本丸にはしんみりした空気が漂っていた。
人間の寿命は短い。
審神者として着任したときから老齢だった主は、まさに今、寿命を迎えようとしていた。
主は決して無理はしなかった。しかし、妥協もしなかった。コツコツと積み上げてきた戦績のおかげで、本丸の刀たちは皆それなりの練度となっていた。
政府からは他の審神者への譲渡を嘆願された。主は私が決めることではないと言い、愛刀たちに問うた。刀たちはそれを良しとしなかった。
主の命の灯火が消えるのと同時に、彼らもまた人間が「本霊」と呼んでいる存在へと還ることを望んだ。
政府はこれまでの審神者や刀たちの功績を讃え、本丸の総意の通りにすると約束してくれた。
今がその時だ。
大広間の真ん中に、本丸で一番上等な布団が敷かれている。主をそこへ静かに寝かせた刀が、主はこんなに軽かったか、と呟きながら目に力を入れた顔を見たのは、つい先日のことであったか。
主は大きく息を一つ吐くと、息を引き取った。
啜り泣く声が聞こえる。主を取り囲んでいた刀たちが、ぽうっと光を放ちだす。本霊へと帰るのだ。
じんわりと暖かい光。それは主の心のようだった。
刀たちの姿が一様に薄くなる。涙を流すものもいたが、皆、笑顔を浮かべていた。
「またね」
「またな」
誰からともなく言葉を交わし合う。次から次へと消えていく仲間たち。
そして、彼自身の身体も。
暗闇に吸い込まれるような気持ちがした。恐怖などはなく、そうであることをただ受け入れた。
――皆もきっと、そうであったのだろう。
*****
――暗闇に吸い込まれて、それで?
目を開けて辺りを見渡す。鬱蒼とした木々。身体を起こそうとすると痛みが走り、思わず呻いた。
自身の呻き声に他の者の声が混ざった気がした。彼が声の方向を振り向いたのは、ほとんど反射的なものだった。
「――っ!?」
(拙僧が、なぜ)
見間違えるはずがない。
そこには、彼自身――山伏国広――が転がっていた。
いくつかの気配の蠢きに辺りを見回す。他にも幾振りか転がっている。皆、一様に傷だらけだ。
どうやら瞼を切ったらしい。血が流れ落ち視界を遮った。拭おうとし顔に手をやると、何やら固いものに触れた。
(これは、面頬?)
黒い手袋。黒いブーツ。軍服を思わす紺に金の意匠。粟田口特有のものだ。
(鳴狐、殿か?)
山伏が"鳴狐"のものであろう身体を点検している間に、他の五振りも目を覚ました。辺りを見渡し、そして。
皆、ある一振りを見て瞠目するのだった。
(もしや皆、拙僧と同じように)
山伏がそう思いかけた瞬間、木々がざわめいた。禍々しい炎を身にまとい、殺意と刀を向ける、六振りの刀――時間遡行軍。
「そう簡単に通してはくれぬということか」
"山伏国広"の身体がそう呟くと、傷だらけの六振りは刀を構えた。皆、闘志は消えてはいない。しかし、刀を構える姿がぎこちないのは、気のせいではないだろう。
(ここにいる六振りはあの本丸の第一部隊であるな)
敵短刀の一閃を辛うじて弾き、距離を取った。山伏は改めて戦況を把握すべく見渡した。
敵薙刀に吹っ飛ばされる"陸奥守吉行"と"明石国行"。
敵大太刀の一筋を避けたが、身体を掠めたのか脇腹を押さえている"燭台切光忠"。
"岩融"が敵槍を一薙ぎするも、大したダメージは与えられていないようだった。
そして、"山伏国広"が敵脇差と鍔迫り合いをする。押され気味だ。
(あの頃だったら)
あの本丸の頃だったら、もちろんこんなことは無かった。
岩融が薙ぎ、取りこぼしを鳴狐と陸奥守が仕留める。明石や光忠、山伏の出番は無いくらいの練度であったはずなのに。六振りは今、苦戦を強いられている。
(身体と魂が合わぬせいか。いや、)
"鳴狐"の身体は、敵と応戦する前から傷ついていた。それは他の五振りも同様だった。皆、肉を断たせたらぽきりと折れてしまいそうだ。どうしても防戦一方となる。
声を掛け合い、連携を取ることすらままならない。順に切り伏せられ、地面へと叩きつけられる。
"鳴狐"が仲間に気を取られ、目を切った一瞬を敵短刀は見逃さなかった。
(ぬかった!)
