「なぁ、どしたの幻太郎」
珍しいことに、幻太郎は姿見を前に取っ替え引っ替え服を変えてファッションショーをしている。乱数じゃあるまいし、と言うと、ああ、乱数と言いながらまたクローゼットからスーツを出してきた、いつ何かの賞をもらった授与式のために乱数が仕立てたものだ。そのスーツを身体に当てながらこう答えた。
「ああ、お見合いですからね。流石に洋装でないとダメかなって」
お見合い、という言葉の意味が一瞬理解できなかった。おみあい、お見合い。漢字変換ができず、しばらく考えてようやく思い当たった。
「は?幻太郎結婚すんの?」
「いや、お見合いだって言ってるでしょ……お世話になってる大先生のね、お孫さんが結婚を考えてるらしいからって会ってくるだけですよ」
結婚を考えてる、ってそれはもう殆ど結婚じゃねぇか!?そんなことをぐるぐると考えていると、幻太郎は呆れた顔で俺のおでこにデコピンをした。
「あなたねぇ、座ってだらだらしてるのなら、お皿洗ってください」
働かざるもの食うべからずですよ。そう言って花が咲くみたいに笑った。
皿を洗い終わるとそのまま、当たり前みたいに風呂を勧められて、そのまま布団も借りる。客間というのは名ばかりの俺の部屋みたいになったそこで、ふかふかの布団を被ってぼんやりと考える。
幻太郎が結婚。そのことばっかりが頭の中をグルグルグルグル回っている。結婚したら、今までみたいに気軽に誘われないのかな、とか、宿借りにいけなくなるかな、この部屋も俺のために空けてくれなくなるかな、なんて思ってしまう。幻太郎は優しいから、きっと結婚相手は幸せだろう。幻太郎もあれで案外寂しがりやな所や甘え下手の甘えたがりなところがあるから、結婚して世帯を待てたらきっと今の一人暮らしよりも幸せになれるだろう。
でも、その未来予定図には俺はいない。今までみてぇに作り話を楽しそうに俺に話したり、修羅場の時ご飯を作ってあげた時に嬉しそうに笑ったり、そういう時に俺じゃない奴が隣にいて、その笑顔を受け取ると思うと息が苦しくなる。別に幻太郎の笑顔なんて見慣れているつもりなのに、どうしたことか思い出しただけで少し心臓の鼓動が早まってきた。ギャンブルしてる時みたいな高揚感だ。
「あー、なんだこれ」
初めての感情と慣れた感情が一気に襲ってきて冷静になれず、夜中だと分かっているけれど、いてもたってもいられなくなって、幻太郎の家を抜け出した。真っ暗な部屋で考え事をしていると、どうしても塞いでしまう。起こさないようにそっと戸をあけると、一瞬で汗ばみそうな蒸し暑い熱気が身体にべったりとついてまわる。玄関に置かれている鍵を拝借して鍵を閉めてポストに入れておいた。
夏のぬるい熱気の中、一人で考えるのが嫌になって、夜のシブヤへと歩き出した。
とはいえ、当てがある訳ではない。人が沢山いる方へと思いながらさすがにシブヤとはいえこの時間空いてる店は少なくて、深夜二時の牛丼屋へと滑り込んだ。ポケットの小銭を集めて牛丼大盛りを頼んだ。牛丼は悩む間もなくすぐに出てきた。お箸を取って、一口食う。なんだか味がしない。調味料入れ忘れたんじゃねぇの?って文句を言おうと思ったけど、紅生姜も味がしない。そんな訳はさすがにないな。これは俺の問題だ。砂を噛むみたいな味気ない食事は水で腹を膨らますより辛い。眠れねぇ、飯も美味くねぇ。今もしパチンコしたらどんな感情が湧くだろうか。なんだこれは。まさか幻太郎の見合い一つにこんなにショックを覚えるとは思わなかった。だって、さっきまで俺はただのダチのつもりだった。親友をとられただけでそんなにショックだとかヤキモチを焼くものなのだろうか。
