田中さんは湿った空気のまとわりつく真夜中、築三十六年のマンションの一室で知った、きみが以前おかした間違いについての話をしてください。
しばらく前から、二人で、古い家に住んでいる。生きてきた年数より長く建っているそのアパートは、古いかわりに広いのが取り柄だ。ここで、一緒に住むようになってしばらく経つ。で、俺たちは、多分、喧嘩をしていた。
真夜中で、空気が重たかった。でも空気が重たかったのは、実際に重たかったのではなくて、自分の感情と感覚の問題だったと思う。佐藤は突っ立ったまま、「でも」と言って、黙り込んだ。正解を探していると感じて、それすら不快だった。
正解を探さなくていいから俺に向き合って欲しかった。
酒を飲むのは俺の人生のパーツに含まれていなくて、でもその日、俺は酒を飲んでいた。佐藤が出勤していった一三時にコンビニに行って買ってきた酒を飲み始めて、佐藤が上司に送られて帰ってきた二時半まで、ずっと飲んでいて、空気はずっと、重たくなった。
「こんなことになるなら仕事なんかしない方がいいかも」
ぽつり、と佐藤が言った。「ずっと一緒にいて、ずっと見張ってた方がいいかも」
俺は立ち上がって、ふらつきながら佐藤に手を伸ばした。俺の父親は、カッとなって殴る男だった。カッとなって殴る男の子供は、カッとなって殴るのかもしれないということが、近頃怖くてたまらなくて、怖いということは俺は正気なのだろうと思った。
佐藤を殴らなかった、腕を伸ばして、でも殴らなかった。「俺をお荷物みたいに言うな」とだけ言った。でもその言葉には熱が篭もって、どこか甘えているようにすら思えた。
「佐藤はいつも、俺をただしくしようとする。俺はずっと、ただしいのに。……それも、嘘か。おまえがただしいよ」
佐藤は傷ついた顔をした。どうしてだか知らない。佐藤は選択肢についての話をされると、傷つくらしくて、そのくせその事実に縋ってもいるらしくて、俺は面白いと思った。言葉ひとつで佐藤を傷つけられてちゃんとした思い出になるなら、それで十分だと思った。
さびしい。とてもさびしい。ぽっかりと、心に穴が開いていて、佐藤でしか埋まらない。ずっと一緒にいた方がいい。でもそれは、ただしいことではなかった。ぜんぜんただしいことではなかったから、佐藤は選択肢を間違えないのだから、佐藤は、俺と一緒にいたいなんて、ずっと一緒にいたいなんて、おれが酒浸りになるのを止めるために俺を見張っていたいなんて、言うべきではなかった。
「俺が破滅するところを見ていて」
俺は甘く囁く。佐藤は困ったように、俺に手を伸ばして、抱き寄せて、俺のつむじにキスをして、息をついた。「破滅しないでくれ」佐藤は言った。知らない。うまく行くといいね。おまえの選択肢が全部正解なら、俺は死なないで、破滅しないで、誰かを殴ることも泣く、生きていけると思うよ。それって俺が、モブキャラクターである証明で、俺は悲しくなっていて、でも、佐藤の肩で、笑い続けていた。
田中さんは昨日の続きの今日、おもちゃ箱のように散らかった部屋でダンスのやりかたがわからなかった話をしてください。
ああもう今日になってる、と言って、佐藤が立ち上がる。佐藤の部屋はちゃぶ台ひとつの周りに、カラーボックスの上となく下となく、何もかもが転がっていて、それはゴミとかではなく全部、何に使う何なのかよくわからないものばかりだった。民族衣装のきれっぱし、フィルム、彫刻の手、原石、用途不明の食器。子供が集めたガラクタのようにも見えるし、特別で価値あるものばかりのようにも見えるが、とにかく雑多に散らかっている。
年末年始を一緒に過ごしている。すこしの酒とツマミとおやつを用意して、佐藤の家にはテレビがないので色々迷った結果カードゲームをやっている。別に俺の家だったらテレビもあるしゲームもいくらでもあったのだが。カードゲームはボドゲカフェで買った、最新のやつで、2人以上で遊ぶ奴だし佐藤とやりたくて買ったので、できてよかった。
佐藤は強くはないけど勘が良くて、勝負はまあまあ互角で、悪くない時間だった。ので、時計を見ていなかった。気がついたら、明日は今日になっていた。
