◇
毎朝、いつも憂鬱な気分に駆られてしまうのは、自分のせいだということはわかりきっているつもりだった。
毎日、清く正しく生きられるように意識をしている。その上で生活を過ごしている、つもりだ。それが私にとっての絶対であり、それを守ららなければ、守り続けなければいけない。それは私にとっての絶対であり、そうでなければ私は私、二階堂ヒロという自分を保つことができない。
それは幼い頃から変わらない信念以上の何かであり、私はそうやってそれまでの毎日も過ごしていた。それはこれからも変わらない、と昔はそう思っていた、そうだったはずだ。
──けれど。
「──おはよ、ヒロちゃん!」
──そうして毎日すれ違う彼女、桜羽エマの快活な笑顔。何も厭うことはないような、爽やかささえ感じられる彼女の表情。これまでの距離、確執はすでに取り払われた、とそう言わんばかりの彼女の表情に、私はいつだって自責感が芽生えることを認識してしまう。
……私は正しくない。清くもない。私が目指していた正しさはどこにもない。
そう思わずにはいられない。彼女を視界の中にとらえるたびに、感情に小波が立つ感覚を覚えずにはいられない。
私は、やはり正しくないのだ。
「……おはよう、エマ」
私は、それでも取り繕ってエマに挨拶を返してみる。返さなければ正しくないし、そうでなくとも彼女の明るさに応えたい気持ちはあるから。
それでも、結局自責感が晴れることはないのだけれど。
◇
牢屋敷を脱出してから、おおよそ二か月ほどの時間が経った。
私が最初に牢屋敷を出ることになったが、それに連なる形で他の少女たちも皆同様に、元ある場所へと帰っていく。
それはもちろん幼馴染であるエマも同じであり、結果として彼女は私と一週間ほどの間隔をあけてから帰ってきた。結局すぐに会えるものなんだな、と私はそう思った。
私たちは少し遅れる形になってはしまったものの、高校に入学することができた。以前の牢屋敷に囚われていた状況を思えば進歩でしかなく、そうして願っていたように日常生活を送ることができることは幸せだっただろう。
だが、それでも憂いを覚える感情を無視することはできない。
──エマは月代ユキ、私の親友を見殺しにした。そう思っていたからこそ、彼女を必要以上に責め立てて、追い詰めた。彼女の心を壊すことに執着して、そんな彼女を嫌悪するように、私は違う高校へと行くことにしていた。
それが中学時代の話。エマとは再会したくない、そう注意をしていたからこそ、日常的に彼女の動向を伺いながら、私は違う高校を受験し、歩みを進めたわけなのだが……。
……結果的に思い込みは思い込み、勘違い以上の何かだった。間違っていたのはすべて私であり、私は何一つとして正しくないことを認識させられる。私とエマ、その間にあった確執は私が正しくなかったからこそ生まれた代物であり、そうして違う高校に通うようになったことも、それに繋がる彼女に対しての行いも、すべてがすべて間違いであった。
そして、間違い続けた選択の末、それでも日常を歩まなければいけない。
エマと会わないように高校を選択した、それは間違いであった。それを認識しても選択したことを変えられるはずもない。例え変えられるようなことであったとしても、安易に変えてはいけない。
私は間違っている、正しくない。視線を向けたくない事柄であっても向き合わなければいけない。だから、私は彼女と違う高校へと、それでも、それでも歩んでいくのだが──。
◇
「おはよ、ヒロちゃん!」
そうして始まった再びの日常。そんな中で、彼女はまるで普段と変わらないように私と接してきていた。
彼女とは通学している高校が違う。なんなら、私は遠い高校を選択しているために朝早い時間から行動を開始しているのに、それでも道をすれ違ってしまう。
彼女と私の家が近い、というわけでもない。高校に行く道中、彼女とすれ違うような道はそれほどない。中学時代の私はそれを見越して高校を選択してしまっていたはずなのだが、それでも私とエマは、ほとんど毎日、朝に顔を合わせることになってしまっていた。
最初こそはひどい偶然だと思っていた。
「お、おはよう、エマ。……久しぶり、だな」
