「うわ……本物??」
「まあ、本物」
「『夜道に気をつけろ』ってもしかしてこれのこと?」
ため息をついて、私は「なんで今さら……。あ、私の記憶だけ消すの忘れてたことに気づいて記憶消しに来た? 私かなり抵抗するよ? 佐藤くんのこと忘れたら私の走馬灯で流れるものなくなるからね」とちょっと焦る。
佐藤くんはどこかまんざらでもない顔をして、「ふーん」と言った。
「べつに、そういうんじゃないよ」
「じゃあどうしたの? というかなんで今まで会いに来てくれなかったの?」
「あのね、ぼくときみの星はどんなに急いでも片道四年はかかるんだ。八年っていうのは一度星に帰ってからまた地球に帰るまでに必要な時間なんだよ」
「そうなんだ……」
「まあいいや。どっかで話さない? 奢るよ」
そんなどこかで聞いたようなセリフに、私は思わず笑ってしまった。私たちはゆっくり歩き出した。
「星に帰ったらクーデターが起きていて」
「それは……佐藤くんが起こしたやつじゃなくて?」
「ぼくがクーデターを起こした事実はなくなっているし、ぼくはクーデターを起こした佐藤くんじゃないよ」
「クーデターを起こした方の佐藤くんは今なにしてんの?」
「……さあ。どこに行ったんだろうね」
話を戻すけど、と彼は言う。「ぼくが帰ったら国家転覆していて」と話し始めた。佐藤くんの星、なんですぐ国家転覆してしまうん? と思いながら私は聞く。
「これまで『他星滅ぼすべし』一辺倒だった方針が『他星征服すべし』に変わっていた。地球が滅んでいないのはそういうわけだ」
「え、じゃあ地球って征服されるの?」
「その予定」
「えー??」
やだなー、と私は思わず嘆いてしまう。「征服されるなら滅んでほしい。私、その時になったら戦うかも」と顔をしかめた。
「到底かなわなくても?」
「うん、まあかなわないだろうけど。それで死んだらそこまでの人間だったってだけだし」
「きみを助ける方の身にもなってほしいな」
「そんなの、この宇宙にそんな奇特な人が佐藤くん以外一人でもいればでしょ」
「だから、“ぼくの身にもなってほしい”って意味で言ったんだけど」
私はよくわからず、「? なんかすみません」と謝っておく。彼はため息をついた。
「まあ、ぼくが危惧していたのは、クーデター自体が《《一度目》》の因果をなぞって起きたことかもしれないということだった。そうするときみの死も《《一度目》》と同じように発生してしまうかもしれないと考えたんだ。だからぼくなりに急いでこっちに戻ってきた。……元気そうで何よりだけど、さっきの『夜道に気をつけろ』っていうのは何? 僕の記憶が正しければ好意にも敵意にもなる言葉だった気がするけど」
「殺意よりの敵意かな」
佐藤くんは呆れた顔で、「なんできみって子はそう……戦闘民族なの……?」と私を見る。
「命より尊厳の方が大事、みたいなのはさ、生まれたときと場所を間違えたんじゃないかな」
「それは私もたまに思うけど、結局いつどこに生まれても上手くできたと思えない。たまたま佐藤くんと同じ時代に生まれて佐藤くんがこの星に来たおかげで生き延びてるとしか思えない」
「わかってるならもうちょっと自分の命を大事にしてくれないかな。そうそう何度も時間を巻き戻したりはできないんだよ」
私なりに丁寧な暮らしを送っているつもりだけど、普通の人はあまり『夜道に気をつけろ』みたいな脅迫をされることがないんだろうから私にも落ち度があるんだろう。
「佐藤くん、いつまでこっちにいるの」
「この星が征服されるまでかな。地球を滅ぼさないぼくなんて、もうなんの興味もない?」
私はじっと佐藤くんのことを見る。「そんなことないよ。好きだって、」と言いかけて私は黙った。そういえば私が好きだと伝えたのは、六年後から来た――――クーデターを起こした方の佐藤くんだった。私は少し迷って、「どうかな」とはぐらかす。
「まだぼくのことを怒っているの?」
「まあ、佐藤くんにとって私って犬や猫だもんね。ペットにそんなに構う人って地球では珍しいよ。わざわざ星の間を飛び越えて、会いに来てくれるんだから」
「そのことは正式に謝罪したい。あの時のことは、」
言って、佐藤くんは私の前に回って私と視線を合わせようとした。
「あの時のぼくは、いささか調子に乗っていたということを認めざるを得ない」
「調子に乗ってた?」
「まず一つとして、ぼくがきみにその……《《失礼な行為》》をしたとき、きみの反応がそれほど悪くないように見えたこと。それで……これが非常に大きな要因なんだけど、」
彼は一瞬視線を彷徨わせて、空咳をする。
「はじめて人を好きになって、ぼくは浮かれていた」
私は立ち止まった。
彼の顔をまじまじと見つめる。顔が火照っていくのを感じた。
「カケイさん、好きだよ」
そんなこと急に言われたって、困る。
佐藤くんは私の顔を覗きこみ、慎重に「キスしても、いい……ですか?」と確認した。
私は両手で自分の頬を押さえる。熱い。
なんだよ。なんだったんだよ、この八年間の失恋気分は。
絶対に叶わないと思っていた。もし佐藤くんがまた目の前に現れたとしても、本当の意味でこの想いが彼に届くことはないのだと。
あの日の彼も、そうだったのだろうか。今の彼と同じ顔で、私にすきだよと言った彼も。
「そ、そんなに嫌?」と彼が言う。私の涙を見てあたふたしていた。
