お題「金木犀」
ねえ、帝統。金木犀って知ってます?ああ、はは。バカにしてるんじゃありませんよ。小生の生まれはほら、北国でしょう?地元では咲いていない花なんですよね。だから、嗅いだことがなかった。こちらに来て驚いたんですよ。こんなに香りの強い花があるんだって……なんてね。嘘ですよ。金木犀ってほら、芳香剤とかにあるでしょ。だから嗅いだことのないってのは半分嘘かな。本当に芳香剤そっくりな香りだ、だなんて逆のことを考えちゃいました。あなたは逆に芳香剤を嗅いだことがないって?ああそう、うちにはないですしね。今度買っておきましょう。別にいいって?まぁ、それはそうか。本物の方がずっと良いですからね。
ああ、話がずれちゃいましたね。金木犀だ。この木って、ぜんぶ雄なんですって。雄株。そう、日本中の金木犀はぜーんぶ男の子なんですよ。ああ、どうやって増えるかって?挿し木ですね。タネを植えるんじゃなく、枝を切って刺す。細かいことは小生も知りませんがね……まぁ、とにかく、普通の話みたいに雄蕊と雌蕊があって、虫が運んで、ってやり方を以てして実を結ぶことがないんですよ。
んん?何を考えてるかって?ふふ、それは貴方が考えてくださいな。事実じゃなくてもいいんです、貴方が考えたことを知りたい……なんてね、嘘ですよ。
金木犀、覚えました?知ってるって、まぁそりゃあそうでしょうけども。なんでいつも花の名前を教えるのかって?そうですね、今日は気分がいいので答えてあげましょう。これは呪いです。ふふふ、嫌そうな顔をしましたね。――いつかね、俺の前から貴方がいなくなったら……或いは、貴方の前から俺がいなくなったら、この花の名前を思い出して欲しいんですよ。ああ、貴方は今後ずっとこの馥郁たる香りを嗅ぐたびに俺を思い出すんですよ。二人の道わが別つ時が来ても、その時は一瞬でも良い、俺のこと思い出してくださいね。
金木犀の枝を貰った。
香りに惹かれていつもと違う道を歩いていると、綺麗な金木犀の庭木があった。それをじっと見ていたら、物欲しそうに思われたのか分からないが、庭の手入れをしていた見知らぬじーさんが切って新聞紙でくるりと巻いて渡してくれた。枝を切って地面に刺すと、根も付くなんて育て方まで教えてくれたからほうほうと聞いておいた。まぁ俺には家なんてないから、その金木犀は当たり前のように幻太郎の家に持っていった。幻太郎は嬉しそうに、良い香りと新聞紙で束ねただけの簡素な枝を顔に近づけて微笑む。オレンジの小さな花は幻太郎によく似合う。喜んでくれた、それが嬉しい。いそいそと花瓶を出して活けた。幻太郎の家中が金木犀の香りでいっぱいになった。
「秋がきましたね」
「なぁ、幻太郎。金木犀の話してくれたこと覚えてる?」
俺は一年前のあの日を思い出していた。二人で散歩をしていた時の話を蒸し返した。幻太郎は覚えてるのか覚えてないのかわからないけど、少し目を伏せた曖昧な表情で唇だけ笑いながら覚えてますよ、と呟いた。
幻太郎は俺に花の名前を教えたがる。散歩をしている時に見つけた野草から、メジャーな花に関しては名前ではなくトリビアみたいなものを教えてくる。いつもは嘘ばっかりなのに、その時だけはなぜか本当を伝えてくる。
あのときにどうしてかって聞いたら、それは呪いだと、笑いながら幻太郎は言った。
いつか俺が幻太郎の前から消えるもしくは逆のことがあった時に、俺が彼のことを忘れたとしても思い出すようにと。
そんなことしなくても忘れねぇよ、と思ったけれど素直じゃない彼に言ったところで素直に受け取ってくれないのは分かってる。俺は彼の呪いを受けるしかない。
「なんであの時に呪いだって教えてくれたんだ?」
「ああ、あれは小生のきまぐれ――」
「まぁそれもそうかもだけどさぁ、幻太郎のことだから理由あるだろ。ずっとそれを考えていた」
花の名前を教える行為。まぁあれは俺にとっては呪いじゃない、祝福だ。
花の名前ひとつ、俺の人生には大して必要のないものだ、それが幻太郎が俺に名前を教えるとこで一つ輝く。モノクロの世界がまたひとつ彩られる。世界の解像度が上がる。共有できて嬉しくなる。
幻太郎は俺のこといつかいなくなる根無草だと思っている。だから、花の名前を思い出していつかの日に自分のことを思い出して欲しいと思っているようだ。
「実を結ばない、って言っていただろ?それが理由かなって」
幻太郎の肩がぴくりと震える。ビンゴ、と思いながらここまで来たら言葉を選びながらも突き進むしかない。
「俺はさ、お前が好きだ。一緒にいて楽しいし、ずっと側にいたいって思ってる。幻太郎はどう?」
「意図がなかったといえば、嘘にはなります。好きではないといえば、それも嘘に」
「花をくれたじーさんに聞いたんだ。この木切って刺したら一年くらいで根が生える。んで、花が咲くまでは七年くらいかかるんだってよ。俺はさ、この一年お前のことばっか考えてるうちに根が生えちまったんだよ」
「……根無草の貴方が」
「一生、俺に花の名前を教えてくれよ」
幻太郎は俯いて、大きく一つ息を吸い込んだ。きっと彼の身体の中には金木犀の香気で満たされたことだろう。
「呪い、かけられちゃったな」
幻太郎は泣きそうな顔で笑いながら、それを判断するのはとりあえず一年後ですかね、なんて言った。とりあえずの一年契約を結んだが、庭に金木犀を植えて、この香りを忘れないようにしたいと思った。
今やっと幻太郎が花の名前を教えたがったのかわかった。だから、この呪いは一生続けばいいなと思った。