震えている声だと自分で思った。思わぬ再会であったことは動揺につながった。別に、久しぶり、というわけでもないのだが、それでも私はエマに向けてそう言った。
「うん、久しぶりだね! ボクもようやく高校に通えるようになったんだ!」
「……そうか、それはよかったじゃないか」
実際いいことだ、と思ってはいるものの、彼女の再会に戸惑いが生まれて、どこか意図が含まれているような間を孕んで、私はそう答えてしまう。だが、彼女はそれを気にしないように「うん!」と朗らかな笑顔を浮かべていく。
「あ、そういえば──」
エマはそうして、牢屋敷での彼女らと帰ってくるまでにあったこと、これからの彼女らの動向などを話題にして語ってくる。それくらいなら連絡をもらっているから知っている、と返しそうになったが、私は彼女と話すことが気まずくて、特に口を挟むことはなかった。挟めなかった。
◇
「それでね! シェリーちゃんが──」
エマは何も気にしていない、というように牢屋敷での彼女たちとの関わりを語っていた。私がどれだけ彼女に対する憂いがあったとしても、その間に確執があったとしても、そのすべてを気にしていない、というように話をつづけた。
実際、彼女にとってはもうそうなのだろう。
『だから──おあいこ!』
エマは、私たちの間にあった確執を、たったそれだけの言葉で済ませてくれた。きっと、いや絶対に罪の比重は釣り合っていないはずなのに、それがまるで等価であるように、彼女はそう言いのけていた。
そして、私たちは仲直りをした。小学校、中学校、ユキが自殺をするまでに紡がれていた幼馴染としての関係性、それを取り戻すための仲直り。
ああ、その時は確かに仲直りができた。心の底から彼女に向き合えた。彼女の言葉に、彼女の振舞いに、私の言葉を重ねていた。
──けれど、やはり釣り合っていない。
彼女が私にしていたこと。そして、私が彼女にしてしまったこと。
注意を引くために、かまってほしいがために、故意に失敗を繰り返すこと。
それが彼女の罪であるというのなら、あまりにもそれは私にとって軽すぎる。
人の関心を引きたい、なんて一般的なものだ。私だって、ユキと二人でいたエマに対して嫉妬をして、【三人目】として彼女の関心を引こうとしていたのだから。
そういった意味であれば、私はエマと同じ罪を抱えている。その上で、彼女の心を追い詰めるために行った数々の悪行が背中をなぞってくる。
「……すまないが、そろそろ行かなければいけない時間だ」
私はエマの話を打ち切るように、彼女の話に割り込んでそう言った。
「遅れることは正しくない。エマも学校があるのだろう。君もそろそろ行った方がいいんじゃないか?」
エマもこのまま私と立ち話をしてしまえば、自ずと遅刻という結果につながってしまうだろう。
(また【正しさ】、か。我ながら本当に呆れてしまうな)
自分について、正しさにいつまでも囚われてしまうことに息がついてしまう。
「そ、そうだね。……うん、遅刻をするのは正しくないよね!」
エマは私の言葉を受容したようで、正しい、という単語を繰り返してから笑顔になる。
(どうして君は、それでも私に笑ってくれるんだ)
私は、そんな負に繋がる感情を抱きながら、そうして互いに背を向けて、反対方向へと進んでいった。
◇
それからも、朝は彼女とすれ違うことが多かった。
最初こそは偶然だと納得できる範囲で、週に一度か二度くらい。早朝で出くわしてしまうのも、彼女が美化委員会に所属しているから、という話を聞いて納得をした。
朝に彼女と出会えば、他愛のない話を繰り返して、そうやって時間を潰していく。正直、エマと過ごす時間は昔を思い出して楽しかったし、心地は悪くないものだった。
だが、心地が悪くない故に、正しくない私がそんな居心地の良さを覚えていいのだろうか、と反発する自分がいる。もう心に語りかけてくるユキもいないはずなのに、それでも自問自答を繰り返す自分がいる。
だから、その次の週からは道程を変えた。少し遠回りになってしまうけれど、その分、もっと早くから外に出れば時間については余裕があった。その上で、もうエマと邂逅しないことを想像しながら、一抹の寂しさを感じていたけれど──。