山伏は吹っ飛ばされた身体でひらりと宙返りをし、何とか体制を立て直す。
実際は、いつもより遥かに身軽な"鳴狐"の身体を持て余し、他の刀より宙に吹っ飛ばされただけなのだが、不幸中の幸いだ。
今度は目線を切らず、気配で確認する。
息を詰める音。皆、死んではいないようだ。
敵槍がこちらへと飛んでくるのが分かった。流石に五振りを守りながら耐える自信は、山伏にはなかった。
(すわ、これまでか……)
刀を構え、覚悟を決めた瞬間。
鮮やかな光が目の前を横切った。
「つーかまえたっ!」
敵槍が一刀両断され、砂となりサラサラと崩れ落ちる。
「悪い! 僕も結構邪道でね!」
痛みに呻き、身動きのとれぬ"山伏国広"を狙っていた敵脇差が背後から切り伏せられる。
「斬る!」
「遅い遅い!」
「そらよ!」
三者三様の風が吹き、敵を屠る。
「とうっ」
軽く気の抜けた声に反比例するかのような重い斬撃が敵を貫く。
傷だらけの六振りが苦戦していた相手をあっという間に退けてしまった。
敵を屠ったうちの一人――一期一振――が刀を納めると、こちらへ歩み寄ってきた。
"鳴狐"の身体が反射的に刀を構え、助けてくれたはずの彼らに切っ先を向ける。
敵だと判断したわけではない。身体がぞわぞわと粟立つ感覚がして、思わずだ。
(敵方への殺気を勘違いしておるのか)
山伏は"鳴狐"の身体で刀を構えながら、他人事のように分析する。
恐らく、"鳴狐"に限らず、この傷だらけの六振りとはかなりの練度差があるのだろう。
助けてくれた六振りしかり、苦戦した敵しかり。
中にいるであろう、六振りしかり。
一期一振がほんの一瞬目を瞠り、そして悲しそうに微笑んだ。
"鳴狐"の後ろで、五振りが身じろぎする。
"岩融"が立ち上がり、"鳴狐"の横に立つ。同じように薙刀を一期一振たちに向けた。
(この気配は、鳴狐殿であるな)
(……そうだよ。"鳴狐"の中にいるのは、山伏国広だね)
心の中で思ったはずの言葉に返事が返ってきて、山伏は内心驚く。
(なるほど、読心術が使えるということか)
(……テレパシー、が近いかも)
ふと、違和感を覚え、山伏は辺りを見渡した。いつも"彼"の近くにいるはずの獣が見当たらない。
(鳴狐殿。お供殿が)
(はいっ! お供はこちらにいますよう!)
鳴狐の声がしたはずの"岩融"の身体から、今度はお供の狐の声がする。
(……なぜか、一緒に入っている)
(鳴狐とわたくしめは一心同体! などと申しておりましたが、まさか本当に一心同体となってしまうとは……)
「岩融……」
一期一振の隣で今剣が頼りなさげに呟いて、山伏と鳴狐は我に返った。そうだ。目の前の彼らを置いてきぼりにしてしまっている。
(つかぬことを聞くが、ここはどこであるか?)