私はちょっと彼を睨んだ。言いたいことがたくさんあった。
でも本気でしょげている彼を見ると、『許してやってもいいな』という気持ちになってくる。それから私は左手を出した。彼はそれを見て、目だけで『いいの?』と訊いてくる。私は自分から彼の手を握った。
「同意する。……これからの、一生分」
彼が私の手を引き寄せ、肩から下げていた鞄が落ちる。
唇が触れた。私と同じタンパク質の塊らしい彼の、唇はやわらかい。
目が合った。笑った。
恋って面倒だ。心の中に、宇宙でたった一人――――この人でしか満たされない部分がある。
もし彼もそうなのだとしたら、私は“そうでなかったはずの彼の人生”に呪いをかけたことになるだろう。お互い様だということにして、私たちはこれからの人生をその呪いと共に生きていこう。二人で、生きていこう。
恋のことを、いつだか彼は『星の心中願望』と呼んだ。たぶん、そうなのだと思う。“この人と死にたい”と“この人と生きたい”はほとんど同義だ。私たちは恋のために生きて、恋のために死ぬ。そういう愚かな生き物で、このたび彼も愚かな生き物の仲間入りをしてしまった。
手を繋いだ。必ずどちらかの歩幅に合わせなければならず、片手もふさがる非効率的な移動方法を、私たちは喜んでした。
「わかっていると思うけど、私は面倒な女だよ」
「わかっていると思うけど、ぼくは調子に乗りやすいんだよ。あと場合によってはクーデターを起こしたりする」
「私を受け入れられるのってあなただけで、あなたを受け止められるのも私だけだと思うな」
穏やかな声で「ぼくもそう思うよ」と彼は言った。
あの男が訪れたのは、|宇宙船でまどろんでいる最中だった。一応誰にも見えないよう細工をしていたし、何より顔認証と暗証番号による認証を突破してきたので驚いた。
「誰だ?」と尋ねると男は「誰だと思う?」と返してくる。ぼくは「……さあ。似たような顔ばかり見ていたからわからないな」と言ったものの、それが自分自身であることはすぐにわかった。
「六年後から来た」とそいつは言う。「彼女が死んで、六年経ったところから」と。
「《《彼女》》って?」
「|筧|篷だ。今日死ぬはずだった」
「カケイさん、が……?」
男は自分のもののように(実際自分のものではあるんだろうが)宇宙船でくつろぎながら話をしている。
「夏祭りの日に彼女がクラスメイトに反感を買い、それがきっかけになって殺された。さっき阻止してきたよ。彼女は怪我をしているが、無事だ」
ぼくはほっとして、この星の通信装置である端末を取り出した。彼女と連絡を取りたいと思った。
それからふと、「そのために過去に戻ったのか? どうやって?」と尋ねる。
そいつは自分がしでかしたことを全て話した。ぼくは耳を疑い、「どうしてそこまで……」と呟いた。
「そうせずにいられるか?」とそいつは言う。「彼女のいない世界で、何もせずにいられるのか」と。
そしてそうせざるを得ないということは、目の前の男が証明していた。
「こっちに戻ってきた暁には、|六年前の自分を殺して成り代わって生きていこうと思ってたんだけど」
「我ながら最悪だなぁ」
「彼女と話して、気が変わった」
目の前の宇宙犯罪者は、目を伏せて言った。
「ぼくの夢を見ていたんだって」
「え?」
「ぼくのことを、ずっと呼んでいたんだって」
彼女、と呟く。
「それを聞いたら、ダメだった。最期までぼくのことを呼んでいたかもしれない《《彼女》》のことを考えたら、もう……ダメだった。ぼくはここより先にはいけない」
ぼくはその言葉が不可解で、怪訝な顔をしてしまった。六年後の自分は寂しそうに笑う。
「ぼくは確かにあの子の命を救ったけれど、じゃあ、あの日死んだ彼女はいなかったことになったんだろうか。最期までぼくを呼んでいたあの子は」
「……いないんじゃない? その未来はなくなったんだ」
「でも、|六年後から来たぼくと|六年前のおまえは同時にここにいて、存在が分かたれている」
ぼくは黙ってしまった。確かにこの男が過去を変えた時点で、ぼくとこの男の存在は完全に分かたれてしまった。今日死んだはずの彼女といま生きている彼女が同一の存在であるとどうして断言できるだろう。
彼女は死んだのだ。死んだ彼女は確かに存在していたのだ。
「だからそれをなかったことにしてしまったぼくは、ぼくだけは全てをやり直すことなんてできない。ここからの時間はおまえに譲るよ。彼女のことをよろしく」
男は言った。それから疲れたように目を閉じて、「随分と遠回りしてしまったな。みすみすあの子を死なせてしまったということを、ようやく受け入れられただけの旅だった」とため息混じりに呟く。
ぼくはぽつりと、「恋ってなんなんだ」と尋ねていた。
「繁殖だけじゃなく人生すらたった一人に捧げるなんて、ひどい自傷行為だ。恋って一体なんなんだ。|ぼく《おまえ》は恋なんてするべきじゃなかったんじゃないか」
そうだね、と男は言う。「恋なんてするべきじゃなかった。本当にそうだ」と言いながら、なぜか男は笑った。
「でも、見つけたんだ。ぼくはこの星で、やっと。そう思う」
「見つけた?」
「彼女のことを。たぶん恋というのは、そういうものだよ。ずっと彼女のことを、探していたような気がする」
男は目を開けて立ち上がり、|宇宙船を出ようとする。最後に「もう二度とクーデターなんて起こす羽目になるなよ」とだけ、言った。