「──おはよ、ヒロちゃん!」
──それでも、エマは私と鉢合わせていく。
「……なんで君がここにいるんだ?」
「え? え、えーと……。なんでだろう?」
「あ、そうだ!」とエマは思いついたような声をあげた。
「今日は少し違う道とか、気分転換でもしようかなって、そう思っただけなんだ!」
……気分転換、という言葉で思い出すのは、私が自殺をして死に戻りをする前の二周目のこと。元気がなかったエマに対して、シェリーが気を利かせるように、みんなで腕相撲をして気分転換をしようとした、あの時のこと。
気分転換するほどのことが学校であったのではないか。
そんな心配が生まれて、私は「気分転換? 学校で何かあったのか?」とエマに聞いてみるものの「い、いや、そういうわけじゃないけど」と彼女ははぐらかすような態度しかとらない。
「……何かあったら私に教えてくれ。私はエマの為なら──」
なんでもする、と口走りそうになったが、そうすることはできなかった。
私の言葉よりも先に、食いつくようにエマが「本当?!」とニコニコと嬉しそうな表情でこちらを見つめてきたから。
「ヒロちゃんは本当に優しいね! でも大丈夫! 本当に何かあったわけじゃないんだ! ……あ、そうだ。ボクね、学校で新しい友達とかも出来たりして──」
……それから、彼女は日課と言わんばかりに、いつも通りの雑談を私に向けて語ってくる。
私は、それに不思議な感情を覚えながらも、無碍にすることはできないその話に、結局時間のギリギリまで付き合うことになっていた。
◇
エマが話してくれている内容を、私は頭に入れることができなかった。それくらいに戸惑いというものを覚えていたのかもしれない。彼女とはもうすれ違わない、そう思っていたからこそ、思いがけぬところで出くわしてしまったという事実が、頭の冴えを悪くしているような気がした。
「……すまない。今日は早くいかなければいいけない用事があるんだ」
実際には早く行く用事なんてなかった。それでも彼女との間に発生しているように感じてしまう気まずさから逃げ出したくて、私はエマにそう声をかけた。
「う、うん。そうだよね。ヒロちゃんが早く外に出ているんだもん、用事はあるよね、……ごめん」
私の言葉にエマは頷きながらも、どこか申し訳なさそうな表情を浮かべていく。別にエマは何一つとして悪くはないはずなのに。
「別に謝る必要はないんじゃないかな。今日はたまたま用事があっただけ、それだけだから気にする必要はない。……だから──」
彼女の表情に罪悪感を覚えて、それから私はその先に呟く言葉を一瞬頭の中で考えた。その選択が正しいのかはわからないけれど、それでもエマの悲しそうな表情が心に引っかかってしまうからこそ、自分が向き合いたくない、というエゴだけで無碍にすることはできそうになかった。
「──だから、また明日だ。明日、また話そう」
私の言葉に、エマはその表情をぱっと明るくさせた。
◇
それからというもの、本当に毎日彼女と出くわすことになった。何度かそれでも道を変えようとしたことはあるものの、あの時に焼き付いたエマの表情が心の中で引っ掛かりになってしまい、結局道を変えても戻って、いつも通りの道を歩くことにした。
エマと朝に出会って、数分間他愛のない雑談を繰り返す。牢屋敷から帰ってきた少女たちと今度お茶会をしよう、とか、牢屋敷に残っている少女たちにも会いに行こう、とか、そういった話も交えていく。
だんだんとエマからだけではなく、私からも話題を振ることが多くなった。
「……寝ぐせ、できているじゃないか」
「えっ?! 本当!?」
「本当だ」
そう言いながら、私は彼女の寝ぐせへと触れていこうとする。でも、安易に人の髪に触るなんて正しいことなのだろうか。けれど、それでも結局彼女の髪に触れて、その寝ぐせを正そうとしてしまう。
「うぅ」とエマは声を漏らした。どことなく、しつけのなっていないが飼い主に怒られている様に似ているな、と思ってしまう。そして、そんなことをしている自分もどこか可笑しい。
「……身だしなみはきちんとしなければいけない。正しくないからな」