「……つかぬことを聞く。ここは、どこ?」
山伏はなるほど、とまた内心頷いた。
どうやら、体を通す際に、体に適した口調に変換されるらしい。
しかし、それなら「つかぬことを聞く」は余計だったかもしれない。"鳴狐"らしくない物言いになってしまった。
"岩融"がこちらを睨んでいる気がする。心の中でなだめると"岩融"は前を向き直した。
「ここは、厚樫山です」
堀川国広が答える。
「厚樫……」
"岩融"の身体を通して、鳴狐が思わず繰り返す。
(なるほど、そういうことであるか……)
山伏は難しい顔をして唸った。この身体の持ち主たちは、恐らく、主に見捨てられたのだ。
思案していると、呻き声とともに"明石国行"が起きた。対峙している部隊を見て、キッと睨みつけて殺気を放ち、近くにあった拳銃――陸奥守吉行のものだ――を握った。
「明石!」
"岩融"が小さい声で、しかし鋭く名前を呼ぶ。
(……じゃないね)
(え、ああ、わしは陸奥守吉行じゃ)
(陸奥守吉行どの! 落ち着いてくだされ! この方たちは先ほどの敵を屠ってくれたのです)
(ああ、そうじゃった。何だか混乱しよって)
「ああ、そうやったね。何や混乱しとって……」
思わず口からも発してしまった陸奥守は、"明石国行"の口から出てきた言葉にギョッとして、口を押えた。
(どうやら、言葉は身体を通す際に身体に合わせて変換してくれるらしいな)
山伏が心の中で伝える。
"明石国行"が自分の手のひらをまじまじと見る。
(まっことじゃ。わしは明石の中におるんじゃのお)
(せやなあ。せやから、そんな物騒なもんは置きぃ)
ハッとして"明石国行"は銃を取り落とす。
明石の声は"山伏国広"から聞こえる。しかし"山伏国広"は目を閉じて、倒れたままだ。
(これ以上、相手方を刺激してもあきまへんし、自分は狸寝入りさせてもらいますわ)
(そんなこと言って、サボりたいだけでしょ)
光忠の声がして、"山伏国広"以外の三振りはそちらを振り返った。
座り込んではいるが、"陸奥守吉行"が上半身を起こしている。困ったように眉を八の字に曲げ、大丈夫、と言うようにヒラヒラと手を振った。右目を閉じているのは光忠の癖だろうか。
「……光忠」
"鳴狐"はそう口にして、"燭台切光忠"を見やる。
(岩融殿)
(俺も無事だ。案ずるな)
"燭台切光忠"も身体を起こそうとする。が、右腕で半身を起こしたところで止まった。目を固く瞑り、左手で頭を押さえて「うぅ……」と小さく唸った。
(だ、大丈夫!? 痛い?)
(問題ない、光忠よ。ただ、この眼帯とやらは厄介だな。左目しか使えぬ故、少しばかり疲れてしまった)
(確かに、慣れないと大変かもね)
(せやからあないに狙い外してはったんやなあ)
明石の言葉に山伏はなるほど、と思った。片目では遠近感が分かりにくい。
(とにかく、少し目と頭が痛いだけだ。気にするでない)
(眼精疲労、っちゅうやつじゃな)
「皆さん」
一期一振が意を決したように言葉を発した。
入れ替わった六振りはまたもやハッとした。助けてくれたはずの六振りのことをすっかり忘れていた。
「私たちは、決してあなた方を傷つけません。ですから、お話を聞いては頂けませんか」
*****
――けはいがする。
そう言い出したのは、今剣だった。
「敵襲か?」
和泉守兼定が聞くと、今剣はうーんと首を捻る。
「敵、のけはいもします。けれどほかのけはいもします」
「確かに」
――血の匂いがする気がする。
堀川国広がそう言うと、六振りは互いに顔を見合わせた。
「交戦中、と言ったところか?」
鶴丸国永が言う。
「他の本丸の部隊が戦っているのでしょう」
部隊長の一期一振が言い、先に進もうとする。皆もまあそうかと己を納得させ、一期一振に続き歩を進める。しかし、蛍丸は途中で歩みを止めてしまった。
「なんか、ヤな予感がする」
――蛍丸殿は余りこのような厄介事に首を突っ込まないはずだ。
この六振りは長らく第一部隊を務めている。今までの戦いで培ってきた経験から、蛍丸がこのようなことを言い出すのは珍しいことだった。
一期一振が詳しく聞こうと、蛍丸を振り返ったその時。
