今はどうだか知らないが、小学校には食堂があり、食堂から自分のクラスまで給食セットを運ぶ給食係というものがあった。食堂といっても、今の人が想像する大衆食堂ではなく、でっかい厨房と洗浄施設が組み合わさった建物のことである。そこでは大勢のおばちゃんが朝から巨大なオタマやらシャモジを長年連れ添った武器のように振るっていた。そこに立ち入るには必ず白い給食袋に収納されている戦闘服――白衣、エプロン、帽子、マスク、ハンカチを身につけていなければならない。お昼が近づくと解放された窓から、おいしい匂いが漂いはじめ各々の鼻に届くので、給食の話題で授業がソワソワしだすのは常だった。4時間目の終わりのチャイムが鳴ると、給食係は一斉に純白の戦闘服に着替えて食堂へ急ぎ足で向かう。ホッカホカの湯気の中、そこで給食のおばちゃんたちから、いろいろな装備と食事を渡されるのである。鈍い銀色に光るスープの入った寸胴鍋、主菜が入った同じく寸胴鍋。副菜が入った中くらいの寸胴鍋。デザートの入ったパントレー。牛乳の入ったトレー。パンのときはパントレイ、ごはんのときはごはん専用トレー。食材が入った寸胴鍋やトレーを運ぶのにはクラスメイトの胃袋がかかっているので重たい責任が伴う。しかし意外と見落とされがちなのが、箸や皿やお盆などの食器類である。これは躓いて中身をぶちまける危険性はないが、非常に熱く重たいのである。そして、何が一番大変かと言うと、クラスに一番に到着しなければ配膳がスタートしないのである。救急車と同じく『急ぐな、普通の速度で』とは言われるが、食器係の背中には常にプレッシャーがのしかかる。汗だくで教室に戻れば、深皿、浅皿、スープ皿、お茶碗をそれぞれの寸胴鍋もしくはトレーの横に設置する。そこまで終わるとようやく食器係は一息つくことができるのだ。お盆と箸を一列に並んだクラスメイトに一枚一枚渡していく。あとは、そのお盆に主食や主菜が乗っていくのである。おかわりの権利は、全員で『手を合わせて、いただきます』と声に出して感謝をしてから、皿がすべて空になったものから付与される。ただし、デザートは別である。
山賊むすびの日は悲惨だった。とてつもなく大きな海苔一枚とご飯と、山賊むすびの具になる梅と昆布と鮭、そして別口のたくあん。きっとお味噌汁くらいはあったと思う。デザートは団子だったような気がする。おむすびとぬるくなった牛乳の絶妙なアンマッチさが苦手だった。ごはんが余ると始まる、塩おむすびころりんタイムが好きだった。担任の先生が塩むすびを握ってくれるのだ。もちろん追加の海苔はないけれど、塩という最高の調味料があればいくらでも白米は食べられるのだ。
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