「そ、そうかな……? それは別に大丈夫だと思うけど──」
「──うるさい。正しくないったら正しくないんだ」
誤魔化すように私は声を出した。少し大きめな声になってしまったのか、エマは『はい』と犬の鳴き声のような『きゃんっ』を混ざたような「きゃいっ!」と返してくる。やはり少し犬っぽいな、と思ってしまう。
「……これで、よし」
私はそんなエマの様子を面白く思いながらも、彼女の寝ぐせを正していった。それでも少し髪の盛り上がりを見せている部分はあるけれど、普段の彼女の髪型と比較すれば妥協できる範囲内だと思った。
「あ、ありがとうヒロちゃん」
「……べ、別に」
エマの感謝の言葉。素直に言葉を紡いでくれる彼女に、私はそっぽを向きながら、結局それ以上に言葉を返すことはしなかった。
心の中にぼうっとある、消えない罪悪感。
エマと過ごす時間は楽しい。エマと話すことができてうれしい。いつかに失ってしまった彼女とのかけがえのない時間。私の誤りから見捨ててしまったすべてのこと。それを取り戻すように彼女と過ごすことができているこの朝の時間。それは確かに心地がいいものだ。
──でも、私は許されていいのだろうか。
エマはきっと気にしていない。私のことなど、本当に気にしていないのだろう。でも、私自身が過去のすべてを許すことができていない。許されたいとも思っていない。
誤り続けていた私が、今さらこんなに心地がいい感情を覚えることは、許されるのだろうか。
許されないことをした。エマに対して、幼馴染に対して、親友に対して。
そんな私が、彼女と距離を近づけることは正しいのだろうか。
いつまでも、その問いに解は見つからなかった。
◇
「……と、いうわけなんだ」
「ええと、……いや、どういうわけなんだい?」
そうして私が電話をかけていたのはレイアだった。
牢屋敷で一緒に過ごしていた少女であれば、相談する相手としては誰でもいいような気がしたけれど、なんとなくこういったときに心の底から話すことができるのは彼女しかいない、という実感がある。だからこそ私はレイアに電話をかけていた。
私が行うべき学業や業務を終えて帰宅し、それから逡巡を巡らせた後に、私は彼女に電話をかけていた。遠い場所へと通学している関係で、電話をかける時間帯としては正しくないと思えるほどに遅い時間だったが、一応事前にメッセージを入れていたおかげか、レイアは予定通りに通話に出てくれた。
「送っただろう、メッセージ。……見てないのか?」
「……いや、見たよ。見たうえでの感想が、どういうわけ、というところではあるんだけど……」
はあ、と私は息をついた。彼女に聞こえるようにあからさまに。そうすると電話口から「私が悪いのかい?!」と少し演技めいたツッコミを返してくる声が聞こえてくる。私は彼女のそういった部分が少し面白くて好きだ。
「ともかくとして、メッセージで送った以上のことを聞きたいわけじゃない。私はこれからどうすればいいのか、そう思って君に聞いているわけなんだが」
「……そう言われてもなぁ」
電話先で、レイアは困ったように息をつく。考え込んでいるのか、とそう思うようなため息ではあったが、途端にくすくすと笑うような声をこちらに聞かせてきた。
「だって、もう仲直りはしたんだろう? それだったら、別に何の問題もないじゃないか」
「……だから、それとこれとは別問題で──」
「──そうかな? 別に、私はそんなに変わらないことだと思うんだけども」
私の言葉を食うように、レイアは言葉を挟んでいく。
「ええと……。今、改めてメッセージを見返しているけれど、やはり何が問題なのかが正直わからないよ。エマくんと仲良くしたい、ってだけの話だろう?」
「い、いや、そういうわけじゃ──」
レイアの言葉に、私は少ししどろもどろとなって冷静さを欠いてしまう。
別に、私はエマと仲良くなりたいわけじゃない。……いや、仲良くなりたくないわけでもない。ええと、やはりこれはそういった問題ではなくて、私なんかが彼女に近づいていっていいのだろうか、という倫理観の問題だ。
