陸剣
帝幻ワンライ お題「風船」
ふうわり、と赤い風船が飛んで行った。
それはゆったりと青い空に吸い込まれていく……と思いきや、公園の青々と繁る木に絡め取られた。子供の泣き声が聞こえて、心配に思い足早に向かう。まだ帝統との待ち合わせ時間には間がある。木の下には、幼稚園児だろうか、スモッグを着た女の子がべったりと地面に座り込んで泣いていた。
「大丈夫?怪我してない?」
目線を合わせるようにしゃがんで話しかけると、女の子は顔を覆う手を少しだけ開いてこくり、と頷いた。膝、肘を見るけれど、少し土で汚れているものの、擦り傷なんかはなさそうだ。涙でぐしゃぐしゃになった顔にハンカチを差し出すと、おそるおそる受け取って、涙を拭いた。
「風船がどこかに行ったの」
思い出したら、また悲しくなったのだろう。ハンカチをぎゅっと掴んでしゃくりあげながら女の子はそう泣いた。頭上にあることに気が付いていないらしい。
木は俺よりも高い。手を伸ばしても届かないだろう。登るか、と思ったけれど、風船が絡め取られている枝はあまり太くないから、途中まで登っても俺の体重を支えれるかどうか。脚立があれば、なんて考えながら目の前の泣きそうな子にかける言葉を考えていた。
「さて、どうしましょうか」
女の子はまためそめそと涙を流している。お母さんは?一人できたの?なんて聞いても涙を流すだけだった。何か気をそらせることがあれば……なんて考えながら一つ俺にしかできないことを思いついた。
「風船が冒険した時のお話をしましょう」
そう言いながら、女の子が離した風船を空想の国に旅出させて話をはじめた。赤い風船は俺の言葉の上で海を渡り小島について動物と出会ったり嵐にあったりと忙しない。その言葉に女の子はわぁ、とかすごい、とか感嘆を漏らす。よし、興味をひけたようだ。この調子で、お話をしている間に次の手を考えるか……そう思っていたら弾丸のように何かが駆け抜けていった。藍色の髪をなびかせながら、それは俺の髪を揺らす疾風を巻き起こし、木の下で美しく踏み切った。世界がスローモーションに見える。ふわり、と重力を感じさせない跳躍を見せる。そのままどこかに飛んでいくのではないか?と思うような軽やかな飛翔だった。逆光に姿はよく見えないけど、紫に光る瞳ばかりが一刹那射抜くようにこちらを見ていた。そのまま枝に絡みつく風船に手を伸ばし、一切の無駄のない動きでそれを取り、地面へとまだ舞い戻ってきた。
「……だいす」
思わず名前を呼んだ。名前を口にするだけで、先ほどの高揚がさらに強くなった気がした。
「先輩!」
風船を持ったままの彼は、俺に手を振りながら、にぱ、と笑顔を浮かべた。さっきまでの美しい動きとは違う、いつもの彼の様子でなんとなくほっとした。
「この子の?」
「ええ、多分」
「ほら、もう手ぇ離すんじゃねえよ」
そう言いながら女の子に手渡す。少女はさっきまで自分が泣いていたことも忘れて、何度も頷きながらうっとりとした熱を帯びた瞳で帝統を見ていた。
――恋、されたな。
「お兄ちゃん、ありがとう」
暫くして少女のお母さんが戻ってきた。どうやら下の妹だか弟だかが、おむつにウンチをしたせいでおむつを変えて遅くなったみたいだった。ぺこぺこしながらこちらに礼を言うが、そんなことより彼女の高揚したばら色の頬と遠くを見つめるようなとろけた瞳を見ると、俺の心のなかでふつふつと誇らしさと一抹の切なさみたいなものが湧きあがった。
一行が帰ったのを確認して、隣の帝統に改めてお礼を言う。
「帝統ありがとう。俺じゃ無理だった」
「へへ、先輩の役に立って良かった」
照れ臭さそうに帝統は笑う。
「……初恋泥棒しちゃいましたねぇ」
甘酸っぱい青春映画みたいなワンシーンを思い出しながらそんなことを言う。
「は?俺?いや、ねぇでしょ。風船とっただけだし」
「その控えめな所は君の良いところだね」
その分悪いところでもあるなぁ、と今後彼のことを考えては心をときめかせる少女のことを考えずにはいられない。あの子以外にも帝統に告白する子はよく見るし、乱数曰くちょっと遊んでみたいオネーサンたちがいるらしい。つまりはよくモテるのだ。彼氏としては誇らしくもあり、少し切なくもある。
「でもさあ、好きになって貰っても」
俺の瞳をじっと見つめながら、帝統は俺の腰に手を回した。ぐいと彼の元へと誘うように、少し強引な手付きで俺のことを引き寄せる。心臓がドキドキうるさい。
「俺は先輩のだからなぁ」
そう低く呟きながら、俺の耳元に唇を寄せて、小さく吐く息がくすぐったたい。先輩の、なんて言ってるけど俺が帝統のものになっちゃってる気がして仕方がない。心も乱されてるし、まだ身体こそ捧げてはいないが服の下には数日後には消えてしまう印が一つ二つついている。
「ちがう?」
「違わない……」
嬉しそうに笑顔を見せる帝統に、ときめきを隠せなくて、触れそうなくらい近くにあるその夜みたいな髪に触れる。そのまま彼の耳に唇を寄せて、小さく呟く。
「帝統、大好きだよ。ぜんぶ俺の」
そう睦言を言うと、帝統は「先輩もぜんぶ俺のもの」と俺の指先をとって嬉しそうに笑った。