「―――っ」
一際大きな音。息を詰めるようなうめき声。
一期一振は皆の顔を見渡す。五振りは神妙な面持ちで頷いた。
――見知った刀の声だ。
誰とはなしに声の方向へ駆け出す。
音のした場所の様子を確認できるところまで辿り着き、愕然として立ち止まった。
地面や木々に叩きつけられたであろう、岩融、山伏国広、陸奥守吉行、明石国行、燭台切光忠の五振り。皆、呻き声を上げ、痛みを逃がしている。
すんでのところで体制を立て直した鳴狐が、刀を構えた。右手一本で持っているのは、左腕が使い物にならないからだろう。一期一振は左右に目を走らせたが、お供の狐の姿は見当たらなかった。
倒れ伏している五振りの怪我の状況は良く見えない。が、推して図るべしだろう。
一期一振らの本丸にはいない六振りだ。しかし、妙に縁のある者同士、それぞれの刀の惨状を見て、皆、息を飲んだ。
鳴狐を敵槍が襲う。鳴狐はピクリと反応したが、逃げようとはしなかった。五振りを庇うように。
真っ先に動き出したのは今剣だった。鳴狐に向かっていた敵槍を切り伏せ、岩融に向かっていた別の敵槍を薙ぎ払う。
堀川国広はほとんど意識のない山伏に向かっていた敵脇差を打ち砕く。
一期一振、鶴丸国永、和泉守兼定もそれに続き、取りこぼした敵薙刀を蛍丸が屠った。
周囲を警戒し、他に敵がいないことを確認すると、一期一振ら六振りはふっと息を吐いた。
一期一振は自身の刀を振り、汚れを払った。刀を鞘に納めるとキンッと澄んだ音がした。
刀を納めながら鳴狐の方へ一歩踏み出す。鳴狐は身じろぎし、半歩ほど下がった。刀の切っ先はこちらへ向けられたままだ。
「怖がる必要はありません。私たちは」
味方です。そう言い切る前に、岩融が立ち上がった。自らの薙刀を支えにようやくだ。ふらふらとした足取りで、鳴狐に寄り添うように立つ。
そして、鳴狐と同様に、薙刀をこちらへと向けた。二人とも、気迫で隠してはいるが、僅かに怯えが見える。
いつか演練で見た他本丸の岩融とは随分と様子が違って見える。他本丸の岩融は、豪快に笑い、今剣を肩に乗せ、嬉しそうにしていた。が、目の前の岩融はにこりともせず、冷たい瞳でこちらを見据えている。今剣が一期一振の後ろで、辛そうに息を詰めるのが分かった。
急に鳴狐が焦ったようにキョロキョロと左右に目を走らせた。その瞬間も、切っ先はこちらに向けたままだ。
――ああ、お供の狐を探しているのだ。そして、狐はきっと、もう。
そう気づいてしまった時、一期一振は鳴狐から目線を逸らすしかなかった。
「岩融……」
堪らず今剣が呟く。その声にハッとした様子の二人は、改めてこちらへと向き直った。
「……つかぬことを聞く。ここは、どこ?」
鳴狐が声を発した。岩融は一言も話さず、冷たい瞳を向けるだけだ。
たったこれだけで、彼らが特殊な環境にいたことは、火を見るよりも明らかだった。
「ここは、厚樫山です」
堀川が答える。意識はピクリとも動かない山伏に向けられていた。
「厚樫……」
岩融がぽつりと呟く。とても小さな声だ。
暫しの沈黙の後、呻き声がした。明石が起きたのだ。
「国行っ……!?」
蛍丸が一歩前に出ようとして、留まった。
演練で見たことのある明石国行からは感じたことのない殺気。
他本丸の彼は、もっとやる気が無さそうで、飄々とした印象だった。
「っ!」
明石はとっさに一番近い武器――陸奥守が取り落とした銃だ――を手に取る。
――撃たれる。
一期一振がそう思った瞬間、和泉守が蛍丸を庇うように前へと飛び出した。
「明石!」
岩融が鋭く名前を呼ぶ。明石がハッとしたように目を見開く。
何拍かおいて一期一振ら六振りを見ると、呆然としたように呟いた。
「ああ、そうやったね。何や混乱しとって……」
明石はしまった、とでも言うように、手で口を塞いだ。
そして、手のひらをまじまじと見て、ハッと怯えたように銃を落とした。
蛍丸はそんな様子の明石を見ていられなくなって、和泉守の後ろに隠れた。
続いて陸奥守が上半身を起こした。心配するなというように、仲間の岩融、鳴狐、明石にふらふらと手を振る。
笑ってはいるが、立とうとはしない。足が動かないのだろう。
