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「……伊東、俺、間違ったことば言うとるやろか」
路地裏の塀に貼っていたゆうぎりの清書が、無惨に破られているのを前に、喜一は憤りを隠せない声音で問いかけた。
「別に間違っては、ないんじゃないか」
伊東は言って、視線を空へと逃がす。見上げた先には鈍色の雲が立ち込めていて、今にも泣き出しそうな色をしていた。
「どうせ紙一枚、強い雨でもきたら剥がれてたさ。また貼りなおせよ」
それより早く飯いこうぜ、と伊東はさっさと話を切りあげようとする。浮浪者や酔漢がたむろするこんな吹き溜まりに、あまり長く留まるものじゃない。
「こがんか風にされるほどのことか?」
先を促す伊東を無視して、喜一は握りしめた拳を震わせる。
「佐賀ば取り戻すことが、なんのいかんとや?四国の香川も、山陰の鳥取も、訴えてちゃんと復活したやっか」
「それは、そうなんだろうけどさ……」
佐賀には前科がある、と伊東が濁せば喜一はキッと眉根を寄せる。
「じゃあ、福岡も熊本も鹿児島も――そいはそいやろ。佐賀が消えてよか理由にはならん」
佐賀だけが許されないことがあるもんか、と息巻く喜一は聞く耳を持たない。
「せっかくゆうぎりさんが、丹精込めて書いてやらしたとに……」
ああ、そうか、とそこで伊東はようやく思い至る。
これまで喜一の書いたビラが粗雑に扱われるのなんて、日常茶飯事だった。紙はそれなりに値が張る。目の前で破り捨てられることはなくとも、古紙問屋で裏紙にされているのをよく見かける。
”タダで鼻紙を配る慈善活動”と伊東が喜一を揶揄しても、負けじと"一行読まれれば御の字だ"と言い返してきたというのに。
「確かに、剥いだやつも見る目がないよなぁ」
どの口が言うのか、と思いつつ、伊東はつとめて軽い調子でのたまう。 
「内容はともかく、額にでもいれて飾れば床にも映える達筆だってのに」 
喜一が憤っているのは、ゆうぎりの心遣いを蔑ろにされたこと。なら花魁を持ち上げてやれば機嫌はなおる――
「まさかあれが、かの有名なゆうぎり花魁の手蹟なんて――好事家なら、言い値で欲しがる代物だ」
「そがんか冗談は、好かん」
ピシャリ言われて、伊東は面くらう。
「ゆうぎりさんはゆうぎりさんや。もう伝説でも花魁でもない、ただの人やんか」
むっとした顔で、喜一は伊東を睨み付ける。
「……俺に、当たられてもな」
伊東がフイ、と顔を背けると、喜一はハッとした顔で、ごめん、と素直に謝ってくる。
ごめん、は伊東がいうべき台詞だろうに。
そう思っても、伊東は話を反らすことしかできない。
「……お前さ、よくあんなとんでもない高嶺の花つかまえて、"ただの人"なんて言えるよな」
「……なんや、それ」
「道を歩けば男は思わず振り返るし、女だってため息混じりに見惚れてさ」
町の噂は引きも切らず、正直、伊東はアレと表通りなんてなるべく同道したくない。
「肩書きが無くなろうが、どこに行こうが、これまでやってきたことは、一生つきまとう」
さぞ贅沢三昧に暮らしてきたんだろうって、みんな興味津々だ――伊東がいい放つと、喜一はやめろ、と声を荒げる。
「ゆうぎりさんが、どがん生き方しとったかは正直分からんけど、俺には関係なか!」
「関係ないことあるか。権力者を手のひらで転がしてきた女だぞ。お前みたいなのにわざわざ構うのだって、裏で何考えてんだか――」
「やめろて言いよるやろ!」
「……やっぱり、お似合いだよお前ら」
伊東とて、ゆうぎりの人間性を否定するつもりはない。
底知れないところがあるのは確かだが、掛け値なしに見目良く色香があり、なおかつ貞淑で分別のある女だ。
それを丸ごと差し引いても、穏やかで優しく、よく気が利いて他人の世話を焼くのを厭わない人柄――本当に、非の打ち所がない。
伊東は正直、これ以上の相手を喜一に用意してやる伝手などない。そこらにいるつまらない町娘など、比べれば見劣りしかしないだろう。
思慮深く器用なゆうぎりは、性根のまっすぐすぎる喜一に相応しい良縁、と思うからこそ――伊東は現状に余計腹が立っている。
あの聡明さで、喜一に手を貸すことが何を意味するのか、気付かないはずがないのに。
喜一の夢を、踏みにじるに値する脅威にまで育ててしまったあの花魁が、伊東には憎らしくもあった。
「……伊東が何ば言おうが、俺は、俺に良くしてくれるゆうぎりさんのことしか知らん。過去も本音もどうでんよか」
「いいのかよ、そんなあっさり信じて」
「俺に取り入っても、なんの得もなかやろ」
「あったとしたら?」
「そいならそいで良かさ。伊東だって、俺のこと助けてなんか得したか?」