「あけましておめでとう」
「……あけましておめでとう」
こんなにきちんとやりとりをしたのは、いつぶりだろう。
佐藤は少し飲み過ぎたらしい。揺れる足取りで立ち上がって、俺に手を差し出した。
「せっかくだから、初詣に行こう」
「ああ……」たしかに、そういうのもあるか。俺はぼんやりと手を取って、そして、佐藤がくるりと一回転するのにつられて、ちゃぶ台を踏んでひっくり返した。液体が残っていなかったのが不幸中の幸いだ。もともと散らかっていた部屋があらためて一段階、ぐちゃぐちゃになって、佐藤が誘ったダンスは失敗。
俺は笑った。「今の何?」
「何だろう、うーん、浮かれてたかも」
「じゃあ、やっぱりダンスなんだ」
「まあ……ダンスではあるかな。新年の、お祝いの……」
「ここじゃ無理だな。物が多すぎる」
「踏んでもいいよ別に」
「じゃあ、……どうぞ」
手を取った。
俺のほうが酔っていなかったので、俺は佐藤の手を取って、ひっくり返ったちゃぶ台をつまさきでわきによせながら、手を引いた。くるり、と回って、新年にダンスを踊るという、そういう風習がある国を、ふたりで作ったような気がした。二人きりの国の二人きりの風習を、この狭くて物だらけの、しかし特別な品物に満ちた部屋で作っている気がして、初詣より、みんなが信じている方法で祝うより、ずっと幸福だという、気が、していた。
佐藤さんは水たまりが道路に沢山残されていた朝、取り残されたようにある藪の中でただ途方に暮れていた話をしてください。
「でもそれって、僕の問題だから」
自分の内側に、暗くて怖い部分があって、見ないふりをしている。本当は、僕を糾弾する誰かがいて、それがずっと、僕の人生の方向を決めてしまって、いいようにならない。
高校まではなんとか通った。お金もないし親に迷惑をかけたくもなかったしそもそも母親とあまり話さなくなっていた。高校を出て最初は、家を出るために、住み込みのアルバイトをやって、キツすぎてやめた。それからそれからひとつ、ふたつ、一年も続かないバイトを繰り返してきた。
友達がいないわけでもないし、なにひとつうまくいかないわけでもない。でも選択がいつもうまくいかないので、まちがえたかなと思いながら、フェードアウトばかりしていく。
藪の中にいるからだ。
誰が本当のことを言っているのかわからない、古い小説を読んで、これが僕だと思った。誰にも正解を、本心を、吐露せずに生きているから、本当に必要なものを手に入れられないと思った。でも本当に必要なものって何なのか、もうとうに、わからなくなっていた。
雨が降った朝、水たまりばかりの道で、水しぶきをあげて濡れて汚れて、ああまた間違えたなと思う。雨の降る日は、走らない方がよかったんだな。濡れて汚れた靴とジーンズを見おろして、いつのまにか迷子になってしまった自分の人生を思った。
昨日の夜、田中と話をした。田中に声をかけたのは、ただしい選択だっただろうか。でも田中は僕を撃たなかった。それは田中の藪の中のような気がして、語れない何かが隠れているような気がして、僕たちの生きている生は、人生というやつは、思っているよりみんながみんな、藪の中なのかも知れないと思った。
「……でもこれって、僕の問題だから」
苦しい、苦しい、とどこかで思っている。父親を見つけ出さなくては、うまく息もできないままだ。けれどきっと見つからないだろう。ずっとこれを抱えて生きていくのかと思う。僕が殺したのだと思いながら。
でもみんな、そうなんだろうな。
田中の問題を解決する。それができるなら。誰かを救う。それができるなら。胸につかえた苦しみも、それで、たすかるような気が、している。
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オッドタクシーの二次創作の1000字作文をぽこぽこ無限に書くやつです
BLのときと BLというほどではないときがある
ネタバレってほどのこともないはずだが自衛してね
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