後ろから小さな話し声が聞こえて、振り返る。
声の主はパッと目を逸らして、何事も無かったかのようにどこかへ行ってしまった。
「感じ悪ィな」
「いいんだ。行こう、ヘルメッポさん」
あからさまに顔を歪めるヘルメッポの手を引いて、コビーは歩みを進める。
すると突然肩にヘルメッポの腕がまわった。
「びっくりした! 突然なに?」
「まったく、おれらみたいな下っ端はコビーのおかげで命を拾ったようなモンなのに。あいつら恩をあだで返しやがって……お前、気にすんなよ」
「何も気になんてしてないよ。いいからどいて。重いったら!」
気にしてないなんて、真っ赤な嘘だ。
いろんな尾ひれのついた噂が本部をかけ巡っているのは、コビーもよく知っている。
見聞色の覇気に目覚めたから、小さなヒソヒソ声だってそこかしこから聞こえる。
それらを『気にしない』なんて、今のコビーにはとうてい無理だ。
自分だって、あれが本当に正しかったのか、まだ迷っている。
迷って、悩んでいる。
いや。冷静に考えると、あれは反逆だ。
軍の規律から逸脱した行為だった。
先の戦争で、上官――しかも大将であるサカズキに真っ向から意見し、暴言まで吐いたのだ。
本来ならば海の果てまで追うべき対象である海賊を、背にかばって。
たかだか一海兵がそんなことをして、簡単に許されるはずがない。
「僕はなんてことをしてしまったんだ……ハァ……」
「気にしてるじゃねェか、思いっきり」
「してるけど。悪い?」
「いいえ、存分に。コビー曹長」
本部にはコビーを擁護する声も多く、表立った罰はなかった。
だがそれが人々の想像をよけいに駆り立てる。
人の噂も75日とはよく言うが、その終わりは今のコビーにとって海の果てよりも遠いものに思えた。
「ヘルメッポさんのその軽口が、むしろありがたいよ」
「重症だな、こりゃあ」
ヘルメッポが頭の後ろを掻いた、ちょうどそのタイミング。
二人の目の前に現れたのは、直属の上司であるガープだった。
「お疲れ様です、ガープ中将!」
「おお、こんな所にいたのか二人とも。コビー、お前に用がある。ちょっと来い」
「え、僕?」
並んで敬礼をして叫ぶように挨拶をすると、ガープがコビーの肩を重量感のある手で掴む。
コビーが慌ててヘルメッポを見るが、彼も頭を左右に振り、訳が分からない様子をみせた。
ガープはいつも突然だ。
いきなりで、強引で、でもどこか気持ちいい。
まさしく海賊ながら尊敬するルフィの祖父である。
「お前、いろいろ言われて落ち込んどるそうじゃな」
「……はい」
「ぶわっはっはっは、うける」
「なんで笑うんですか!」
こういうところもよく似てる。
「あれがお前の正義だった。なら、胸を張りゃあええ」
「僕は衝動的にそうしてしまっただけで……胸を張るだなんて、そんな……」
「ふーん」
彼は鼻をほじりながら、興味なさげに相づちを打った。
それ以上何も会話はうまれない。
少し雰囲気が重い気がして、不安と、自己嫌悪と、悪い妄想が頭の中に湧いて爆ぜる。
足を動かしてなかったら、へたり込んでしまいそうだった。
そうやって二人が向かったのは、マリンフォードの街並みから少し外れた緑の多い住宅地だ。
戦火を逃れた区画で、避難した住民はだいたい戻ってきている。
ガープは迷いなく道を進み、とある小さな一軒家の前で足を止めた。
海と空、そして海軍を思わせる、青と白の美しい家だ。
窓辺には植木鉢があって、寄せ植えされた色とりどりの花が風で揺れて手招きしている。
ガープが襟元を少し正してドアをノックした。
コビーも彼に習い、教本通りの『きをつけ』で待つ。
ドアを開けたのは、白髪交じりの女性だった。
歳はおよそ50前後だろう。
彼女はガープを見てから、コビーを見るなり目に涙をたっぷりと溜め、鼻をすすり、二人を家に招き入れる。
ガープがこっそり「先の戦争で退役したやつの家だ」と教えてくれた。
彼女は廊下を進んだ先、ひとつのドアの前で止まる。
ガープは部屋の外で待つらしい。
心臓が高鳴る。
深呼吸をひとつだけして、コビーは扉をノックした。
入室を促す声があり、部屋に入る。
男がひとり、朗らかな表情で椅子に腰かけていた。
彼を見て、コビーの呼吸が一瞬止まる。
両足が無いのだ。
彼が座っているのはよく見ると車いすで、それを器用に操作してコビーに近づき、手をとって、深く深くお辞儀をする。
「あなたにずっと会いたかった」
「え……」
「会って、お礼が言いたかった。ありがとう、あり、がとう……あなたの勇気ある行動のおかげで、私は冷たくならずに、ここへ……帰って来られた。本当に、グスッ」
「息子はあなたに助けられた、と。私からも、ありがとうございます」
女性も男の横に並び、コビーに頭を下げた。
思いもよらず、混乱して、しかし彼の手のぬくもりがコビーの思考を現実にもどす。
鼻の奥がツンと痛んだ。
「あの、その、頭を上げてください」
コビーは慌てて言った。
自分はまだまだ未熟者で、彼らからの感謝は身に余る。
ただの結果論だ。
いろんな偶然が重なった。
それだけなのだ、本当に。
コビーはずっと迷っている。
迷って、悩んでいる。
あの行動が本当に正しかったのか。
あれが自分の正義だったのか、と。
その答えは、彼らと向かいあった今でも分からない。
自信がない。
そんな自分が、恥ずかしい。
しかし自分が自分をどう思おうと、いま目の前にいる彼らには関係ない。
『命がある』という結果に、二人は感謝しているのだから。
もしもコビーが受け取らなかったら、彼らの素直な感謝はどこへ行く?
今だ。
今、ここで正義を掲げよう。
恥ずかしがっていられない。
背中を丸めてなんていられない。
自分の未熟さも、起きた結果も、いいことも、悪いことも、すべて実直に受け止め、真正面から向き合おう。
正解なんてわからない。
答えなんて見つからない。
まだまだ悩んでいくけども。
命は尊い、こればっかりは真実だ。
ガープの言葉がよみがえる。
コビーは精一杯胸を張った。
鼻をすすって、背すじを伸ばし、かかとをくっつけ、拳をにぎって背中の後ろに。
今の自分ができる、一番の敬礼で彼らの感謝に応えたい。
「僕は、僕の……正義を貫いただけです!!」
きをつけ、一礼、回れ右。
教本通りの動きだ。
しかし心に宿る決意の灯火は、教本からは学べない。
「ずいぶん姿勢が良くなったな」
部屋から出てきたコビーを目にして、壁に背をもたれたガープが満足げに言った。
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僕の正義
初公開日: 2025年08月23日
最終更新日: 2025年08月24日
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戦争後、落ち込むコビーが決意する話を目指す