結局公園のベンチに寝転がり、一晩中星のない夜空をぼんやりと見つめた。脳味噌を空にして……いや、フル回転して色々と考えながら、夜が朝に染まる直前の紫の朝焼けを見ていると、ぎゅうと胸が潰されるような気持ちになり途端に幻太郎に会いたくなった。でもまだ寝ているだろうし、出て行った手前今はまだ会いに行けない。
パチ屋が開く時間になったけど、この無感情じゃ行く気にもならない。昼前までぼんやりとしていたけれど、さすがにトイレに行きたくなってコンビニに行ったら、トイレは使用中だった。待つ間にトイレ前の雑誌コーナーを何の気なしに見ていると見慣れた名前を見つけた。表紙に大きく夢野幻太郎と書かれたそれはいつか彼の家で見たことのある、いや、かた焼き煎餅を食いながら読んだことが事がある文芸雑誌の新刊で、ぱらぱらと捲るとあまり長くない話が一つ載っていた。買う金もないから、トイレに入るまでと決めて雑誌を手にとった……
――猫を拾った。以前から見かける猫で、歳の頃は一歳だと知人から聞いた。立派な体躯の雄猫だ。拾うというのは正しくない、居着いたというのが正解だろうが、だが己の気持ちとしては拾ったのだ――
そう始まる文章は日記の形をしている。どうやら青年と猫の話らしい。しばらく読んでから思わず息を呑んだ。
「俺じゃん」
違うかもしれない。でもその話の中に出てくる猫は自分で、思い当たるエピソードがある。時代は百年近く前だろうが、拾った青年は幻太郎をモデルにしていると思わずにはいられない。
夢中でページを捲る。トイレのことも忘れて読み耽る、コンビニだというのに周りの音が聞こえない。自分の息しか聞こえない静寂の中俺はその話を読み終えた。最後の行まで読み終わって雑誌を閉じると途端に音が戻ってきた。フル回転していた脳味噌がストップして、最後のピースがぱちんとハマった気がした。
そうだ、俺が先に拾われればいい。幻太郎が誰かと結婚すんなら俺と先にすりゃあいいじゃん。
その後すぐに幻太郎の家に行ったけど、例の見合いに行ったのか鍵は閉まっていた。待つか、と思い玄関の扉の前にどっかり腰を下ろしてポケットの中でくしゃくしゃになっている煙草に火をつけた。
「おや、どうしたんですか?」
一時間だろうか二時間だろうか。煙草をふかしたり賽を弄んだりして暇を潰していると、ようやく帰ってきた。が、俺の知らない幻太郎が、目の前にいる。スーツを着て髪もセットして、普段の時ならいいんじゃね?とか言ったかもしれないけど今日はそんな姿は見慣れなくて、なんか嫌だと思ってしまった。
「昨日、気がついたらいなくなっていて心配したんですよ?」
「ああ、わりーわりー、寝付けなくてさ」
「帝統?」
幻太郎は心配そうな顔で俺を見る。まぁそうだろうな、公園でも橋の下でも、どこでも寝れるのが俺の特技だ。それなのにあの布団で眠れないわけない。幻太郎で言うところの、本が読めないくらいの異常事態だろう。寝付けないなんて言われたら驚くよな。
「あのさ、幻太郎」
名前を呼ばれて、困惑した顔で少し首を傾けた。
「俺と結婚してくれ」
「は?」
いつもの優しげな声ではなく、低い素の声だ。心の中に触れた気がして、嬉しくて思わず笑いそうになった。
「だからさぁ、結婚してくれねぇか、って」
「あの、取り敢えず往来ですから中に入ってください」
一世一代のプロポーズのつもりだったのに、幻太郎はとても冷静に俺を家の中に招き入れた。ただいま、と言いながらそれについて入った。
「ジャケットだけ置いてきますので、居間のクーラーつけててください」
「普段の姿の方がいい。着替えたら?」
クーラーのボタンを押して居間のちゃぶ台に先に座った。
幻太郎は五分もせずに部屋に入ってきた。着替えはしたが髪の毛はセットしたままなのでなんだか違和感がある。お盆に乗せたカルピスはどっかの出版社からのお中元だろう。氷がからんと音を立てる。どうぞ、と言われたので一気に飲む。薄めのカルピスで緊張で乾いた喉が潤う。
