グランドラインとはいえ、海中は静かなものだ。
強い海流や巨大な海王類に注意は必要だが、クルーはみな歴戦の海賊。
余程のことがない限り船長の口出しは不要で、ローには部屋でゆっくり本を読む暇さえある。
当番になっている仲間は忙しなく動いているだろうが、休憩中の他のクルーたちもきっと、自室や食堂でつかの間の娯楽に興じているだろう。
キリのいい所まで読み、しおりを挟んで一度本を置く。
小さく声を出しながら背すじを伸ばして肩を回し。
ふと、気づいた。
部屋の扉が、ほんの数センチ開いている。
まだ扉が動いている気さえする。
きっと今しがたのできごとだ。
クルーが開けたのであれば、当然声をかけるはずだが、音も無かった。
もちろん、ローが本を読み始めたときには完全に閉まっていた。
たったそれだけのすき間だが、なんとなく気持ち悪い。
中途半端が一番良くないのだ。
ローはしぶしぶ立ち上がり、扉へと手を伸ばす。
一度廊下に顔を出し、周囲を確認。
と、廊下の突き当りのドアも、数センチ開いていた。
遠目だが、これもわずかに揺れているように見える。
その奥にチラと白が見えた気がして、ローはひとつ息をこぼす。
「いったい、どいつのしわざだ」
悪戯なのか、うっかりなのかは知らないが、こういった気のゆるみが思わぬ事故につながるものだ。
苦言してやろうと、ローは白い影を追いかける。
廊下の突き当りのドアは重量のある金属製で、ローが開くと掠れたような高い音を鳴らした。
白い影は、ドアから続く廊下を右に曲がったように見える。
「おい、待て……アー」
名前を呼ぼうとして、出てこなかった。
白い影の正体が誰なのか分からなかったのだ。
ハートのクルーたちはおそろいの白いツナギを着ていながら、それぞれ帽子や髪型にわかりやすい特徴があるはずなのに。
背恰好や動きの特徴で、後ろ姿や遠く離れた姿からでも誰が誰だかわかるはずなのに。
そうやって何年も一緒に旅してきた、はずなのに。
ローの足が自然と早まる。
ガラにもなく焦っていた。
白い影と同じように右に曲がる。
鉄製の階段を登る足音が聞こえる。
影の足音よりも早い音を鳴らし、ローも続く。
すぐに追いついてやる。
階段を登った先にある扉は開いていなかったが、同じ階段を登ったのだ。
この先にいるに違いない。
ゴツい扉の取っ手を握り――。
「何してるんですか、キャプテン」
「あ?」
背後から声がした。
ペンギンだ。
彼はローの肩に手をかけ、グッと力を入れた。
声色は固く、重く。
「そこ、甲板に出るハッチでしょ。まだ潜水中なんだから、開けちゃダメです」
「あ」
ローは呆けた顔をして、ペンギンを見て、ハッチを見て、もう一度ペンギンを見た。
背中にぶわりと汗がにじむ。
白い影に夢中で、まったく気がつかなかった。
もしもあのままハッチを開いていたら、間違いなく全滅していたはずだ。
「ね」
ペンギンが、温かい手で優しくローの手をとった。
ハッチの取っ手を握っていた方の手だ。
手を離すことすら忘れていた。
「あ、ああ。そうだな」
「温けェやつ作りますよ。牛乳の、甘ェやつ」
「たすかる」
ペンギンに手を引かれながら、ローがもう一度だけハッチをみやる。
一瞬、丸い小窓から、恨めしそうな白い顔が見えた気がした。