和泉守の眉間に皺が寄った。
光忠が呻き声を上げた。半身を起こすがそこまでしか起き上がれなかった。辛そうに目を瞑り、頭に手をやると呻いている。
鶴丸が駆け寄りそうになって、堀川が引き留めた。
山伏は、ピクリとも動かなかった。
「皆さん」
一期一振が意を決したように言葉を発した。
ハッとした様子で、こちらを見つめる傷ついた五振り。
「私たちは、決してあなた方を傷つけません。ですから、お話を聞いては頂けませんか」
*****
(……山伏、刀)
鳴狐に言われてやっと気が付いた。ずっと構えたままだ。
(おお! あい、すまぬ)
"鳴狐"が刀をおろす。一期一振ら六振りがほっと胸を撫でおろすのが見えた。
"明石国行"もバツが悪そうに目を逸らしている。
「応急処置程度ではありますが、手当をしましょう」
堀川国広がこちらを伺いながら言い、持参した救護バッグを漁り出した。それを横目に見ながら鶴丸が問う。
「近づいても?」
"岩融"が頷くと、鶴丸はホッとした顔をした。
山伏――"鳴狐"の身体だが――は堀川の手当を受けながらちらりと周囲を伺う。視界の端で、和泉守が端末で何やら連絡をしていた。恐らく彼らの本丸へだろう。そこではたと気付く。
(そういえば、端末を持っている者はおらぬのか)
(鳴狐もわたくしめも持っておりませぬ)
(僕もないね)
(自分もあらしまへん)
(わしもじゃ)
(俺も持っておらぬな)
怪我を手当されている六振りの中で訪れる、しばしの沈黙。
(これは……わたくしたち、もとい、この身体の持ち主たちは)
(主はんから見捨てられた、ってことやろ)
(薄々気付いていたけど……うん)
(まあ、この身体やきのぉ)
お互いの身体を見回す。傷のないところが無いといっても過言ではなかった。
「兄弟」
聞きなれた呼び名がして、山伏は思わず顔を上げた。声の主である堀川国広は、現在の山伏の身体である"鳴狐"の手当をしながら、その瞳は"山伏国広"を見つめていた。
(明石殿、起きてくだされ。兄弟が悲しんでおる故)
(嫌でっせ。今更起きるのはおかしいやろ)
明石はサボっている、というか要は気まずいのだろう。山伏は内心やれやれと肩を竦めた。
堀川国広は"鳴狐"に微笑むと、一期一振と和泉守の方へ向かっていく。応急手当がひと段落したのだろう。山伏は綺麗に巻かれた左腕の包帯を眺めた。
明石と山伏のやりとりを聞いていた陸奥守は、蛍丸の手当――あまり上手だとは言えなかったが、蛍丸はやらずにはいられなかったのだろう――片手で制した。少し遠くに転がっていた明石国行――刀本体の方――を拾い上げると、数回弄ぶように軽く振り、肩に担いだ。そして、寝ている"山伏国広"の横に座る。
怪我をしている仲間も、手当をしている刀も、皆一様に「?」を浮かべてその様子を見守る。
"明石国行"は、明石国行本体をくるりと翻し、鞘を握る。そして、柄を"山伏国広"の腹に当て、ぐっと押し込んだ。
「……っ!?」
その瞬間、"山伏国広"の目がカッと開く。"明石国行"の刀を握る手ごと振り払うと、上半身だけ起こし、"明石国行"の襟を荒々しく掴んだ。
"明石国行"は顔を逸らすと、降参とばかりに両手を挙げる。
(何すんねん!?)
「何をする!」
(どっかの誰かさんが狸寝入りしちょったき、起こしただけじゃ)
「どっかの誰かさんが狸寝入りしとったさかい、起こしただけでっせ」
(にしてもやり方っちゅうもんがあるやろ!)
(おんしの綺麗なおべべが伸びるで)
(ああ、ほんまにああ言うたらこう言う! よう回る口ですなぁ!)
(その辺にしときなよ)
「その辺にしちょき」
いつの間にか隣に来ていた"陸奥守吉行"が"山伏国広"の腕に手を当てた。
"山伏国広"は、渋々と言った様子で不満げに手を離す。
怪我だらけの身体にあべこべに放り込まれた六振りにとっては、明石と陸奥守が軽口を叩きあい、光忠がそれをやんわりと制止するというのは、あの本丸で見慣れた光景だった。
鳴狐、岩融、山伏はまたやってるよ、と内心呆れ、同時にどこか懐かしくも思った。
(っと、そうやない。明石。何やへごな感覚はせざったか?)
(変?)