「……確かに、得は、してないな」
「ほらみろ」
得意気な喜一の顔が、また憎らしい。何も知らないくせに、伊東のことを分かったような気になっている喜一は、ひどく滑稽だ。
「はっ……お前みたいなのが、いつか裏切られて痛い目見るんだろうな」
それでもいいなら、見たいものだけ見てればいい、と伊東は思わず吐き捨てる。
喜一の動向は、すでに陸軍の把握するところとなっている。
報告しているのは、他でもない伊東だ。
喜一のラクガキが、花魁の手で見る価値あるものにされてしまったから。
伊東が破り捨て、踏みにじらねばならなくなった。
「いつまでも俺が、お前の味方だと思うなよ。これからも危ないことに首突っ込むってんなら俺はもう――」
「最初から味方なんて思うとらん。お前、俺の手伝いするなんて一度も言うたことなかやんか。止めようとするばっかりで」
喜一は、伊東をまっすぐ見据える。
伊東はその視線の意味を、取りかねる。
もしや喜一は、全て分かっているのかもしれない――そんなあり得ない考えが頭をよぎるが、すぐに喜一自身に否定される。
「俺を止めようとするのだって、俺のためやろ。お前がいいやつなことくらい、分かっとる」
「……っ、笑わせるな。お前に俺の何が分かるんだよ」
耐えきれず、伊東の口から本音がこぼれ落ちそうになる。
止めておけ、止めろ、と理性がけたたましく警鐘を鳴らしている。
「俺にだって、お前に見せてない……見せたくないことくらい」 
ここから先は、決して口にしてはいけない。どんなに心苦しくても、どんなに楽になりたくても――口外した瞬間、これまでの全てが崩壊する。
でも――ここらが潮時なのかもしれない、とも思った。
友達ごっこはもうたくさんだ。
事態はもう、伊東が遠目に監視するだけでは済まなくなっている。
このままいけば、直接喜一に手を下す役目がいずれ伊東に言い渡される。
そんなことになるくらいなら、伊東が機密を漏らした咎を受けようとも、喜一に正体を明かして事の深刻さを――
「……なぁ、きい」「俺は聞かん。言いたくなかことば、わざわざ言わんでよかさ。人が見せたくないもんは、こっちだって見とうない」
「っ、お前……そんなんじゃ、この先」
「俺は、俺に見せてる顔が優しかなら、そん人は優しか人やと思う。それ以上知ってなんになる」
喜一は、苛立たしげに伊東の手をつかむ。
「もしお前が言うように、誰かに裏の顔だのなんだのあったとしても、隠されたら見えんもんは見えん!知らん!むしろ、優しくない嫌な所があるとに、頑張ってそれを見せんように優しくしてくれとるってことやろ?だったら――」
喜一は、はあ、と大きく息を吸った。
「それはもう、丸ごと優しか人よりよっぽど、優しかやんか!」
「……っ」
「裏表のない完璧な人しか、信じたらいかんとか!?そんなんおるんやったら、ここに連れてこいさ!」
一生かかっても見つかるもんか、と喜一は断言する。
「俺は――俺が見てるのがその人のほんの一部だけでも構わん。俺にとっては、それが全てや」
喜一は、そこで言葉を切った。
路地裏はしん、と静まり、伊東の頭中には、ひとつの音が木霊する。
――……好きだ。
さっきまで、脳内でカンカンと鳴っていた鐘の音の代わりに、ただそれだけが響く。
――好きだ。
伊東は――この男の見ている世界がたまらなく好きだ。
――どんな暗がりにいても、かすかな明かりを見つける澄んだその目が好きだ。
――どんなに野蛮な世界でも、暴力を知らず実直に働くその手が好きだ。
――伊東のような卑しい人間からも、一欠片の輝きを拾い上げてくれる喜一が、好きだ。
「……ほら。もうすぐ雨の来るけんが、行こう」
喜一は、黙してしまった伊東の袖を引いて、街道の方へと足を踏み出す。
薄暗くてじめじめした路地裏から、人々が健全に日々を営む表通りへ。
雨模様の曇天のした、伊東が見つめる喜一の背は、明るい方へ、明るい方へと進んでいく。
喜一だけが、伊東を薄汚れたこの場所から、日の当たる世界へ連れ出してくれる。
「なぁ伊東。俺は、お前が見せたくないもんは、見ない方がいいもんやと思うとる。お前がそう思うんやから、きっとそうや」
「……バカみたいにガキくせぇ理屈だな」
――なあ喜一。だったら信じてくれるか。
――お前の夢を破き捨てるのも、お前の志を阻もうとするのも、お前のそばを離れないのも、全て嘘偽りない良心だと。
暗がりで、お前が見つけてくれたこの心だけは、失くしたくない。
それがたとえ伊東のほんの一部でしかなくても、お前にとってそれが全てというのなら。
どうかこのまま、何も知らずに――信じて欲しい。
「……伊東、降り出したぞ、早よ!」
「分かってるよ、お前こそ転ぶなよ!」