「──私はね、ヒロくん。彼女との間に何があったのか、という部分は正直知らない。きっと聞いても教えてはくれないだろうし、エマくんも積極的に話す、ということはしないだろうからね。だから私は君たちの事情についてを詳しく聞かないことにしているけれど、それでもいざこざや諍いなんかは解決したんだろう? それだったら別にエマくんと仲良くするのも、距離を近づけるのも、別に間違っている……いや、ヒロくん風に言うのなら『正しくないこと』ではないと、そう思うけどね」
レイアは、彼女は確かにそう言った。
◇
牢屋敷にいた彼女たちが、エマと私の間にあったことを知らないのは当然のことだ。
ミリアの魔女化による記憶の入れ替え、共有。それはそれぞれの禁忌をお互いに見せつけ合うようなことではあったものの、その詳細についてを知ることはできていない。
だから、レイアの言っていることはもっともなことだとはわかっている。
もう既に仲直りをした。仲直りをして、それから関係性が近くなっている。それを正しいかどうかで判断をしようとしている、周囲から見ればそんな私こそが正しくないのかもしれない。
けれど、この葛藤は誰にも伝わらない。もしかしたら、ユキくらいにだったら伝わるのかもしれないけれど、彼女はもうここにはいない。
「……はあ、どうしたものかな」
そんな独り言を、自室の中で呟いてみる。
感傷に浸っている、というわけでもない。ただ、私は自分がこれからも過ごしていくエマとの中で正しいのかどうか、それだけを考え続けてるだけに過ぎなかった。
◇
『お茶会を開催します!』
結局どうにもならないまま、それでもエマとの関わりを続けていたある日、そんなメッセージが携帯に届いている。
通知を開いてみれば、メッセージの送信元はハンナからのもので、シンプルな題名の次に主題とされている内容が記されていた。
『今度、お茶会を開催したいと思います。
元々予定していました、レイアさんのお家は所用で難しいとのことでしたので、改めて日程を決めて牢屋敷でお茶会を開催いたしましょう。
もちろん、全員参加で!
いいですか? 全員参加で!』
最後の一文を強調するみたいに、メッセージではその部分だけが太字になっている。普段聞いていた、ですわ、という仰々しいとも思える口調とは異なって、メッセージの文面はいたって真面目なものだったのに、私は少しばかり感心してしまった。
(お茶会、か……)
確かにそんな約束を、みんなと一緒にしていたな、と思い出した。
『わかった。日程が決まったらまた連絡してくれ』
私が即座に返信をすると、これまたすぐに返信はやってくる。
『ですわ!!』と大きく印字されているスタンプ。
ハンナらしいな、とそう思った。
◇
「──ヒロちゃんも行くんだよね?」
もう既に諦めてしまった高校までの道。いつも通りにすれ違ったエマと他愛のない会話の中、唐突に彼女はその流れを切るように話題を変えた。
「……主語がない。『どこ』という情報がわかっていないのに、私がそれに答えられるわけがないだろう」
……実際にはエマがどこについてを指しているのかなんてわかり切っている。
ハンナからのメールが届いていたタイミング。そのタイミングでその質問が来るのであれば、確実にそれは牢屋敷で開催されるお茶会についてでしかない。
それでも私は誤魔化すように彼女へとそう言いながら視線を逸らした。自分でもなぜそんな遠回りなことをしているのだろう、と思ったからこそ後ろめたい気持ちがあったのかもしれない。
「あ、そうだね……」とエマは少ししょぼくれたような表情を浮かべながら、改めて携帯を取り出して、見覚えのある文面をこちらへと突きつけてくる。
「これ! ハンナちゃんが牢屋敷でお茶会をする、っていうメッセージのやつ! ヒロちゃんにも来てる、……よね?」
一瞬、こちらを伺うような訝しい表情、……というよりも不安そうな表情を浮かべる。おそらく、先ほどの私の言動からメッセージが来ていない可能性を今さらになって考慮したのだろう。
そんな彼女の不安をぬぐうように、私は微笑さえ浮かべて見せながら、それから「ああ、そのことか」とさも知っているようなふりをした。……ふり、というか、そもそも知ってしかいない話題だったのだが。