(ああ。こいつ――明石国行――に触れよったとき)
(した! 何やこう、引っ張られるような、いわられるような)
(それじゃ! わしも銃を拾うたとき、ぶっちゅう感じがしたぜよ)
何が。魂が、だ。
正直、明石にとって、柄を押し込まれた痛みはそれほどでもなかった。たとえ、"山伏国広"の腹が痣と傷だらけでも。
それよりも魂を撫でられるようなぞわぞわとした感覚に、気持ち悪いと思って飛び起きてしまった。
"燭台切光忠"の身体で岩融が考え込むようにうつむく。
(よもやすると、正しい身体に帰れるかもしれんな)
(なるほど! 刀と魂は惹かれ合っているということですな)
("正しい"かどうか、って言われると微妙なところだけど)
光忠の言葉に、心の中の声さえも皆、押し黙ってしまった。
――そうだ。自分たちの身体はもう、あの本丸で朽ちたのだ。
*****
一期一振たちの本丸では、審神者が部屋で事務仕事に勤しんでいた。
コトリ、と固い音がして、視界の端に湯気の立った湯呑が置かれたのが分かった。
「ありがとう、長谷部」
「いえ」
近侍の長谷部が持ってきてくれた緑茶を啜りながら、審神者は数時間振りに息をついた。
事務仕事が苦手な審神者は、度々こうして書類を溜め、長谷部に手伝って貰いつつ、叱咤激励して貰いつつ、審神者部屋に籠城する羽目になるのだった。
長谷部が書類の束を手元に置いたのを見て、自分も再開するか、と審神者は大きく伸びをした。
その瞬間、端末からアラーム音が鳴り響く。出陣している第一部隊からだ。
部屋の中にピリッと緊張が走った。彼らの練度であれば、特に問題の無い出陣だったはずだ。何があったのか。
端末を持ち、応答する。パッと画面が切り替わる。
「和泉守。どうした? 怪我か?」
『主! いや、怪我と言えば怪我なんだが……』
審神者は首を傾げる。どうにも和泉守の歯切れが悪く、らしくない。長谷部も事務処理の手を止めて、後ろから端末を覗き込む。
画面の向こうでは同じように、和泉守の後ろから一期が端末を覗き込んでいた。
『主、と長谷部殿。私たちに怪我はありません。ただ、重傷を負った部隊を発見いたしました』
『敵に囲まれてたから、助けたんだけどよ』
長谷部が眉を寄せる。
「敵を屠ったのなら、充分だろう。そいつらの審神者に任せればいい」
『あーいや、なんつうか、おかしいんだよ』
「要領を得ないな」
『主。私たちが発見したのは、一部隊、岩融、明石国行、燭台切光忠、山伏国広、陸奥守吉行、鳴狐。以上六振りです』
審神者は思わず目を瞠った。審神者の後ろで長谷部の息を飲む音も聞こえる。
「なんだそれ、狙いすましたかのような」
この本丸には、六振り――岩融、明石国行、燭台切光忠、山伏国広、陸奥守吉行、鳴狐――はいなかった。
もちろん、他にも特別な戦力補充の催し物の時にしか出会えない刀剣たちの中にも顕現していないものもいる。しかし、鍛刀やドロップで比較的力となってくれやすい刀剣たちの中で、未だ顕現していないのは、先の六振りだけだった。
『私たちは彼らとは共に過ごしていないので、確かなことは言えません。……ただ、縁があるもの同士、私には鳴狐殿が普通ではないように思えるのです』
『あいつ……陸奥守も。まあ、親しいってほどじゃねえが、あんな奴だったか?』
一期と和泉守だけではない。
今剣も、鶴丸も、蛍丸も、堀川も。
皆、多少の縁があるもの同士、どうも違和感があると言う。
『僕からもいいですか』
『国広』
和泉守は軽く手を挙げて画面を覗き込んできた堀川に端末を渡した。軽く目配せをして、堀川が手当をしていた鳴狐の方へ歩いていく。
『さきほど、少し手当をしました。気休めですけど。……明らかに、戦いで付いた傷じゃない』
「……一応、詳細を聞こうか」
審神者が聞くと、堀川は眉を顰める。
『縄で縛られたような痣。熱いものを押し当てられたような火傷。痣とは違う黒い色も肌に付いています。最初は汚れかと思ったけど、拭いても取れなくて』
「それは呪いの一種かもしれないね」
不意に聞こえた声に、審神者は思わずバッと音を立てて振り返ってしまった。長谷部も同様だったようで、二対の瞳に睨まれた声の主は困惑したように眉尻を下げた。
「びっくりした、石切丸か」
「申し訳ない。驚かすつもりはなかったんだけどね」
盗み聞きするつもりもなかったと言いながら、石切丸も審神者の後ろに周り端末を覗き込む。
『もし、戦いで付いた傷じゃない、っていうのが僕らの勘違いだったとして』
そんなこと、絶対有り得ませんけど! と堀川は憤る。
