とりあえず今日はふみひらきの二日目を書くのと、手向けに花を献、そしうて姉妹百合としている開発日記を書くなどする。それ以外に余力が残っていたり、明日の休みが執筆中に確定すれば秘密基地と彼女の翼を捥ぐ話など、それらを書いてお茶を濁す。まあ、今日からはきちんと文章に向き合いたい気持ちがあるので見ていてくれたらな、という気持ち。
別に文章に今まで向き合っていなかったというわけではない。そりゃほとんど毎日小説の構想を考えて文章を紡いでいた自負はあるから、そりゃ向き合ってなかった、なんて思わなかったけれど、それでも少しがさつになってきていた、という自覚はある。毎日触れるものだからこそ、こんなものでいいや、と妥協点を勝手に見出すような、そんながさつさ。それから卒業できるように、とりあえず書いていこうと思う。まあ、それはそれとしてパソコンが重たいのが気になるけれど、頑張ります。
よし、書くか。
アイルビーファイン 二日目「風鈴」
◇
意識は一瞬で景色に飲み込まれていった。爽やかささえ感じてしまう青い景色に心が奪われてしまったのは確かだが、それでも目の前に広がる非現実的な光景が、その実感を覚えることを忘れてしまった。
私が存在している場所はどう見たって病棟の一室でしかない。外の景色と比較してみれば、病棟の眩しいほどにまで障ってくる白さがその証明だとも言うことができる。この部屋から抜け出すことのできる扉でさえも白でさえ彩られており、そこは確かな病室であるということを語ることができる。だが、それにしてはこの窓から見える外の景色というものには歪さを覚えることしかできない。
一瞬夢なのではないか、とそう思う。そう思えば辻褄が何もかも正しくなるような気がする。自分を落ち着かせるために荒唐無稽な現実を忘れて、その上で納得できればそれでいい。けれど、それにしては現実味のある空気が肺を絆しているような気がした。
「──」
声は、やはり出ない。これが本当に夢だというのであれば、きっと声のひとつでさえも出せるだろうけれど、そんな小さな願い一つかなえられないのであれば、これはきっと現実ということで間違いはないだろう。さして夢というものに期待を抱いているわけではないけれど、それでもそう考えた方が理屈が通る、通るような気がする。
はあ、と息を吐きたくなった。ため息をついたけれど、それも喉を引きずったような声が鳴るだけだった。それもいい音とは決して言えないもので、ずず、と肺から絡む何ものかわからない感触に不快感を覚える。けれど、それでもこの足は進めるしかない。
遠くからナースコールは響いている。びー、びー、といつまでもその音を止める人は現れないし、そうして私の前に看護師の存在や、医者という存在も現れることはない。なら、結局私はひとりで行動するしかないのだ。
二度目の溜息を吐いた。これは現実に対する憂いなどではなく、決意を振り絞るための息。それを吐き出し終わった後、動かすことのできる足を使って、点滴がつけられている台車を引きずりながら、そうして五月蠅い景色へと足を向けた。
◇
白い景色がずっと続いていた。
病室から抜け出せば、そこには廊下が広がっていた。白色のコントラストを永続的に広げさせて、その間隔を強調するように中央には黄色い線が引かれている。黄色なんて久しぶりに見たな、と感じてしまうほどにこの世界の色は極端にしか私の目には入ってこない。
点滴台となっているキャスターについてはあまりいい音を響かせていない。固定をするための留め具が引っ掛かっているのかと屈んではみたものの、私の期待するような存在はそれらにはついておらず、ただ単に古びたことによる経年劣化、ということで説明はつきそうだった。
廊下に出てからも人を見かけるということはなかった。廊下、とは言いつつも、それはどこかで見たような学校のそれよりも小さいもので、どこか一軒の個人の家、という雰囲気が言葉としてはふさわしい。それでもここまで白を基調とした彩を溢れさせているのには頭が参ってしまいそうな気分にはなるけれど、病院という風に考えるよりかは誰かの家、と切り替えた方が頭が疲れないで済むからそれでいい。
病室を出れば左の方向から音がした。部屋の扉をくぐっただけだというのに、それでも距離としては近づいているようで、遠くからでも五月蠅かった音が更に近づけば耳鳴りのように喧しく感じる。頭を破壊するような錯覚を覚えそうなそれを早く富めなければいけない、と点滴台に一部の体重を預けるようにしながら、そうして音のする場所へと足を向けた。
すぐに音の元凶であるナースステーション、……と言っていいのかはわからないものの、ともかくとして五月蠅い音を奏で続けている場所を見つけることができた。
どこかの居酒屋、もしくは夜のバーのような雰囲気のあるカウンター。白を基調としている風景の中に、これでもかというほどに木造りであることを誇張したようなそれに眩暈を覚えてしまいそうになる。どうしてこれだけが木造りなんだろう、と設計者に対して苛立ちにも似たような気持ちを覚えそうになりながら、私はともかくとしてそのカウンターの中へと入っていた。
ひとまず先にナースコールのなっている場所から手を付けた。赤いランプがカウンターの内側で光っており、どうやら私の病室から呼ばれていることを示しているようだった。それもそうだ、私が鳴らしたのだから。それを私自身で止める、というのはどういう因果なんだろう、とそんなことを思いながら、適当に赤く光っているボタンを押した。それによって音はようやく静かになった。
静かになり過ぎる空間の中、私はようやく安堵にも似た気持ちを抱える。何も進展南下してはいないものの、それでも一つの課題をやり遂げたような気分に達成感さえ抱きそうになって、ぐっと誰にもばれないようにこぶしを握り締めた。まあ、それさえも認識できるのは私しかいないのだけれど。
