……そうだったのか……」
「……なあこれ洗脳っていうんじゃないのか鴻巣」
「氷川くん今良いところだから邪魔しないでくれる?」
「そうだ……俺は……俺が欲しいのは彼女じゃない! 俺が欲しいのはペット! 俺に必要なのはペットだったんだ!」
「あっだめだこれ洗脳完了してる」
「説得と言ってくれよ」
高崎が、ゆっくりと立ち上がった。その目はあまり健康的ではないヤバげな光を宿していて、俺にはとてもじゃないが直視できなかった。
高崎と鴻巣が、視線を合わせてゆっくりと頷き合う。
「ありがとう、親友。おかげで目が覚めたぜ」
「いやどう考えても逆じゃねぇのか」
「気にするなよ、親友」
「なあこれ俺がいる必要一切ないよな」
俺の声が聞こえているのかいないのか。二人はがっしと肩を組み、意気揚々とペットショップみちくさの店内に足を踏み入れていった。
その背中を見送る俺は、まあそのまま帰ってしまっても良かったのだが……これでも、高崎も鴻巣も本当に俺の親友なのだ。せっかくだから付き合ってやるかと、俺も彼らの背中を追ったのである。
……今にして思えば、ここがまさに俺の人生における一つのターニングポイントだったのだろう。
「いらっしゃいませー」
自動ドアの向こう側。空調の利いた快適な空気に乗って、鈴を転がすような可憐な声が飛んできた。ペットショップの制服の上に、ちょっと厚手のエプロンを纏ったその姿。
ひとつ結びにまとめた奇麗な栗色の髪が印象的な彼女は、店に入った俺に向けて、にっこりと微笑んだ――。
*
「――とまあ、これが父さんと母さんの初めての出会いだったわけだな」
「……あのさ父さん」
「何だ?」
「高崎さんはどうなったの?」
「……この話をお前にしたのは、まあ父さんが惚気たかっただけというのもあるんだが、実はそれだけではなくてだな。これだけはちゃんと伝えておかなくてはいけないと思ったんだ」
「それは?」
「――モテないヤツは、動物にもモテない」
(了)
残り30秒! なんとかまにあったぜ! 読み返す時間もねぇけどな!
ここまでお読みいただきありがとうございました!!!
おわり!!!!!