『これだけ重症なのに帰還命令が出ず、ここに留まっているということがおかしいのではないですか』
堀川が端末のカメラを傷だらけの六振りに向ける。
審神者は思わずうっと唸った。長谷部は顔を顰め、石切丸は「これは……」と言葉を失った。
『主。彼らを迎え入れることはできないでしょうか』
黙ってことの経緯を見守っていた一期が口を開いた。
「少なくとも、保護はするつもりだよ」
――多少手荒くてもかまわない。
そう低く唸った審神者を窘めるように、長谷部が「主」と呟いた。
「あいつらの傷は、多少手荒くしたら最後のように見えます」
「言葉の綾だってば!」
もう! と言いながら緊張の糸が少し緩んだ様子の審神者を見て、石切丸はふっと眉尻を下げる。
『ありがとうございます!』
端末の向こうで、堀川がほっとしたように呟いた。
――と、同時に響く怒号のような声。
『何をする!』
それから続く、怒号の主を煽るような声。
『どっかの誰かさんが狸寝入りしとったさかい、起こしただけでっせ』
画面の向こうで端末を覗いていた一期一振と堀川が、声の方向を振り返る。
『兄弟!』
『国行!』
堀川と蛍丸の悲鳴のような諫める声が重なる。
意識的か無意識か、一期一振が再びカメラを喧噪へ向けたため、審神者も一部始終を伺うことができた。
明石の胸倉を山伏が掴んでいる。
陸奥守が這うように二振りに近づく。そして、縋るように震える手で優しく二振りに触れた。
『その辺にしちょき』
気勢を削がれたのか、山伏はしぶしぶといった様子で掌をパッと開いた。
明石は息を大きく吸い込むと、軽く咳き込む。
「……なるほどな」
「主?」
「"おかしい"、"普通じゃない"って一期と和泉守が言ってただろう。合点がいった」
努めて冷静に観察しているつもりの審神者だったが、内心酷く動揺していた。
――あの、山伏国広と明石国行が?
例え自身の本丸に二人がいなくとも、分かる。
演練で見た他本丸でも、交流のある審神者の本丸でも、あの二人がいがみ合う姿は想像できなかった。
「確かに、あいつらの刀派の連中から聞いていた話と随分違いますね」
長谷部の抱いた印象も、審神者とそう変わらぬらしい。
(もしかして。……いや、今は考えるのをよそう)
嫌な推測が脳裏をかすめ、審神者は頭を振ってそれを追い出した。
今は目の前、端末越しの彼らの傷を癒すことが優先だ。
*****
「ねえ、そっちの本丸には帰還しないの? 手入れしてもらった方が良いんじゃない?」
蛍丸が手当を受けている"明石国行"たちに向かって問う。六振りは互いに顔を見合わせ、誰とはなしに小さく頷いた。
――恐らく、帰還ができないことに気付かれている。
(……隠しても仕方ないよね)
心の中で口火を切ったのは、光忠だった。
(ああ。隠し通せはせんだろう。時間の問題よの)
(こん"身体"についてのことは正直に言うたちえいがやか。どうせ自分たちもめっそう知らんし)
(そうですね、わたくしめも賛成です。"身体"は一目瞭然ですから)
("中身"を明かす必要はあらしまへんけど、"身体"について嘘付き通すなら、まずは自分らで設定を揉まないかへんやろ。現実的やない)
岩融、陸奥守、鳴狐――言葉にしたのはお供の狐だが――も、光忠に同意した。
静かに聞いていた山伏も異論は無かった。
("身体"については正直に言う。"中身"はなるべく隠し通す。見解は一致したようであるな)
"鳴狐"はふるふると首を横に振る。
「……できない」
「何か特別な事情でも? ああ、いや、無理に言えとは言わないが」
鶴丸がこちらの様子を伺うように、続きを促してきた。
この様子を見るに、傷ついた六振りを助けてくれた面々は、皆、気付いているんだろう。
「あれ」
"明石国行"が、一期一振と堀川国広を指差した。正確には、彼らの覗き込んでいる端末を、だ。
「持っとれへんのですわ」
(そういや、無駄に狸寝入りしていたわけやあらしまへんで)
観念したのか、きちんと身体を起こして甘んじて治療を受けている"山伏国広"の身体の中で、明石が思い出したように言った。
(んん? ああ、保護されたときか)
(せや。あんさんらも目ぇ瞑ってみ。内側……魂? に意識を集中しぃ。……山伏はんや岩融はんはこないなの、得意でっしゃろ)
明石が言うように、岩融、光忠、陸奥守、鳴狐、山伏が目を瞑る。
暗闇に朧気ながら明かりが見える。暗がりで目を凝らすように、自身の魂へ意識を集中する。
(おお! 明石殿の姿が見えたのである!)