音を止めてから、私はようやくカウンターの内側、そしてそこから続くナースの居所である場所を眺めるようにしてみる。
やはりここは病院、というよりも一軒家のような造りにちかいようなきがする。カウンターの内側に部屋は続いてはいるものの、そこには誰かの仕事をするためのデスクが二つ並べられているのと、最奥の方にもう一台のデスク。だが、特にパソコン類などが置かれている様子はなく、小学校の時に使ったような厚紙のフォルダーなんかが積んであるように並べられているだけだった。
そしてもちろんそこに人はいない。物音はしないし、私が呼吸を運んでいる音だけが耳に触れる。それ以外には何も感じないし、何も聞きとれはしない。
ただ、カウンターのそばには電話機のようなものが置いてある。それは知っているようなデジタルのものではなく、車輪を回すような黒電話というアナログの知れ者ではあったけれど、それでも電話がすることができる機械があることに、私は少なからず希望のようなものを持った。
誰のものかも知れないものを勝手に使うことには罪悪感があるものの、それでもこの状況では致し方がないような気がする。もしこれで私が責任を追及されるようなことがあったとしても、入院をして錯乱した状態で電話をかけた、と言えばそれなりの理由として取り繕えるものかもしれない。だから、私はとりあえずとばかりに黒電話の受話器を取って、それからダイヤルを回すことにした。
どこにかけよう、とそう思った。
何か思いつくような番号があればいい、と記憶を勝手に頼りにして指を動かそうとしたけれど、思いつくような番号は何一つない。それでも常識の中に保存されている救急の電話であったり、警察の番号なんかを思い出すことはできたから、とりあえずそれらの番号を回してみて、受話器から聞こえる音に耳を澄ます。
けれど、反応はなかった。そもそも、この受話器からは、ツー、と無機質な音が発せられているだけで、どれだけ何かしらの行動をとっても、その音が変化することはなかった。
なるほど、世界はそうたやすく私の希望を叶えるということはないらしい。そもそも、声が出せない私のこの身体の状況の中で電話を使う、というのは少々無理があるのではないか、とそんな実感さえ抱いてしまう。
だが、それでも人と話したい。
話したい、というよりかは何かを聞きたい。私がどうしてこのような状況の中にあるのか、私は何者であるのか、私はどうしてここにいるのか、ここはどこであるのか、そんなことを誰かに語って聞かせてもらいたい。
私はひどく孤独なのだ。あまり考えないようにしていたけれど、それでも考えれば考えるほどに心の隙間が否応なく広がっていく感触に心臓がちくりと痛くなる。
何か、何か手がかりはないか。誰か、そこにはいてくれないだろうか。
そう思いながら、私はナースステーションではないカウンターからゆっくりと抜け出していく。先ほどの病室から見えていた景色を想像しながら、この階が上の回想であることを思い出して、そうであるならば下に行かなければ、と改めて力を奮い立たせる。まずは階段を見つけなければ。
そんな気持ちになれば、いてもたってもいられなくなって早速行動に移してみる。身体が俊敏に動くわけでもないし、どことなくふらつく感覚を私は覚えそうになるけれど、それでも力を振り絞って、誰かに会いたい気持ちで足を動かす。そうやって見つけることのできた階段を点滴台を抱えながら下って行って、それからようやく聞こえた外の音に、私は胸をなでおろした。
綺麗な音だった。ちりん、ちりん、と風になびいた鈴の音が聞こえた。
先ほどの場所から下れば、そこには病棟の受付のようなカウンターがまたひとつ開かれている。すぐそばには入り口が設置されていて、そこからは私が先ほど見たような世界の青色が凝縮されている。入り口のそばには短冊のかかっている風鈴が見て取れており、外の世界から運ばれた空気がそれを揺らしていることが分かった。
ああ、よかった、と私は思った。そんな感慨を覚えたのは、目にした風鈴に対して人がいる雰囲気、人のにおいを感じ取ることができたからかもしれない。
私はゆっくりと入り口の方へと近づいていく。風鈴を目印とするように、緑色の短冊がかかっているそれへと顔を近づける。その短冊に葉何が書かれているだろう、そう思いながら私はその緑紙をめくりながら、そうして私自身でその鈴を鳴らした。
『どこかにいけますように』
子どもが書いたように、大きさにバランスが取れていない文字。拙いといっても差し支えないような字。それでも、その文言の舌には何かが滲んだようなシミが見えた。
これは誰が書いたものなのだろう。それを想像するだけで胸が苦しくなるのは、私が感傷的になっているだけなのだろうか。
わからない。なにもわかりはしない。言葉だけで何かを読み取れるということはしない。それを想像するのは人の勝手な傲慢さでしかない。私はそれを見たとしても、見たという情報しか得られることはできない。
「──」
どこかに行ければいいね。
そんな声を吐き出したかったが、結局かすれた息を残すばかりで、音は形になることはない。
──けれど、進展はあったのかもしれない。
「──っ」
声にはならなかったけれど、途端に猛烈ともいえる眩暈が私の頭の中を襲ってくる。それがどのようなものをトリガーとして起こったのかはわからないけれど、それでも地面をめくるような重力感の不安定さに、私の意識は再び暗闇の中に取り込まれていく。
『どこかにいけますように』『どこかにいけますように』『どこかにいけますように』『どこかにどこかにどこかにいけますように』『どこかに、とおくに、わたしのしらないばしょに、いけますように』
「だれもしらないどこかにいけますように」
そんな声が頭の中で残響を繰り返した後。
──そうして、世界は、暗転した。