「で、確認なんですが……我々別に付き合ってないですよね?」
「は?当たり前だろ?」
「は?って何ですか、は?って。そもそも結婚ってどう言う意味ですか?」
「えー、言われたら説明難しいな」
自分の中でまだ答えが出ていないことだ。しばらく考える。幻太郎は俺が本気なことを感じ取ったのか、答えを急かすでも、笑うでもなく真剣な顔をして俺をじっと見る。
「あのさ、幻太郎がさ、楽しそうな時に隣にいるのが俺じゃないとヤダなって思った。だから誰かにその椅子を取られる前に俺のにしたいって思った」
そう言うと、幻太郎はぽかんとした顔をして、俺を見つめた。
「……つまり、帝統は小生が好きと?」
「あ!そうか!俺幻太郎のことが好きなんだ!」
「は?その自覚もなくプロポーズしたんですか?そもそもあなたにとってダチに対する好きとは何が違うんですか?」
「わかんねぇ!今わかったんだし。でも、乱数に対しての気持ちとかとは違うし結婚するって思ったら幻太郎じゃなきゃ嫌だって思う」
ちゃぶ台の反対にいる幻太郎の手をぎゅっと掴む。その手はいつもより少し熱い気がした。
「なぁ、作家だったら俺のこの感情わかる?」
「小生の想像になりますからね、回答は控えさせていただきますが、ひとつ、お伝えするとしたら、お見合いは破談になりましたよ」
「へ?」
驚いた瞬間、幻太郎の手を掴む力が緩んだ、そのスキに幻太郎は手を振り払った。
「今は結婚する気なんてないですからね、正直なところ大先生の顔を立てるために行きましたけど」
向こうもまだ二十歳ですし、と言いながら幻太郎はセットしていた前髪を無造作に前へと下ろした。いつもに近い顔になってなんとなく安心した。
「さて、それでも小生と結婚したいって言いますか?現状維持なら別に結婚しなくても構わないでしょう。それをわざわざ結婚するなんて酔狂なこと、あなたが言うはずもないでしょう」
「え?なんで?」
「は?」
「いや、結婚しとかねぇとまた同じこと繰り返すだけじゃねぇの?」
「つまり、俺のことが好きってこと?」
「だからさぁ、そう言ってんじゃねぇか」
幻太郎は突然顔を真っ赤に染めた。ようやく言葉通りの意味で好きだと言うこと、結婚したいと言うことを理解したようだ。じりじりと距離を詰めようと、にじり寄る。幻太郎は少し焦った顔で座ったまま後ろへと動く。
「幻太郎さぁ、俺のことは好き?」
「……友達としてなら」
「やだ。なぁ、好きつって」
どん、と幻太郎が壁にぶつかった。は、と驚いたような困った顔をしたけどもう逃げられねぇよ。覆い被さるように、視界を俺で覆う。
「言わせた好きになんの意味があるんですか」
「俺は嬉しいけど」
「貴方の言う結婚をしたら、何か変わるのですか?」
「何も変わらなくてもいいけど。拾った猫を飼い猫にして欲しいってだけ」
「ひろったねこ……あなた、もしかして読みました?」
「やっぱりあれ俺のこと?」
「意地が悪い!!」
「なんでだよ!」
幻太郎は観念したように大きなため息をついて、ああ、と素の低い声で唸り、頭を掻きむしった。やけになったときの仕草だと思った。もう一押しだろう。
「……好きですよ、ただ、それは世間一般的な恋愛という意味ではないかもしれません。貴方の好きとは違うかもしれません」
「別に世間がどう見ようといいじゃん?俺とお前さえよければそれが正解だろ」
「そう、なのか?」
「じゃあ、結婚するか!」
耳元に唇を寄せて、小さい声を流し込む。
「俺の一生賭けるから」
無言は肯定ということだろう、そう解釈して幻太郎の真っ赤な顔に唇を寄せる。ふわり、と柔らかい感触がして唇同士が触れ合った。時間にして二、三秒。
「誓いのキス」
へへ、と照れ笑いをすると幻太郎は泣き笑いをして、馬鹿な人、と笑った。
ありがとうございました!!!!!