(鳴狐、光忠……うむ、皆おるな)
(わたくしもいますよぅ!)
お互いの本来の姿がぼうっと浮かび上がった。
明るく炎があがったように、身体の周りを白く縁取っている。
(ただ、触れようとしても無理やね。壁もないけど、近づくこともできまへん)
明石が手を伸ばす。
伸ばした分だけ、真っ黒の闇を白い炎が照らす。
しかし、何かに阻まれているかのように、すぐ隣の陸奥守に触れることはできなかった。
*****
「このままここにいては危険です。我々の本丸にお越し頂けますな」
手当を受けた六振りは、一期一振を見上げた。
決定権は六振りに委ねられている。しかし、一期一振の瞳は「首を縦に振るほか選択肢は無い」と告げていた。
包帯と血だらけの自分たちを見まわして、光忠が口を――心の中でだが――開く。
(治してもらえるならそれに越したことはないよね。だけど……)
光忠が”陸奥守吉行”の身体で自分自身――”燭台切光忠”――を見た。
”燭台切光忠”と目が合うと、彼――岩融――は同意するように頷く。
(ああ。あちらの本丸の主の迷惑になるのは本意ではないな)
(ご迷惑をおかけするだけならまだええですけど)
(ええ、ええ。明石殿の言う通り、わたくしたち、この身体の状況がよくわかりませんから)
鳴狐は自らの身体となった”岩融”の腕を撫で、わずかに袖を捲る。そこには靄が掛かったように、黒い染みが広がっていた。
(……『これ』が、悪さをするかも)
“岩融”の身体だけではない。傷ついた六振りの身体には多かれ少なかれ『黒い靄』で覆われた箇所があった。
詳細は分からない。が、呪いの一種なのであろうことは皆、見当がついていた。
そして、その呪いの主がこの身体の主であろうことも。
突然、『黒い靄』を撫でていた”岩融”の手に、小さな手が重なった。
思わず顔を上げた鳴狐の目に、真っ赤な瞳が飛び込んできた。
気付かぬうちにすぐそばに来ていた今剣に驚いて、鳴狐はわずかに肩を揺らす。
「あるじさまは!」
今剣は大きく息を吸った。
「うちのあるじさまは! とっても、とーっても、やさしいですよ! いたいおもいなど、にどとさせません!」
「二度とかは分からねえけどよ」
頼もしい大宣言に水を差された今剣は、和泉守を睨んだ。
「いや、ほら! オレは手合わせで手加減なんかしねえぜ? それに、うちに来るなら馬に頭齧られるかもしれねえし!」
「この間、髪食べられてましたもんね、兼さん」
今度は和泉守が堀川を睨んだ。堀川は軽く笑ってそれを受け流す。
「っとまあ、いずれは働いてもらうし戦ってもらうことにはなるが、まあそれはそのうちな」
どうだ? と投げかけてくる鶴丸の瞳もまた、一期一振と同じ瞳をしているのであった。拒否権は最初から無いのだ。
六振りは互いに顔を見合わせ、誰ともなしに頷いた。心は同じだ。
「……1つ、条件がある」
代表して”鳴狐”――中身は山伏だ――が言葉を発する。一期一振が一歩、”鳴狐”に向かって近づいた。
「何でしょうか」
「鳴狐たちの、誰か一人でも怪しい動きをしたら……切り捨てて」
六振りとも。そう”鳴狐”が呟くと、一期一振は息を呑んだ。
「……それは」
(”できぬ”と言うのであれば、俺たちがそちらへ行くことは叶わぬな)
「”約束できない”、のであれば、僕たちは行けないよ」
“光忠”の姿で、岩融は諭すように言った。
(まさかあんさんらの主はんをやすやすと危険にさらすほど、腑抜けとちゃいますやろ)
「まさかそちらの主殿をやすやすと危険にさらすほど、腑抜けではあるまいな」
明石は口に出してから、”山伏国広”の口から出るには少々言葉が強すぎたな、と思った。
光忠があーあ、と苦笑いをしてるのが見えて、明石は内心肩を竦めた。
『――承知した』
和泉守が持っていた端末から、突如声がした。六振りは思わず瞠目した。
(長谷部の声や。なんや、いたがか)
『主に仇なすのであれば、俺が即、叩き斬る。それでいいんだろう?』
(あ、ああ。それで構わないよ)
「あ、ああ。それでかまんぜよ」
『一期一振。隊長として異論は?』
「……いえ、ありません」