そのようなふりを続けても意味がないことはわかっている。それでも、なんとなくエマを前にすると普段通りの自分を保つことができないでいる。
早速今朝もハンナからのメッセージに返信をした、というのに、それをエマに知られることに後ろめたさがある。レイアも言うように、別に気にすることではない、とわかっているはずなのだが、それでも消極的な気持ちが消えるわけじゃない。
「……それで、どう? ヒロちゃんも、……来てくれるよね?」
こちらの様子をうかがうような、そんな瞳。
そんな目をせずとも、私はもう既に返信をしていたし、なにより答えだって決まっていた。だから、不安そうな表情を浮かべなくてもいい、と言ってやりたい気持ちがある。
ただ、それでも素直に言葉は吐き出せなくて「……そう、だな」と曖昧な相槌を打ってしまった。
「……このハンナの文面、全員参加という部分が強調されているからな。勝手に私が参加しない、という風に表明しても許されないだろう。……まあ、だから、そうだな──」
さっさと素直になってしまえばいいのに。
心の中で、そんなユキの言葉が聞こえてきそうだけれど、それでももどかしいまま言葉を運ぶことができない。
耳の部分が少しだけ熱を持つような感覚を覚えながら、何度か呼吸を挟んでみる。目の前にいるエマにはこちらの緊張を悟られないように、ゆっくりと深呼吸をしながら。
「──も、もちろん参加するよ。……参加しなければ、どんな目に合うのかわからないからな」
「──本当?!」
私の言葉に、エマは過剰だとも思えるくらいに瞳を輝かせながら、私の目を見つめてくる。
その純粋すぎる眼差しに、どこか私は耐えられなくなって、やはり視線をそらしてしまうけれど、それでもエマは「やったぁ!」と喜ぶ様子をこちらにアピールしてくる。
(そこまで喜んでくれる、のか……)
私がお茶会に参加する。私はハンナのメッセージに軽く返事をしたけれど、それでも実際は熟考を重ねなければいけないものだったはずだ。
そんな自分自身の振舞い、そして、参加することを表明したうえでのエマのこの様子。
つりあっていない。どう見たって、この関係性はつりあっていない。
(──でも)
それでも、エマが喜んでくれている。
私がお茶会に参加しても、邪険にすることなく、純粋に喜びをこちらに伝えてきてくれている。
それならば、そうであるのならば。
そんな彼女の笑顔こそを大事にするべきなのではないだろうか。
どうしようもなさを感じるような、今さらの気づき。
それが自分自身の罪悪感を拭うだけの行為だったとしても、それでも。
──エマが笑ってくれるのであれば、それでいい。
私はそう思いながら、彼女の笑顔に微笑みを返した。
◇
牢屋敷がある島については、今でも国の中でも極秘という風に扱われている。そのため、容易に牢屋敷に向かう、ということは難しいものの、それでもユキと対峙をした私たちは『人類を魔女因子から解放した』という功績から、望めばいつでも牢屋敷へと戻ることを許されていた。
まあ、それでも極秘の存在であることには変わりない。国も、秘密裏に少女たちを監禁し、殺し合いとしか言えないことを強いていた事実がバレるわけにはいかないのだろう。普通の公共交通機関で行くことはできないし、もしくは島の場所を独自に調べて、なんとかプライベートで赴く、ということも許されなかった。
そのため、牢屋敷に向かう際には要人に連絡をし、そこから指定された場所に向かう。そこで政府の役人と顔を合わせ、目隠しをつけさせられたままヘリコプターへと乗せられる。
おおよそ二時間から三時間ほど、……もしくはずっと長いかもしれない。目隠しをしているうえ、役人との会話も禁止されているが故に、時間は自分自身で一秒ずつ考えることでしか把握できない。
だいたい7000秒ほど数えた頃合いで、眠気がやってきて、気づけば牢屋敷についているのだから、とりあえずはそれだけの時間を使っているはずだ。
(なんとも手間だな……)
そんな感想を誰かに呟きたい気分になるが、それを聞いてくれる役人や知り合いもいないのだから、私はそっと息を呑みこんで、それらを吐くだけ。
そうしてたどり着いた牢屋敷を前に、私は改めて深呼吸を繰り返すばかりだった。