はは、と大口開けて笑って、喜一と二人、軒を目指して走り出す。
――この日々を、失くしたくない。
雨滴ごときで消えない火種が、伊東の中にも燃えている。
この足が、踏みにじらねばならないものが、あの路地裏にまたひとつ、増えていた。
塀に貼っていた姐さんの清書を破かれて憤る喜一と、自分が破っておきながら、喜一をなだめて慰める立場にある伊東
路地裏を出て喜一と歩いていく友人としての自分と、路地裏で人目を避けこそこそ生きている自分の解離が顕著になっていく
踏みにじるに値するもの。
それは子供の戯れ言ではなくなった、喜一の夢。
ゆうぎりへの恋が、喜一に大人びた顔をさせるようになった。
そして伊東の、喜一への情。
見逃してやれる範疇を超えてなお、決定的な報告を避けている。
喜一という光明は、消すべき火種。
よくないものを呼び覚ます。
でも、消せない。
喜一の言葉は確かに間違ってないが、受け取り方次第では危険だ
言葉の真意なんて誰も分からない
耳障りの良い言葉で人を集めて煽動して、また厄介事を引き起こそうとしてると思われても仕方ないだろう、と苦言を呈す伊東
そんなこと言われても、本当にそれ以上の意味なんてないのに、お天道様に誓って、後ろ暗いことなんてひとつもしてないのに、という喜一
誰も彼も、お前みたいに真っ直ぐ生きてないんだよ、という伊東
ずっと心のうちで、声がしている
喜一は友人の伊東を、光の下へ連れ出すけれど
本体は路地裏に身を潜めたままだ
その夢を破り捨てた張本人だとも知らずに、自分を友と慕っている喜一が、愚かで愛しくて、苦しい
この時代の喜一と伊東はいつも根っこが交わらないから辛いんだよなぁ……
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「ゆうぎりさんは、じいちゃんに親切にしてくれて、俺の話ば真剣に聞いてくれて――」
露店にふらりと立ち寄って、子供の玩具を買ってみたり。地べたに落ちた風車や藁半紙にも、頓着なく手を伸ばして。泥まみれの見ず知らずの男の顔を、迷わず袖で拭ってくれる。
何が伝説だ、何が高嶺の花だ。
喜一となんら変わらない感覚で、同じ世界に生きている、ごくごく普通の優しい人じゃないか。
「」
「」
「放っておいても、サガ小町だの街道の花だの、新しいあだ名が一人歩きしていく」
きっと喜一だけが、ゆうぎりただその人を、一番近くで見知っていることになる。
「…………」
「あ、いや……ごめん。伊東に当たっても仕方なかよな」
はは、とすぐに、いつもの締まりのない顔で頭をかく喜一に、伊東は苦いものが込み上げてくるのを感じる。
こうしていれば、喜一は本当にただ穏和で、人の良さそうな青年でしかないのに。
ゆうぎりに出会ってからの喜一は、時折、伊東も知らない大人びた顔をするようになった。
現に、喜一が配る檄文に心動かされる者が、出て来はじめている。
子供の戯れ言では済まされない領域へ、足を踏み入れてしまっている。
喜一はもう、踏みにじるに値する火種だ。
「なぁ喜一。お前には、言ってなかったと思うけど」
ここらが、潮時だ、と思った。
喜一のためにも、もうこんなままごとみたいな演技は止めだ。
己の立場を明らかにして、命の危険があると真摯に説得して、現実を見せつけてやる。
維新の元勲すら翻弄してきた見識の深い相談相手ができたせいだろう。
本人も曖昧だった「取り戻す」という言葉に、確かな説得力が出始めている。
空虚に響いていた言葉が、人の心を打つ力を得てしまった。
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喜←伊 踏みにじるに値するもの
初公開日: 2025年09月08日
最終更新日: 2025年09月17日
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コメント
「俺、なんか間違ったことば言いよるやろか」
破り捨てられたゆうぎりの清書を前に、喜一は拳を震わせて問いかけた。
「……間違っては、ないんじゃないか」
伊東は空を仰ぐ。鉛色の空は、今にも泣き出しそうな色をしていた。
草の名を(徐福に拾われた喜一が将来の片鱗を見せる話)
「この世に名前のない草なんてねぇんだ」幼い喜一が徐福のため庭の草むしりしたら、これまで大事に集めてき…
篠畑
ゆう喜 過たずに過ぎゆく
伊東を紹介する名目で開かれた会食の夜。酔って眠りこけた喜一がようやく目を覚ますと、対面にいたはずの伊…
篠畑
冷たい唇 喜←伊からの喜伊
自分と相手の"好き"の種類は違う、とすれ違うテンプレみてぇな話が読みてぇよからの両想いハッピーエンド…
篠畑